マイティ・ソー : インタビュー
浅野忠信、10年先を見据え「まだまだ駆け出し」
浅野忠信が、マーベル・コミックスの人気ヒーローを3Dで映画化したアクション超大作「マイティ・ソー」でハリウッド映画に初出演。母方の祖父が米国人で、子どもの頃から潜在意識としてあった“聖地”で確かな一歩を踏み出した。自らのルーツにたどり着くまで「バタアシ金魚」での映画デビューから20年余を要したが「(時期的に)ちょうど良かった」と振り返る。それまでのすべての経験が糧になっているからこそで、「まだまだ駆け出し。10年たったときにどうなっているか」と夢をはせる表情には自信と意欲がみなぎっていた。(取材・文:鈴木元、写真:堀弥生)
浅野は国内外どこに行っても動じない。常に自然体で堂々としている印象がある。どのような環境にも即座に対応できる天性の能力が備わっているのだろう。本人も「自分で言うのも変ですけれど」とはにかみながらも認める素養だ。
「どこに行っても、変な壁ができないのがいいんだと思います。英語も話せないし大変なんですけれど、そこにいられる自分がいるというか…。海外の映画祭に行っても、初対面の人とパーティに行って朝まで遊んだりとか。そういう自分には感謝しています」
その特性を武器に、早くから積極的に海外作品とかかわってきた。出演した日本映画が、海外の映画祭に出品されることも多い。思い起こせば、2004年のカンヌ映画祭。韓国映画「オールドボーイ」のインタビュー中に、ヒロインのカン・ヘジョンが突然、「あそこにいるのは、タダノブ・アサノ?」と聞いてきた。「茶の味」で現地に来ていた浅野が横のテーブルでお茶を飲んでいたので、本人を呼び“にわか日韓交流”を図ったことがある。そのときは社交辞令的な挨拶で終わったと思っていたら、約半年後にペンエーグ・ラッタナルアーン監督のタイ・オランダ・香港・韓国合作「インビジブル・ウェーブ」での共演が決まるといったこともあった。そんな外国の中でも、生前に会うことはかなわなかった祖父が生まれ育った米国には特別な思いがあったようだ。
「小さいころから自分のルーツを知りたいという気持ちがあったんですね。父親に映画に連れて行ってもらったときに、外国の俳優が『この人、ふだんもこうやって暮らしているんだろうな』という芝居をしているように見えたんです。以前はよく『自然なお芝居をしますね』と言われましたが、そのルーツも米映画で、俳優の仕事を始めたときにそれを心がけていたんです。自分の血が入っている国の映画づくりにもすごく興味があって、いつかは絶対に出てみたいと思っていました」
その思いは、主演した「モンゴル」が08年のアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされたことで、一気に現実味を帯びる。同作を見た米国人のプロデューサーの紹介で米国のエージェントと契約。早速、舞い込んだオーディションが「マイティ・ソー」だった。指定された役の演技とセリフをビデオに収め製作サイドに送るビデオ・オーディションを2回行い、結果、主人公ソーを守る三銃士のひとり、ホーガン役が決まったとの朗報が届く。
「もう、やってやるぞと思いましたね。同時に、ここからが長い戦いだと思いました」
それからは日米を往復し、衣装合わせやアクションのトレーニングなどの準備に明け暮れ、約5カ月にわたる撮影に臨む。全米では抜群の認知度を誇るコミックが原作で注目度も高い作品だけに、やはり何よりも驚かされたのがその撮影規模だ。
「バジェットの違いはでかいですね。単純にうらやましいし、お金の重要性を実感しました。衣装もカツラもメイクも、すべてにおいて時間をかけられるし、物質的な面でも十分に準備ができる。本当にムダになったものの方が多いけれど、そういう可能性を探って選ばれたものを映し出しているわけだから、ぜいたくですよね」
しかも、監督はシェークスピア俳優の第一人者でもあるケネス・ブラナー、共演にはナタリー・ポートマン、アンソニー・ホプキンスら、それまではスクリーンで見ていたビッグネームが並ぶ。だが、ここでも浅野の“環境適応能力”が発揮される。
「不思議でしたけれど、そんな人たちが普通に芝居をしているんだと考えたらギャップは埋まりました。こっちが勝手に崇めているだけで、同じ俳優じゃないかというのがすぐに分かったので。何か面白いことをやりたくてここにいるというのは変わらないとすごく感じたので、そのピュアなエネルギーの中では自然でいられましたね」
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