「偏屈ジジイとシャイボーイ、社会に背を向けた老若の友情」グラン・トリノ 永賀だいす樹さんの映画レビュー(感想・評価)
偏屈ジジイとシャイボーイ、社会に背を向けた老若の友情
偏屈ジジイとシャイボーイ。
人生に背を向けているという点では、両者似たものがあるのかもしれない。
グラン・トリノは、このステレオタイプな二人を引き合わせ、友情と男の絆を示してくれた。
まず、クリント・イーストウッド演じるウォルト・コワルスキーの偏屈っぷりがすごい。
妻の葬儀に孫のファッションに腹を立て、家に集まってくれた遺族らに「ハムを食いに来ただけ」と突き放す。友人と呼べるのは愛犬のデイジーくらい。
庭に入ってきた乱暴な東洋人には、朝鮮戦争で使っていた愛用のライフルを突きつけて追っ払うという超保守的なアメリカ人で、日本で言うところの「昭和一桁生まれ」といったところの頑固者。
他方、家族からも「女みたいで大丈夫なのかい?」的なことを言われ、当人も伏し目がちで口数も少ないモン族の少年がタオ。
本を読みながらストリートを歩いているところなんか、二宮金次郎的ではある。
ところが映画『グラン・トリノ』の舞台は、そんなインテリぶった少年が尊敬されるほど牧歌的な街ではない。チンピラに難癖つけられ、言いたい放題言われっぱなし。情けないぞ、タオ少年!
そんなだから自動車ドロボーを強要されてしまう。
狙うはコワルスキーの愛車、グラン・トリノ。
そこで盗人と被害者という奇妙な出会いが二人を結ぶというプロローグ。
いくら偏屈ジジイとシャイボーイに社会性がないからって、まさか自動車ドロボーから友情に発展するとは誰も思うまい。
否、『グラン・トリノ』に期待する観客の多くは、このくらいのイントロ情報は仕入れているだろうから、観る人にしてみれば既知の事実なのだろうけど。
ただ、そこからつながる二人の友情と結末は予想できないと思う。
というか、偏屈ジーサンが少年との友情通してハートウォーミングになるなんてメロドラマ、まさかイーストウッド監督がそんな作品つくるわけないと思うから、どこに向かうんだろうと奇妙なハラハラ感。
本なら早くページをめくれば済むことだけど、ところがどっこい映画が相手じゃしょうがない。黙ってシーンを追う。
結果、何が待っているか。
それはコワルスキーじいさんの生き方そのものが問われる。
シャイボーイのタオ少年一人を男にしてやるだけでは足りない業が、ヴィンテージ車のグラン・トリノ同様、長い歴史を背負ったコワルスキーじいさんは、今までのやり方で通用しない苦しみを味わう。
観客も味わう。生々しい苦痛を。
そして全てに決着をつけるべく、コワルスキーじいさんは、死を覚悟したサムライが鬢を整え、身だしなみを正すのと同じく、きちんと身支度するのであった。
アメリカ人は結婚前夜に未婚生活最後の日としてコールガール呼んでパーティーするような連中だと思っていたから、覚悟を決めた男が静かにそのときを迎えようとする態度に感動。
日本人としても静謐な緊張感の高まりに共感しますぞ!
決着のつけ方はいろんな意見があると思う。
それでも家族にさえも心を開いてこなかったコワルスキーじいさんが、最後の最後に得られた安らぎは、こういう形でなければ結実しなかっただろう。
そういう意味では、これが一番受け入れやすい結末。
最後に走り抜けるグラン・トリノ。
その後ろ姿を見ながらのFin。
うーん、味わい深い。
劇場での上映中、みんなして褒めそやしてたのがわかります。
僕も映画館で観たかった。
では評価。
キャスティング:6(クリント・イーストウッドの存在感が全て)
ストーリー:8(コワルスキーじーさんの少年との友情、生き様。自然に入ってくる心の変化)
映像:7(カットを多用せず、じっくり見せる映像と演出)
偏屈:7(ここまで頑固ジジイに徹してくれたら、逆に清々しいほど)
友情:9(社会性に乏しい偏屈じじいとシャイボーイが、徐々に心通わせる様子が見事)
というわけで、総合評価は50満点中37点。
旧車ファンなら共感しまくりのシーンが詰まっているそうな。オススメ。
偏屈なまでの頑固一徹男の生き様を捜している人にビンゴ! とってもオススメの映画。