グラン・トリノのレビュー・感想・評価
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クリント・イーストウッドだなぁ
おもしろい!
とてもいい
頑固オヤジが段々隣の人たちと打ち解けるところなんかほんとに観てて楽しい。
情が移っていろいろ関わっていくところなんか、すっごくリアルで良い。
女の子のボコボコのシーンなんかは、イーストウッドっぽい!とっても胸くそ悪い。
2人の未来のために犠牲になった頑固オヤジの姿には感動した。
義憤、銃、人種主義
義憤。自分の家族とは断絶状態の白人男性。妻の葬儀では、参列者を前に居心地の悪さを隠さない、気難しいその老人が、隣家の黄色人種の少年とその家族のために命を捨てる。その少年との短くも濃厚な交流の中で、彼は銃を使って冗談を言ったりする。銃が日常に存在する光景は、われわれ日本人には奇異にすら見える。同じ民族のギャングから銃による脅しを受けている少年に対して、たとえ冗談でも銃口を向けることにたいする批判の視点は、この映画からは見えてこない。まずは、社会に銃ありきなのである。
そして、隣家を襲ったギャングに対する憎悪と復讐心が、ただただ正当化される。そして彼は、自分が犯罪者となることなく、彼らを半永久的に社会から抹殺する方法を選択する。そこには銃社会への反省や批判の精神がどうしても読み取れない。何故なのだろう。
そうだ、イーストウッドは、全米ライフル協会の重鎮なのだ。
魂の継承
2回目を見た感想を。
人種も年も違う2人の人生に迷える男同士が心を通わせ、若人の方が成長し、老人がそれを見守る過程を、丁寧な見せ方と味のある演技で描き切った傑作です。
単純に頑固オヤジが隣人一家(一族)と触れ合って丸くなっていく様と、それに伴って少年が成長して行く様が連なってくのを見ているのは楽しいです。特にウォルトが向かいのボロ屋を発見し、タオに修理をやらせて以降は1シーン1シーン2人の絆が深まっていく様がビンビンに伝わってきて、本当に幸せなんですよ。。この息子とかじゃなくてお隣さんっていうのがまた。その橋渡し役となるのがウォルトの愛車のグラン・トリノなわけですが、ウォルトがグラン・トリノを洗車し、それをデッキから眺めるシーンが、さり気ないBGMも相俟ってお気に入りです。
逆に言うと少年と老人が仲良くなるだけの作品なんですが、やっぱりラストのウォルトの決断がこの作品を一層印象深いものにしているんだろうなあと。そしてその後イーストウッドの歌声をバックに走り去っていくタオとデイジーの乗ったグラン・トリノ…。愛すべき頑固爺が死んでしまったのにこの爽やかな鑑賞後感は、やはりタオが彼の魂を受け継いでいるからこそではないでしょうか。それをラストシーンから汲み取れる出来になっていて素晴らしい。
なんていうか、小学生みたいな事を言いますが、(イーストウッドファンは違うかもしれませんが)見る前のゼロの状態から2時間でここまでキャラや人間関係を作り上げ、圧倒的な何かを鑑賞者の心に残せるのはすごいことだと思います。映画ってすごいなと思います。
人生の締めくくり方
映画評価:80点
この作品を見たのは今年の5月9日飛行機の中でした、飛行機内では上映されていたので暇つぶしに選んだ作品です
そもそも、この映画を見るまではグラントリノが車の種類名とも知らなかったので全然ノー知識からのスタートです
そしたら性格の悪いジジイの妻が亡くなって、その後どう生きてるか~みたいな面白みのない話しが続いていくのですが
途中発展した事といえば冴えない少年との接触です
その頃には暇潰しで完全に作品をバカにしていた時で、そんな僕の目を覚めさせてくれたのは少年とジジイが段々と変わっていく姿だったんです
ジジイは生き甲斐というか、心許す仲間が出来た少年は強く生きる理由と光を見つけました
この二人の間に色々な悩みや問題が降りかかります
それに対して、一生懸命戦う男たちの想いを感じることが出来ました!
