さまよう刃(2009)のレビュー・感想・評価
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予想通りのラストだが・・
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妻を失っていた寺尾は一人娘と暮らしていたが、突然娘を殺された。
直後に警察からの説明より早く、何者かから密告の電話が来る。
娘がレイプされた上で殺された事、犯人は2人組の少年であること、
そのうち1人の家と、そこに犯行の証拠品があるということ。
寺尾はすぐに向かい、そこで犯行を撮影したビデオを見つける。
そこに犯人の1人が帰って来たため、殺害する。
再度密告電話がかかって来て、もう1人の主犯格の居場所も密告する。
寺尾はそこへ向かい、近くで猟銃を手に入れる。
しかし警察がやって来て主犯は逃走、寺尾も姿を消す。
その後、主犯から子分の所に金を貸せと電話があった。
待ち合わせ場所を指定して来たが、子分は警察の保護の下にあった。
さっそく警察はその場所で張り込みを行い、主犯の男は現れた。
さらに寺尾も猟銃を持って登場、主犯に突きつけ、撃とうとした。
が、一足早く刑事が銃を撃ち、寺尾死亡。
実は、密告の電話をしていたのは、刑事の一人・竹之内だった。
少年法に守られた主犯を自らの手で殺したいという寺尾に感情移入し、
また警察の無力さに憤慨して行った事だった。
しかし寺尾は本当に主犯を殺そうとしていたのではなかった。
死の恐怖を味わわせて反省させるのが目的で、猟銃も空砲だった。
電話で予めそれを知っていた竹之内は複雑な気持ちだったろう。
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寺尾はこういう真面目な、薄幸で一途に思いつめる役が、
本当にハマリ役やなあと思った。
それにしても憎たらしい犯人やなあ。
映画を見ている大方の人は、寺尾を応援していただろう。
でも残念な事に予想通り事は成就せず、死んでしまう。
竹之内の行動も賛否両論だろう。
そりゃ普通に考えたらNGやし、明らかに刑事失格。
でもこれは映画やし、映画の中でくらい竹之内に味方したい。
でも自分の行動により寺尾を殺す事になってしまった。
竹之内は一体どういう心境だったのだろうか?
まあどちらにしても現代は少年法も見直され、
罪を犯す少年達にとっては厳しい時代になって来ている。
こういう映画を見ると、それはを強く肯定する気持ちになった。
殺人犯へ復習する父親像
2009年。監督:益子昌一
愛する人を無惨に殺された家族は、殆どの人が出来ることなら、
我が手で復讐したいと願うと思います。
この映画は犯人を殺す・・・それを実行する映画でした。
(ふつう我々は法を犯してまで復讐を実行する、捨て身の勇気を持てません。
ある意味父親は私たちの願望を果たしてくれた人です。
東野圭吾の原作は未読ですが、原作との違いに触れているレビューの殆どが、
原作の深さに及ばない、内容・設定に変更が多い・・・と書かれています。
映画を観たとき、私が一番に感じたのは、娘を惨殺された父親(寺尾聰)の台詞の少なさでした。
スタートから25分。寺尾の言葉は皆無です。
そして犯人の部屋で娘を惨殺した犯行を撮影したVHSテープを再生して観たときの
父親の悲しみ。
嘔吐し、身を震わせ、慟哭する。
監督は台詞を極端に削ぐことで父親の胸の内を、台詞では無く身体で表現することに
心を注いだようです。
そして長野県の雪景色。
雪景色と雪をいただく山々、青空に映える雪原。
それは画面いっぱいに広がり、父親の鬱屈そしてどうしようもない悲しみに
寄り添うようでした。
唯一心が晴れるのが、長野県の風景でしたね。
そして父親はもう一人の犯人を追って、逃亡犯の身の上になり、
殺されることを察知した犯人は逃亡を企てます。
長野のペンションを経営する娘と父親が、印象的な役目をするのですが、
父親(山谷初男)が、逃亡犯に猟銃を押し付けて渡すシーンは、やはり変でしたね。
若い刑事(竹野内豊)が言います。
《法は市民を守るのではなく、犯人を守るのか!》
たとえ犯人が死刑になろうとも被害者に安らぎはありません。
そしてもう一人の犯人への復讐・・・
ここは予想通り(と、言うか、)、常識の範囲内でしかも道義的にも納得できる結末でした。
若い刑事を演じた竹野内豊が22年後に、今度は父親役を演じたWOWWOWのドラマでは、
果たしてどんな結末を用意されているのでしょう?
