「人間は魂で繋がっている、ことが核の作品」ウルトラミラクルラブストーリー こもねこさんの映画レビュー(感想・評価)
人間は魂で繋がっている、ことが核の作品
以前、東北のウエストコーストを走る鉄道・五能線に乗って、秋田の能代から弘前まで、途中下車をしながら旅をしたときのこと。列車が駅に着くたびに、車窓から見た駅の広告看板の中に、一枚か二枚、何を売っているものか、どういうものを宣伝しているのか、皆目わからない看板を目にして、毎回、首をかしげていた。青森の言葉はまるで外国語だなあ、と感心したものである。この作品の中でも、東京から青森の片田舎にやってきた麻生久美子を保母さんとして迎える幼稚園のウエルカム・パーティで、地元の子ども二人が何を話しているのか皆目わからない漫才をしているシーンがあるのだが、そのときの麻生久美子の困惑した表情が自分が五能線で旅したときを思い出させて、とても可笑しかった。
だから、この作品の観客側の視点は、自然に麻生久美子となるのだが、演出側の視点は、松山ケンイチ演じる主人公の地元の青年だ。最初はアン・バランスに見える二つの視点が、次第に見事に調和してくるところが、この作品の面白さであり、不思議な魅力だ。
松山ケンイチ演じる(好演!)青年は、落ち着きがない、やや精神バランスが崩れた人間だ。ところが、東京からきた麻生久美子にひと目ぼれした途端、自分を変えようと穴を掘って埋まったり、毒性の強い農薬を浴びたりして「進化」をとげて、真人間になろうとする。しかし、それがもとで死んでしまうのだが、何と生き返ってしまう。この前半の部分は、アンバランスな二人の関係性がとても可笑しいのだが、青年が生き返ってからは、人間の繋がりには愛情ではないものもあることを、この作品の監督は教えてくれる。
松山ケンイチの青年が生き返ってから、麻生は彼と暮らすようになる。それは一見不思議なのだが、実は、そこに魂の繋がりがあるのだ。麻生は、青森に来る前に元カレが事故で首が飛んでしまい、心に穴があいていた。その穴を埋めたのが、生き返った青年の魂なのだ。人間の魂というのは、お墓に留まることなどなくさ迷うもの、らしい。そのことは、この作品の中で口寄せの巫女が証明?しているのだが、東京で暮らしていた麻生は、青森の地でさ迷っている魂の存在を見て、そこに引き寄せられた。この映画の女性監督の横浜聡子は、理屈を排除した人間性の中に魂を見出し、人はそこに惹かれるということを演出している(ラストシーンに魂そのものが登場する。それは観てのお楽しみ)。一見、不思議すぎてついていけないとも感じる観客もいるかもしれないが、魂でつながる人間、というのは、古代から信じられてきている原始的な宗教の教えに近いものだ。だから、不思議と感じても観客の心の琴線には触れる、演出の見事さをこの作品から感じるのである。
横浜監督は青森出身らしいのだが、青森と東京の二つの視点で描く、という発想も実に面白かった。東京の人間たちは、愛だの信頼だの、感情や理屈で人との関係性を持とうとする。しかし、東北では、それに魂がプラスされる、ということを感じ取ったからこその演出だったと思われる。こういう発想と視点の良さは、一歩間違うと、観客に拒否されてしまうような作品も発表してしまう危険性もあるが、そんな失敗作になろうとも、横浜監督の次回作もぜひ、期待したい。