クララ・シューマン 愛の協奏曲のレビュー・感想・評価
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クララの新しい魅力
自らが一流の芸術家であり、母であり、精神的に不安定な夫を支えて家庭を切り盛りする主婦として、仕事と家庭を両立させながら家計を成り立たせる。その強かな女性像は現代にも通じて、これまでの、二人の男性の間で揺れ動く「クララ像」とは違い、とても新鮮です。
脆く繊細なロベルトを好演したパスカル・グレゴリー、10歳以上も年の違うクララに献身的な愛情を注ぐ青年を爽やかに演じたマリック・ジディともに素晴らしかったのだけれど、何といっても「マーサの幸せレシピ」で注目を集めたクララ役のマルティナ・ゲデックの存在感が素晴らしい。もともとピアノが弾けたようなのだけれど、改めてピアノを習い、クランクインの頃には小さな即興曲が弾けるまでになっていたという、役になりきろうとする努力の成果は見事なものでした。その彼女のお陰で、温かく優しく、そして生きることに強かな一人の女性が、見事に描き出されたと思います。
そしてラスト近くのクララに添い寝するヨハネスのセリフに、ヨハネスの叔父の子孫という脚本・監督のヘルマン・サンダース=ブラームスの、ヨハネスに対する深い思いが感じられ、心を打たれました。
それにしても、全編を通じて流れる音楽の演奏も素晴らしく、音楽映画としても第一級の出来だと思いました。
ラブロマンスとしては、いま一歩。クラッシックファンがニヤニヤとシューマンやブラームスのエピソードを楽しむ作品ですね。
シューマンの物語かと思ったら、こちらは奥さんのお話。ドイツでは国民的に敬愛されている著名ピアニストでした。ヨーロッパ共通通貨ユーロに統合される前のドイツマルク紙幣に、クララの肖像が使われていたことからも、いかにクララがドイツ国民に愛されているかを示しています。
本作は。伝記ではなく、病がちな夫ロベルトとちょっとプレイボーイ風のブラームスとの間で揺れるクララが描かれます。ふたりのキスシーンもあり、本作はふたりの不倫説に沿ってストーリーを組んでいます。その根拠として、ロベルトが「俺は知っている」とうわ言のように遺言を残したために、ロベルト没後 150年を経た現在でも不倫説が絶えないのです。でも、定説としては、それを裏付けるものは全く何もないようです。
但し劇中ブラームスは、シューマン家に下宿して、シューマン夫妻との結びつきの深さが描かれます。ロベルトは、後継者として指名するほどブラームスを熱烈に賞賛し、聴衆にブラームスの作品を広めるために重要な役割を演じました。
1855年ごろのクララへの手紙の中で彼女のことを「君」と表現するなど、恋愛に近い関係になったと推測される時期もあったようです。一時期は「末子フェリックスはブラームスの子供」という誤報まで飛び交ったほど、親密な付き合いであったといわれています。 でもねぇ、クララは14歳年上であり、同じピアニストとして、すでに彼女は国民的スターであっただけに、どこまでが恋愛感情で、どこまでがファンとしての尊敬する感情だったのか微妙です。本作でも、恋愛と尊敬のどっちつかずの描写に終わったため、ラブストーリーとしては、いささか盛り上がりに欠けました。
特に、途中ささやかなことでブラームスがシューマン家を出ていき、数年後にまた戻ってくるシーンがありましたが、何でそんな行動をブラームスが取ったのか、はっきりしませんでした。
ただし、この三角関係は複雑です。劇中夫のロベルトは、ブラームスと緊密な関係を深めるクララに嫉妬する反面、音楽面では後継者に指名したヨハネスを妻に奪われる焦燥も表しています。ロベルトはクララも、ブラームスも両方を独占したかったのでしょう。 その執着と嫉妬心がロベルトの病を悪化させ、アヘン・チンキへ依存する要因になっていく様が、本作では克明に描かれていきました。
ただそれでもシューマン一家は予定調和のように、終始円満に描いたところは、いささか不満です。
なお、ブラームスはクララが没した翌年、劇中のセリフで約束したとおり、後を追うように病没しています。
本作では描かれませんでしたが、ブラームスがクララの危篤の報を受け取りとったときのシーンも加えて欲しかったですね。
彼は、慌てて汽車に飛び乗ったため、間違えて各駅停車の列車に乗ってしまったのです。そのために遠回りとなりクララの葬儀に立ち会えず、ボンにある夫ロベルト・シューマンの墓へ埋葬される直前にやっと間に合い、閉じられた棺を垣間見ただけであったそうです。