カイジはどこだ?!
少年法改正の是非を真っ向から取り組んだ東野圭吾作品。原作本の分厚さを見ると読む気も起きなかったのですが、ここまで単純なストーリーだとは思わなかった。中学生の娘を薬漬けで凌辱された上殺されてしまった長峰重樹(寺尾聡)が少年グループの一人の密告により、復讐すべく少年を探す・・・
映画を観ていて真っ先に思い出すのが“光市母子殺害事件”。最近でも実名を記した単行本の出版差し止め問題によっておぞましい犯罪を思い出した人も多いであろうこの事件。未成年者(刑法での18歳未満)には更生の余地があるため極刑が下されにくいのですが、被害者家族を思うと世論は死刑判決を支持するようになった。そして世の人々は少年法の問題に加えて死刑制度の賛否という問題まで喚起させられ、この作品においても観客が様々な思いを巡らせる仕組みとなっている。
単純明快なストーリーの上、メッセージ色があまりにも強い社会派作品のため、見るべきところは寺尾聡の演技力と彼の絶妙な心理描写くらいであろうか。寺尾聡が良すぎたため伊東四朗や竹野内豊が浮いているような気がしたせいもあるけど、残念なことに、脇の俳優たちの心理変化が読み取れないので、突如仇討ちを支援する側にまわる意味がわからなかったためです。
単純な復讐劇だったら品位を疑うぞ!などと批判的な心と裏腹に、復讐を果たせるかどうかという緊迫の展開。ペンションの父娘にもう少し存在感があればよかったのにな・・・
【2009年10月映画館にて】
ドラマの方がいい
東野圭吾原作だったのでWOWOWでドラマを第一話だけみた。(無料だったので)
グロさと悲しさ、苦しさ溢れるなんとも言えない目が離せない作品でした。
続きが気になりすぎて映画版を先にみましたが、ドラマではグロテスクに描かれた部分も省略され、娘の父の関係性をあまり感じることができなかったので悲しさも減ってしまった。
最後、空砲だったことが意外だった。恐怖を与えることが復讐ならなぜ1人目は殺してしまったのか、、ペンションの女性に言われて考えが変わってしまったのか。
また竹内がナガミネに犯人の場所を教えるシーンもよくわからなかった。警察が、犯人の味方をしていた。
視聴者からすると未成年の刑罰は甘く、ナガミネやってしまえと思わせる描写も多く、ナガミネよりになるが、最後は刑事に打たれて死んでしまうのも、本当に救われない。
これは映画ではなく、ドラマで見たほうが絶対にいい作品だと思った。東野圭吾の魅力を出すには肝心な悲痛さの部分が足りず、2時間では足りなかった。
寺尾聰がひたすらかわいそう
娘を婦女暴行のすえ殺害された男、寺尾聰が復讐のために少年1人殺し、残る少年1人を追う。
で、意外なことに追いかける先で彼の周辺に居た人物たちや刑事である竹之内豊までもが彼の復讐を後押しして少年の居場所を伝えたり、猟銃を提供したり。そこまでするんなら竹之内は代わりに撃ってやれよ、その拳銃をと思ってしまうのだけど笑 結局応援する人達もあくまでも法の範囲でというある意味中途半端な精神だから、土壇場で寺尾聰は警察により射殺されてしまう。最後の最後で彼は撃たなかった、しかも猟銃は空砲だったわけだ。苦々しいが、刑事の相方伊東四郎が語るように、もう娘を亡くした彼には未来なんて無かったとも言える。自殺だったわけだ。
少年の方の役者がちょっと、ヒャッハー系というか。ステロな若者像なのがあまり面白くはない、敵として怖くもない。それはそれで腹が立つから良いのかなとも思う。2009年はホスト崩れのようなスカウト師たちが池袋などにうじゃうじゃ居たから、そういう時代背景なんだろう。
警察は法の番人なのであって、国民の番人ではないというテーマ性自体は全く新しいものではないのでそれを巡る竹之内の葛藤とかは冗長に感じてしまう所があった。協力者たちの協力が中途半端というディテールは深いテーマに届いてると思ったけど。とりあえず竹之内はそんな敏感な感性でよく警視庁一課まで昇進できたやなと笑
復讐劇には敵をバンバン殺していく形のカタルシス型のサスペンスと、なかなか敵に迫れず殺せずというもどかしい型のサスペンスがあり、この作品は後者。意外性という意味では飛び抜けた展開はないけど市井の市民にとって復讐とは何かを真正面から描いていて素晴らしかったと思う。
難しいのは犯罪映画として携帯の通信履歴が捜査されないというリアリティを巡る映画の嘘の所だけど、そこをリアルにした所で、設定描写が増えるだけでテーマが薄まるに過ぎないと思う。
未成年者の犯罪をどう考えるか?