最期が、凄く格好良い!少し残念だったけど、めっちゃ良かった♪
遺書もウケました
以外に地味でもキャラが立ってたので良い演出が出来ていたのではないだろうか
最初の1時間を我慢すれば後は神がかりな映画です。私はクリント・イーストウッドを尊敬しました!!
余すことなくクリント・イーストウッドの良さが出ていますよ
俳優・監督にイーストウッドがしっかりと活躍
総合75点 ( ストーリー:70点|キャスト:75点|演出:80点|ビジュアル:70点|音楽:70点 )
かつては自動車産業の発展とともにモータウンと呼ばれ強いアメリカの象徴となって大繁栄しながら、日本勢をはじめとする外国からの猛攻を受けて衰退して荒廃し、今では全米でも最悪の貧困と犯罪の都市となったデトロイト。中流層以上の一般的な白人は町を離れ、代わって貧乏な移民と有色人種に町が占領され、多少なりとも安全確保のために家の周りを鉄条網付きの塀で囲む。
イーストウッド演じるコワルスキーは朝鮮戦争で黄色人種と戦い、その後はデトロイトのフォードの工場で自動車を作っていれば、それはこんな有色人種嫌いな爺さんになろうというものだろう。息子すらトヨタの車を売っている時代に、彼は古い世代のアメリカ人の一つの典型ともいえる。しかし家族も寄り付かない頑固でどうしようもない年寄だが、文句を互いに言いながらも床屋に建設屋にと、思ったよりも人望があったり仲間意識があったりするのがわかる。まずこの爺さんを形成した要素をしっかりと揃えているのがいい。それをイーストウッド本人が味のある演技で見せてくれる。
それだけにとどまらず、イーストウッドは監督としての高い能力を見せてくれる。彼の監督作品はいずれもはずれがない(訂正、『アイガー・サンクション』ははずれでした)。今作もそうだった。過去をひきずる頑固爺さんが人生の終わりを迎えようとするころに出会った、血の繋がる家族よりも心を通じ合わせられる有色人種のお隣家族。彼の生き様の変化と決断、そして結末をしっかりと描いている。
前半は「ベスト・キッド」を観ているようだった。引っ越ししてきた少年がいじめにあって隣に住む爺さんに助けられる。そして爺さんの影響を受けて成長していく。だが今回の相手はただの不良少年ではなく、本物の暴力組織の下っ端で、やることは遥かに深刻だ。後半では健全で爽やかな解決にはならないことがわかる。
しかしいくら朝鮮戦争の英雄といえども、これだけ歳をとっていれば、機関銃すら持ちあるく若者数人を相手に戦って勝てるものではないだろう。今回はハリー・キャラハン役ではないので、普通に戦うのではないというのは最初から想像がついた。だから最後に一人正面から乗り込んだところを観て、ある程度その後の展開に予想がついてしまった。
それに最後はコワルスキー爺さんの思惑通りといったところだろうが、もし彼ら全員が射撃しなければどうなっただろうか。例えば彼らのうちの一人だけが撃てば、当然逮捕されるのは一人だけで、残りの者は相変わらず町を我が物顔でうろつくことが出来る。撃った者たちみんなが裁判で有罪にされ長い懲役刑に服されるという保証もない。ここには物語の都合の良さと弱さがある。
でも最後の五大湖の護岸をグラン・トリノが走り去っていくのは寂しさと余韻が残って美しく締めくくっていた。イーストウッド自身の制作の歌がコワルスキー爺さんの魂を静かに見送っていた。
悲しくも心温まる最後の決断に涙
正直に言ってクリント・イーストウッドの作品はこれが初鑑賞。『ダーティハリー』はおろか『許されざる者』や『ミリオンダラー・ベイビー』、『硫黄島からの手紙』も観ていなかった。なのでよく評判に聞く「クリント・イーストウッドの集大成」的な良さを感じる事は、永遠に出来ないだろう。でもこの映画が奥の深い、素晴らしい作品だという事は理解できた。
