劇場公開日 2010年2月19日

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コララインとボタンの魔女 3D : 映画評論・批評

2010年2月16日更新

2010年2月19日よりTOHOシネマズ六本木ヒルズほかにてロードショー

原初的な恐怖感や不安感を織り込んだ重層的な物語

カラフルなファンタジーの底に、不穏な気配が持続する。ぼんやりとした不安感が消えない。この映画はそんな奇妙な味で魅了する。

その不穏さの原因は、まず物語のテーマにある。映画は主人公と“別のママ”との抗争を描くが、その根底にあるのは「自分の母親は本物ではないかもしれない」という、誰もが一度は抱く原初的な不安なのだから。

この不安を増幅するのが、主人公の周囲の奇人たち。ペットのテリア犬達の剥製を棚にびっしり並べる元女優の老姉妹はじめ、隣人たちはみなお付き合いが簡単な人々ではない。

もうひとつ、この不安感の演出に貢献したのが、「ストップモーション・アニメが根源的に内包する恐怖感」だ。監督は、映画の冒頭で主人公が遭遇する「人形」が作られる過程を描き、その布や糸などの素材の圧倒的なまでのディテール描写で強烈な印象を残す。そのため観客は、本作で演じているのも人形だということを無意識のうちに認識してしまう。だが、もしも実際に人形が動いて話したら、それは恐怖の対象だ。そこで観客は無意識のうちに不安を抱かずにはいられない。

しかも、この認識のせいで物語は重層的になる。主人公が「眼をボタンにしろ」=「人形になれ」と脅かされる物語は、「ストップモーション・アニメによって生命を得た人形」が「人形になれ」=「映画というものの魔法を捨てよ」と脅かされる物語にも見えてくるのだ。

ヘンリー・セリック監督は、なぜストップモーション・アニメという手法に魅せられるのか。この映画にはその答のひとつがある。

(平沢薫)

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