親一人子一人の家庭が未成年者によって破壊される。
娘を凌辱し殺害した犯人(VTRまで撮っている)を復讐の為に父親が追いかける。
「この国の警察は市民を守っているのではなく法律を守っているのですか?」と言うメッセージがかなり重い。
仇の一人を殺害し、もう一人を狙う父親は全国指名手配になるが、ペンションの主人が奪われた振りをして猟銃を貸してくれる。
ペンションの娘は「そんな事をのぞんでないはず」と言うがペンションの主人は「娘を持った父親なら同じ気持ちが分かる」と敵討ちを擁護する。
私なら後者だ。絶対に許せない。
ラストは賛否あると思うが、仕方ない……と思う。
残酷な不条理への思いを上手く演じている
総合:80点
ストーリー: 65
キャスト: 85
演出: 85
ビジュアル: 70
音楽: 70
寺尾聰演じる長峰の自宅の留守番電話が警察に監視もされずに野放しになっている、携帯電話を持っていても電波の発信源の探知もない、長峰と犯人の少年の二人とも長野の山奥からあっさりと警察の包囲を破り関東方面に移動できる、そんな部分には物語の弱さがある。
最後の場面で長峰が言う「彼らに課す罰は死にも値する恐怖」、そういう割には既に最初の犯人は刺殺してしまっているわけで、その意味では矛盾が生じている。そして残る一人の犯人に一度恐怖を与えたとしても、長峰が死んでしまえば犯人はその後の生涯は、いつ殺されるかもしれないという恐怖に怯えながら生きることもなく余生を過ごすこともできる。娘を殺されあれだけ苦悩しながら犯人を追跡した後で彼が言う「死にも値する恐怖」とは、長峰が生き続けることによってその後もいつ復讐のために殺されるかもしれないというものを長い期間にわたって犯人に与えるのではなく、逮捕される前のほんの一瞬銃を突きつけることだけで良かったのだろうか。
銃をつきつけあっていて自分たちが銃撃戦に巻き込まれるかもしれないのに、野次馬が逃げもせずに輪になって見学しているのもおかしい。そのような疑問もいくつか物語にはあった。
それでも、最初から結論ありきで方向性を示すのではなく司法制度の不条理に関する問題提起をしたこと、たった一人の最愛の家族を極めて残忍な形で失った父親の悲しみと、それを見事に演じた寺尾聰の演技に共感出来た。だからその重い喪失感、悲しみ、怒りが理屈以上に伝わってきて、十分に堪能出来た。
理解させるためには。
原作は読んでないが、何ともやるせない内容である。
鑑賞後、気持ちの持っていき場が見あたらない…。
妻を亡くし、最愛の一人娘をも失ってしまう主人公。
しかも相手は少年法に守られたケダモノ(という描き方)
犯人のアパートで娘の犯行ビデオを観てしまった父は、
あまりの残虐さにその場で吐いて腰を抜かしてしまう。
(このリアルな映像、こちらも生きた心地がしなかった)
彼らは更生する気などない。ならば自身で復讐するしか
方法はない、と半ば強制的に復讐劇が開始されていく。
私も一応、親なので…彼の置かれた状況に同調できる。
あんなモノを観れば、それこそ逆上するのは当然だ。
犯人を殺してやりたい!自分の子供と同じ思いを…と
法が罰さないのなら、自分の手で!と思うかもしれない。
そこまでの問題提起はいいと思った。
昨今では、こういった極悪少年犯罪が多すぎる。
私の子供の頃は殺人事件というのに必ず理由があった。
理由なき殺人って、なに!?誰でもよかった、だと??