まず明暗の具合が素晴らしい。作品の質に深みと味わいを与えている。そして全体の構成は本当に無駄が無い。例えば神父に懺悔に来るよう言われるが、懺悔を断固として拒否し続ける。これは、主人公ウォルトが朝鮮戦争で犯した罪は懺悔なんかで拭えないくらい大きなものであるという事の裏付けととれる。また、モン族と関わるのは、彼らがウォルトの殺したアジア人に似た種族だから。つまり彼らと関わり経験や知識を伝えることが、救いと償いを意味するのだろう。この辺りがとても巧みである。そして、本作は「罪」や「生と死」を強く意識しており、最後の決断はその象徴である。ウォルトは、自身の残り少ない命をチンピラ共への報復に使う。彼は、死ぬことよりも生きて自分が犯した罪を悔いる方がよっぽど苦しいことを知っている。タオに自身の苦しい経験をさせずに、且つチンピラ共に最大限の苦しみを与える為の唯一の手段が自分を殺させる事なのだ。命懸けのけじめによって人生において非常に大切な事を教えてくれたラストに感動せずにはいられない。同時に朝鮮戦争で自身が犯した罪へのけじめも意味していたと思う。この残り約25分の展開はとても奥が深く、悲しくも美しい展開である。ちなみに地味ではあるが、この25分の中で神父がチンピラ共に対して正直に憎みビールを飲む姿は結構お気に入りのシーン。最後でタオに「グラン・トリノ」を譲るのは恐らくタオへの感謝の気持ちなのだろう。
ある頑固ジジイの生き様
私としては「ミリオン ダラー ベイビー」の方が好きですが、これはこれでよかったと思います。クリント イーストウッド出演最後の作品に相応しい内容でした。どちらかと言うと年配向けだと思いますが、何を言わんとしているのかは、わかったと思います。 主人公は妻に先立たれたばかりの孤独な老人ウォルトある日彼の住む隣の家にミャンマー人一家が越してきます。初めはあまり良く思っていなかったウォルトでしたが、彼らと節しているうちに心を開いていき、やがて彼らと不思議な友情が芽生え始めます。 注目はクリント イーストウッドの熱演、作品全体の雰囲気そして、予想を裏切るストーリー展開です。特に中盤から後半のストーリーが非常によく出来ていて、予想を裏切る展開に呆然としてしまいました。私の中盤までの予測では“主人公のガン闘病記”みたいな展開になり、最終的にイーストウッドが病室のベッドの上でウルウルした目で“ボク、生きる資格あんの?”とか言い出すのかと思っていました。しかし、まったく違う方向へ行ったので安心しました。 それから、クリント イーストウッドの演技についてですが、まあ、昔と変わらずキャラはずっと同じなのですが、独特の味とユーモアがあり、つい演じているキャラを好きになってしまいます。他の出演陣も良い味を出していたと私は思います。 それから、雰囲気はイーストウッド作品の「ミスティック リバー」に非常に近いものがあり、安心感とサスペンス感を上手くミックスさせたようなものでした。「ミスティック リバー」の雰囲気が苦手だった方にはオススメできません。それから、リアル感を出す為なのか音楽がほとんど使用されていないのも特徴で、人によっては眠ってしまうかもしれません。 さて、この作品の弱点は一目瞭然です。オープニングからウォルトとミャンマー人少年との交流に辿り着くまでの展開がはっきり言って遅すぎます。私としてはあの当たりをもう少しどうにかしてほしかったです。それから、疑問に思ったのはなぜ、グラントリノが車庫から出たり入ったりしていたのかがよくわかりません。別にウォルトが車を洗っていたわけでもなさそうでしたし・・・何となく不自然でした。 しかし、非常によく出来た作品で若者層にはオススメできませんが、年配層には思い出に残る作品になると思います。
イーストウッドの最高傑作
この映画は間違いなくヒューマン映画の最高傑作です!!