ブラームスとの親密さを描きつつも、音楽家として致命的な病気となる三半規管と中耳炎によって偏頭痛に苦しむ夫ロベルトへの献身ぶりがメインで描かれています。男から見れば、ロベルトとブラームスとどっちに気があるのと言いたくなるくらい、画面のクララは割りきっていました。女心とは、そういう器用なものでしょうか(^^ゞ
但し、クララはロベルトの音楽的な才能に神髄していたことはもよく伝わってきました。
「交響曲第3番 ライン」の初演で、なんと夫婦付随で式台に立つところは如実に表れています。すでにまともに指揮出来るような精神状態ではなかったロベルトだったのですが、それでも当時のドイツの社会では、女性が単独で式台に立つことは許されなかったのです。
指揮者どころか、作曲家としても世間は認められておらず、女性というだけで曲を正当に評価してもらえなかったのです。
クララは、作曲家としても幼くして才能を発揮していたが、37歳の頃に作曲をやめ、ピアニスト及びピアノ教師として生きる事を決意せざるを得なかったのです。劇中彼女が作曲したロマンス・ヴァリエ(ピアノのためのロマンスと変奏)がバックに流れます。女性ならではのきめ細かで、叙情に満ちた旋律でした。
クララの作曲は当時のモーツァルトやベートーヴェンが同年代の頃に書いたものと比較しても遜色がなく、作曲をやめていなかったら彼女は最高の作曲家として名を連ねていたかもしれないという人もいるほどです。
そんな女性差別が背景にあったため、書き上がったばかりの「ライン」第一章を、病の夫の代演でデュッセルドルフ管弦楽団でクララが指揮するところのシーンは感動的。
叙情的な曲想が多いシューマンのなかでも「ライン」は雄大でのびやか。それを女性のクララがダイナミックに指揮するところは、なかなかの見せ場でした。
このように書いていると、どうしても本作はラブロマンスとしては、いま一歩で、クラッシックファンがニヤニヤとシューマンやブラームスのエピソードを楽しむ作品としか言えなくなります。
特にブラームスが自らハンガリー狂想曲をピアノ演奏するシーンなんかクラッシックファンとして興味深かったです。
そして劇中に流れる曲はどれも名演奏ばかり。できれば音のいい劇場で見て欲しい作品です。
主演のマルティナ・ゲデックは、『マーサの幸せレシピ』の時とはイメチェンして、ブラームスに対して大人の円熟した色気見せて、いかにも年上の素敵な女性という感じを上手く演じています。そして夫ロベルトといるときは、よき妻であり作曲のパートナーとしての表情を見せ、子供の前ではよき母親ぶりを器用に演じ分けていました。
時代を担う闘う女
ブラームスとシューマン、クラシックファンでなくとも誰でも知っている偉大な作曲家2人に愛された女性、クララ・シューマン。彼女は芸術家の妻であり、7人の子供の母であり、才能あるピアニストであり、そして何より「闘う女性」だ。
冒頭で、「汽車は速すぎる」と気分のすぐれない夫に対して、「速いってステキ」と言うクララの無邪気さ。汽車は文明の象徴だ。芸術家にありがちな神経質な夫に比べて、彼女は何と強く、明るく、健全なことか。音楽以外に自己表現のできない夫は、料理女すら涙を流すほどの感動的な音楽を作りながら、徐々に精神を蝕まれていく。そんな夫を献身的に支える彼女は、まだまだ女性の地位の低かった時代で、夫に変わって指揮棒を振る。その強さ、ひたむきさにとても好感が持てる。そんな彼女にプラトニックな愛を捧げるのは、若き天才ブラームス。今まで2人の関係はタブーとされていたが、今回堂々と映像化したのは、ブラームスの血を引く女流監督、ヘルマ・サンダース=ブラームス。ヘルマ監督が本作で一番描きたかったのは、クララという1人の女性の「生き方」だ。夫への献身的な愛を捧げる妻。才能ある年下の青年から慕われる美しい女性。家計を預かり7人の子供を育てる賢い母。ピアニストとしてツアーを周り、作曲をもする音楽家。これらいくつもの顔を持つクララにとって、どのクララが一番幸福だったのか?この問いに明確な答えは出ない。どのクララも幸福であり、どのクララも不幸であった。しかし夫の死を乗り越え、力強く鍵盤を叩く彼女の姿は凛々しく美しい。これこそ新たな時代を生きる女性の姿だ。ドイツロマン派の美しくも激しい音楽と、クララの人生に心からの拍手を贈りたい。
クラシック好きにはいいかも
クラシックが好きなので以前からクララ・シューマンにはとても興味があった。この映画のおかげで関係性がとてもよくわかってよかった。全編にクラシックがかかり、俳優も魅力的だったが、事実を元にしているので、少し単調なところが残念だった。
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