劇場公開日 2010年1月9日

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(500)日のサマー : 特集

2009年12月28日更新

運命的な恋を信じるトムは、ある日、会社に秘書として入社してきたサマーに一目惚れ。でも、サマーは真実の愛など信じない女の子で……。まったく正反対の2人がたどる、500日間の恋の行方は? サンダンス映画祭で熱狂的に迎えられ、今夏公開されたアメリカでは限定公開からスタートして口コミで評判が広がり、トップ10入りを果たす大ヒット。2010年3月のアカデミー賞に向けた賞レースでも有望の「(500)日のサマー」がいよいよ2010年1月9日より日本上陸。なぜ全米は「(500)日のサマー」に夢中になったのか? その魅力を分析する。(文:小西未来

誰もが見たことがない、けれど誰もが共感できる“恋についての物語”

限定公開ながらもアメリカで大ヒットを記録し、高い評価を受けた「(500)日のサマー」
限定公開ながらもアメリカで大ヒットを記録し、高い評価を受けた「(500)日のサマー」

■苦さ(ビター)と甘さ(スイート)との間に存在する、無数の細かなグラデーション

パターン化されたハリウッドの恋愛モノとは一線を画す
パターン化されたハリウッドの恋愛モノとは一線を画す

1組の男女が出会う。性格は正反対で、相性は最悪。でも、ひょんなきっかけ(たとえば仕事の都合とか、危機的状況とか)から、力を合わせなくてはならない羽目になる。一緒の時間を過ごすうちに、2人はそれまで知らなかった相手の魅力に気づき、次第に惹かれあう。その後、おきまりの危機(恋敵の登場とか、誤解によるすれ違いとか)が訪れ、男女を切り裂くが、この一時的な別れが相手の存在の大きさを悟らせるきっかけとなる。そして、2人はどこか(自宅や職場とか、思い出の場所とか)で再会を果たし、恋を成就させる。めでたし、めでたし。

ハリウッド製ラブストーリーの骨組みを抽出すると、以上のような感じになるのではないだろうか。キャラ設定や状況は違っても、パターンに変わりはない。それでも人気が絶えないのは、ラブストーリー、とくに、ロマンティック・コメディは、観客を夢見心地に誘ってくれるからだ。詰まるところ、現実逃避を提供するために単純化されたファンタジーなのである。

しかし、「(500)日のサマー」は従来のロマンティク・コメディとは一線を画す。なにしろ、映画の冒頭でナレーターがこう言い放つ。「最初に断っておくが、これはラブストーリーではない」と。

恋愛の機微がリアルな共感を呼ぶ
恋愛の機微がリアルな共感を呼ぶ

「(500)日のサマー」は、運命の恋を信じる男の子(トム)と信じない女の子(サマー)の恋愛を描く作品だ。性格が正反対の男女という設定以外、恋愛映画のパターンをことごとく打ち破っている。ロマコメに限らず、普通の物語では時系列に沿ってストーリーが進行するのが常だ。しかし、この映画では500日間に及ぶ恋愛がシャッフルされた状態で描かれる(タイトルに括弧がついているのは、劇中で「(49)日のサマー」「(427)日のサマー」というように、数字が変化するから)。

時間も場所もバラバラな状態のユニークな構成によってあぶり出されるのは、恋愛の不可思議な魅力だ。通常の恋愛映画で扱われるのは、せいぜい喜怒哀楽という大雑把な感情でしかない。しかし、「(500)日のサマー」で描かれていくのは、苦さ(ビター)と甘さ(スイート)とのあいだに存在する無数の細かなグラデーションだ。「(500)日のサマー」がリアルな共感を呼ぶのはまさにこのためで、映画を見終えたあと、きっと誰かと語りたくなるに違いない。

■映像、建築、音楽、そして絶妙なキャスティングが映画ファンを唸らせる

注目の若手2人の絶妙なキャスティング
注目の若手2人の絶妙なキャスティング

CMディレクター出身監督によるスタイリッシュな映像や、これまで描かれることのなかったロサンゼルスの建築、あるいは、ホール&オーツやザ・スミスをフィーチャーしたサントラなど、「(500)日のサマー」には映画ファンを唸らせる要素が満載だ。

なかでも特筆すべきは、絶妙なキャスティング。最近はミュージシャンとしても活躍しているズーイー・デシャネルは、自由奔放なサマーを見事に体現しているし、繊細な演技を得意とするジョセフ・ゴードン=レビットはナイーブなトムにぴったりだ。ハリウッドを代表する若手2人がリアルで共感できるキャラクターを作り上げたからこそ、複雑な構成にも関わらず、観客は「(500)日のサマー」に没頭できるのだ。

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