妻を亡くしてしまった主人公に残されたものは....
息子や孫との深い溝と
愛犬と
愛車のグラン・トリノと
戦争での悲しいトラウマ
だけでした。
そんな主人公がモン族という部族との交流をさかいに「生きる事の幸せ」を見つけていく過程がとても丁寧に描かれています。
そんなストーリーを軸に暴力による負の連鎖や人種問題など様々な内容が加えられて物語に深みを与えています。
さすがイーストウッド!!ただのヒューマン映画ではなかった!!
ラストはまさに「男の美学」を感じました。カッコよかったなぁ(;_;)
天下一品頑固じじぃ
10/4/9
さすがクリントイーストウッド。
まさにクリントイーストウッド。
偏屈じじぃ、がんこじじぃを演じさせたら右に出るもの無し。
こんな素晴らしい俳優がどうしてこんな素晴らしい作品を撮れるのか。
生きざま、死にざま。
あの死にざまはかっこ良すぎる。
きっとタオにも分かる。
伝えたかったこと。
ひたすら感動しました
偏屈で身内からも嫌われている爺さんが、まったくの他人に心を許していく過程。え?そんな事位で?それでいいんだ。と言う位簡単だったかも。でも、それ位過去の過ちに縛られて自分の殻に閉じこもり、身内だからこそ許せない事も有るわけで・・・人間愛というべきか。見終わった後、過去の過ちを彼にも味わわせたくない
という思いと自分の命が見えた為の決断だったと思うが、悲しい結末だった
モン族の家で、文句はなしよ
映画「グラン・トリノ」(クリント・イーストウッド監督)から。
会話のテンポがよくて、なぜか汚い言葉でも、
すんなり受け入れられたのは、不思議であった。
これは、もちろん脚本の素晴らしさもあるんだろうけれど、
字幕を読んでいる私にとっては、翻訳の妙でもある。
こんな言葉を訳すのは、若い人なのかな?と思ったら、
なんと戸田奈津子さんだった。(笑)
日本語訳でしかわからないフレーズが満載。
気になる一言もその1つ。
「モン族の家で、文句はなしよ」は、メモして笑えた。
主人公が口から血を吐く。「大丈夫?」と訊ねる人に
「舌を噛んだだけだ。下(1階)でもっと飲もう」と返す。
若い女の子を、これまた若い男3人が追いかけるのを見て
「三バカ大将が、後を追ったか」。
物語的には「少しは自分に磨きをかけろ」が光った。
磨き方を教えるのではなく、自分で試して覚えろ、
そんなメッセージが伝わってきた映画だった。
じじいの勲章。
我が家にも手のつけられない偏屈ジイさんがひとりいる。
この頑固ジジイときたら、今の若者の全てが気に入らないx
あっちで文句をつけ、こっちで愚痴を言い、でも結局は
何も変わらないことに嫌気がさしては、ブ~ブ~唸っている。
アレ?これってイーストウッドのポーランドじじいと一緒だv
この映画、おそらく私位の歳の人間が観れば大感動だが、
鼻ピにヘソ出しルックの若者が観たら、なんて言うだろう。
「あ~つまらねぇ!この説教ジジイが!」
そう思ったら大成功!…という卿の高笑いが聞こえてくる。
10代でこの感動を理解できれば、相当の年寄りになれる。
愛車グラン・トリノは、大事に温存されてきたこのジイさんの
価値観そのものなのだ。誰にも触らせず受け付けもしない。
孤高のイメージが自身の孤独を暗示し始めてもこのジイさん、
相変わらず悪態をついて、他を一蹴する。
身内にまで嫌われているこの男の一挙手一投足がいちいち
可笑しくて、ずーっと笑いっぱなし。こんな頑固ジジイを諭す、
