夏時間の庭 : 映画評論・批評
2009年5月12日更新
2009年5月16日より銀座テアトルシネマにてロードショー
目に見えぬもの、耳に聞こえぬものたちが捉えられている
一家をひとつにまとめていた母親が死ぬ。死ぬ、というよりこの世から消えるといった方がいいかもしれない。暗闇の中にひっそりと姿を消し、物語の冒頭ではその母の誕生日に集まった子供たちが再びその家に集まることになる。そして、残された思い出の品々やその家を巡って、子供たちの思惑が交錯することになるのだが、しかし一体母はどんな人生を生きてきたのか?
母の残したコレクションの数々が、実際にオルセー美術館の協力などもあり実際の美術品を使って撮影されたことでも話題の本作だが、それには意味がある。母の生きた時代、愛したものたちの物語を、それらのもの言わぬ品々が人間には聴き取れない声で語るのだ。「本物」とは、つまりそれらが抱える「物語」の確かさのことである。
目に見えぬもの、耳に聞こえぬものたちが捉えられていると言ったらいいか。この映画はひたすら死者たちを映す。いや、死者たちを内に抱えたものたちを映すことで、私たちを遠い歴史と幽かな記憶の世界とを結びつける。母は生きている。つまり悲しみは喜びへと変容し、今、この人生こそが私たちを生んだ母の人生の一部であり全体であることを、子供たちは知ることになるのだ。映画のような人生とは、まさにこのように、他者とともに生きることではないかと思った。
(樋口泰人)