他人を殺さなければならない理由が全く分からない。
しかし、こういう人種なのだから、極刑に処せばいい。
という考え方では、なんの解決にもなっていない。
今作でも少し描かれるが、命の重さを測れない人間に
「死にたくない」「死んだら悲しい」「どうか死なないで」
という恐怖や不安を理解させることこそが重要なのだ。
本来なら子供の頃~何らかの形で教わってきただろう
そのことについて、最近ではゲーム感覚で捉えている
冷めた若者たちが増えてしまった。どうしてなんだろう。
最愛のものを失ってからでないと、気付かないことか?
考えても考えても、胸にはやるせなさが残る。
今作の内容が云々より、有効な回答が提示されずに、
さまよえる作品になっていることが、いちばんの恐怖だ。
(生まれたその時から極悪人。なんて存在しないはず。)
寺尾聰の、
手紙が読まれるシーンがあるのですが、その声のトーンと間が何とも言えず、この映画はこの手紙の告白(簡単な説明ですみません・・・)のところを見るだけでいいぐらいです。
その部分がほんとに事件による様々な状況や思いの変化が伝わります。
映画のCMでも、少し流れたりしてましたが、その少しのとこを聞いただけで、もう泣きそうになります・・・
そして、原作を読んでないので知らなかったのですが、原作は詳細に残虐な部分が描かれているとのこと。そういう部分は観る側に任せる演出になっていたので、原作の衝撃を受けて見に行く人には、多少?かなと思いました。
私は、映画が先でしたので、これを機会に原作を読んでみたいと思います。
設定と脚本が大失敗 それに携帯電話じゃ
携帯電話というツールを使っていることが、すべての矛盾につながる。
寺尾聡演じる犯人は携帯電話を逃走先で何度も使用しているのに、殺害される可能性がある少年も潜伏先で何度も携帯電話を使用しているのに、竹之内豊演ずる刑事が寺尾聡に携帯から携帯に電話をしているのに、その履歴が一切チェックされないで話が進行することはシラケテしまう。
携帯から発信される電波をチェックすることも、交信履歴も、通話履歴も、すべてチェック可能だということは、先日の薬物使用で逃走した芸能人の報道で多くの人が知っている。
レイプした相棒が殺害されたことを、潜伏している少年の携帯に連絡する人間は皆無なの?
これがすべて矛盾であり、シラケてしまった。
演出にも疑問がある。
伊東四朗が目立ち過ぎている。
勘違いしないでほしいのだが、僕は伊東四朗が大好きだ。
演技に存在感があり過ぎてしまっているのが気になる。
伊東四朗なら、もっと違う演技ができたはずだ。
かつて、名優の伴淳三郎が人気を勝ち取りはじめ、自信が演技に顕れていた時のことだ。
老いさらばえた刑事の役に不向きと感じた監督は、普通に演じているだけで、なんら問題のない伴をボロクソに罵り倒し、自信を喪失させ、演出を成功させて見事に伴もその作品で受賞に結びついたという例がある。
今回の伊東は演技が上手いし、そつがないし、普通に見ていたら「やっぱ上手い」で終わるだろう。
だけど、それでよかったのだろうか。
主役になるはずの寺尾すら食ってしまうような演技だったことは逆に問題ではないのか。
そんな環境でありながら存在感を示した竹之内の演技は良かった。
これからも大きく期待したい。
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