27歳の童貞野郎(神父さん)のめげないしつこさにも脱帽した。
なのでこの映画が面白くなかった若者には申し訳ないが、
私には文句をつけようにも見当たらない。「チェンジリング」で
あんなに感動したばかりなのに、もうすっかり今作の虜だ。
そしておそらくそれが「今の自分」だからなのだ、と感じる。
長い人生を生きてきたポーランドじじいには、幾多の陰惨な
経験もあったろうし、愛妻との素晴らしい想い出もあったろう。
普通人間は、そうやって人生を歩む毎に丸くなろうものを(爆)
彼は、俺を誰だと思ってるんだ!と言わんばかりに猛々しい。
イーストウッド卿の、本性はこうかもしれない^^;
懺悔とか、ちゃんとしているのかしら…(大きなお世話ですね)
しかし作品としての資質は、相変わらずまったく無駄がなく、
ゆったりしているのにテンポが乱れず、すべてのドラマが
順序良く統合されていく。無名のキャスト達が喋る台詞にも
何かしらの意味があり無駄がない。ギャグまで的を突く始末。
隣に越してきたモン族(ホンモノらしい)姉弟との交流を通して、
改めて自身を学び始めた彼に転機が訪れ、やがて彼は
彼らを守るためにチンピラに正義の審判を下すのだが…。
おおよその予想通りだったラストは、もちろん悲しくて、
泣けはしたものの、なんともいえない清涼感にも包まれた。
多くの西部劇でドンパチを演じ分けてきた彼のカッコ良さが、
こういう形で次世代に語られるとは、実は思っていなかった。
彼はすでに若者たちの未来を見渡しているのだ。
エンディングテーマに酔いしれつつ(頑固な声で、唄ってます)
こんな遺言状のような作品を作ってしまった彼に脱帽するものの、
いや~まだまだ。ポーランドじじいには卿として君臨してほしい。
傑作なんか作りやがって。このバカタレが。(T_T)
(イカれイタ公も、アイルランドの酔っ払いも、そう思ってるぞ)
欲するなら,まず与えよ.
この映画の主人公ウォルターの周りには,
与えることに無関心で,
欲することしか知らない人たちばかりがいた.
ソファが欲しいとか,宝石が欲しいとか,
野球のチケットが欲しいとか,
そういう連中ばかりに囲まれて暮らして来たがために,
ウォルターはすっかり偏屈になってしまっていた.
電話がかかってきたり,人が家に訪ねてきたりすると,
彼は挨拶も抜きにして,まず相手の要件を尋ねる.
「で,何が欲しい?」
彼に言わせれば,人が電話をかけて来たり
家に訪ねてきたりする理由は常に決まっているのだった.
挨拶の言葉やそれに続く世間話などは,
相手が要件を持ち出すまでの前置き,
つまりはご機嫌取りの欺瞞でしかない.
そのような状況の中で,
ウォルターの家の隣に引っ越して来た人たちだけは違った.
その人たちは,与えることを知っている人たちだった.
隣の家の娘は,
不健康な食生活を送っているヤモメ暮らしのウォルターに
おいしい食べ物があるからと言って,
自宅のパーティーに来るよう誘ってくれた.
ウォルターがある時,隣の家の少年を助けると,
その日以来,彼の家には,花や食べ物などの贈り物を
お礼として届ける少年の親族の人たちの列が絶えなくなった.
ウォルターは,自分の死後,
持ち物をすべてこのモン族の人たちに譲った.
一番の宝物であるヴィンテージ・カー「グラン・トリノ」も,
このモン族の少年に与えられた.
ウォルターがかわいがっていた犬は
モン族のおばあさんに与えられた.
いわば赤の他人であるモン族の人たちが
様々なものを譲り受ける一方で,
身内であるはずのアメリカ人家族の人たちには
何一つ与えられなかった.
欲するなら,まず与えよ.
欲することしか知らぬ者には,
何一つとして与えられないのだ.
しかし,そんな彼らも一度だけ
ウォルターに贈り物をしたことがあった.
ボタンの大きな電話機と老人ホームのパンフレット.
ただしこれは,厄介払いしたいという彼らの思惑が
透けて見えるものだった.
ボタンの大きな電話機は,老人であることの自覚を
ウォルターにうながすための小道具でしかない.
これらの物の贈り主らは,結局,
自分たちのことしか考えていないのだ.
「欲するなら,まず与えよ」の利他精神が
彼らに理解されることはまずない.
この利他精神こそ,
ウォルターが人生最後の瞬間に実践して見せたものだった.
彼は,モン族の人たちが町の無法者らによって
苦しめられていると知ったとき,
この精神にのっとって行動したのだった.
誰かを助けるためには,
まず自分が犠牲にならなければならない.
ウォルターは,命と引き換えに
モン族の人々の苦しみを取り除いた.
具体的に言うと,丸腰で無法者らに挑み,
無抵抗のまま奴らの一斉射撃を受けることによって,
奴らを一人残らず刑務所送りにし,
社会から追放したのだ.
彼がこのやり方を思いついた背景には,
過去の戦争体験があったものと思われる.
彼はかつて朝鮮戦争に従軍し,多数の敵を殺した.
しかもそれは軍の命令で仕方なくやったことではなく,
自分の意思で,自分のためにやったことだった.
(彼自身が神父を相手にそう語る)
しかし,それによって彼が得たものは何もなかった.
期待した充足感や勝利のよろこびは得られず,
罪の意識だけが後に残った.
もしこれが誰かのために,
誰かを守るためにやったことだったとしたら
結果は違っていたかもしれない.
だからこそ彼は無法者連中との対決を
ためらわなかったのだろう.
自分のためではなくモン族の人たちのために行う戦いは,
きっとかつての戦争での戦いとは
違った結果を彼にもたらしてくれる.
彼にはその確信があったのだ.
彼は,この最後の戦いを一人で行った.
本当は,彼にも一人味方がいたのだ.
しかし彼はその味方を戦いに連れて行かなかった.
なぜならその味方の人物は,
自分のために戦いを行おうとしていたからだ.
その人物は,かつてのウォルターと
同じ間違いを犯そうとしていた.
ウォルターが彼を一人残して
戦いへと向かった理由はこれ以外にない.
頼りにならないからとか,
自分ひとり良い格好をしたいから
とか言う理由では絶対にないのだ.
最高!!
久々の当たり作品に出会った感じ。クリントイーストウッド監督作品の中でも私的には上位にランクインする!!ストーリーは単純ではあるが全てのシーンでアメリカに対しての皮肉的な発言をしている様にも思える。人種差別・銃・戦争等。特に主人公の朝鮮戦争帰還兵の払拭する事の出来ない心の痛み、最後に愛する人の為に身を張って守るが・・・・。この作品は絶対に観る価値がある。
今でもアメリカは怖い
見ながら色んな事を考えさせられた。イーストウッドと同じ歳の義父が一人で故郷にいて、母も一人で自分の故郷に住んでいて、最近電話してないなぁーと。
そして自分はあの長男みたいで・・・。
銃社会は怖い。見た人はラストでバンバン撃ち殺すと思った、といいましたが
ある意味それも有りか・・・と。でもそれだとダーティハリーと許されざる者のミックスに。殺人者になってもその方がスカッとするかも?
遠くの身内より、近くの他人 それは同じだなぁと。
でもあのラストはショックですよ。ファンとしては。
彼らいといえば彼らしいけど。
サンダーボルトとおくりびとの臭いを感じました。
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