ミスター・ノーバディのレビュー・感想・評価
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社交辞令ではない
インターネットで映画情報を入手したり、人様のレビューをたくさん見る機会があるってことは地方の人間にとってはうれしい限り。
レビューする人がオレもふくめ、色んなことが書けることはいいことだとも思うし、それはたとえ映画に対するひどい悪口でも、オレのお気に入りの映画をけなすようなコメントがあってもかまわないと思う。
もっと「その人な」レビューをたくさん見たいという思いもある。
常連レビュアー様に特にそう希望します。
まあ、それはそれで本作を知ることが出来たのもそういった環境のおかげであるのは間違いないんだよね。
欲をいうと映画館で見たかった2011年公開の映画といえば、これ。
「トランスフォーマー ダークサイド・ムーン」を11年のベストにしたのは、オレに十分な理由があったわけなのだが、これを見ていたらそれとは別の理由でベストにしたであろう本作。
「ダークサイド・ムーン」は映画館で見ないと意味が全くないどころか、テレビ画面でみると全くゴミな映画。
本作は映画館で観たら、もっとその世界に吸い込まれただろうと想像できる映画。
オープニングのニワトリからもうヤラれてしまった。
そしてその後の映像と凝った編集、そして何より、その凝った編集に違和感無く存在する役者たちの演じ分けの凄さ。
バタフライ・エフェクトな世界観に酔うのもよいが、ジャレッド・レトのすごい役者っぷりに酔いたい。
目が離せない映画とはまさにコレ。しかもそれはとても居心地のいい2時間30分。唯一オエっと思ったのは、じじいの未来世界ぐらい。
パラレル・ワールドと見るときっと退屈するので、注意。
ポイントは子供の妄想とじじいの振り返りが混在していることだが、じじいの振り返りはほぼ無視してかまわないと思う。ガキの妄想がメインなんだが、どのパートにも実は直接関わらないでもアンナが存在しており、ここはじじいの思いが強く介入しているんだと思う。
しかしオレはじじいの世界も子供の妄想だと思っている。
「選択しなければ可能性は無限だ」
じじいが死んで、宇宙の時間が逆戻りするのは、その可能性の極端なのだろう。
しかしそんな可能性は実際のオレたちにとっては、有り得ない可能性。道の無い道は選べない。
待ってくれている人のいるほう以外なんて選べない。
だけどオレは無限の可能性を追うのでなく、決して選ぶことの出来ないことにはなっていないことをこの映画で実感している。
そしてこれはオレがいつでもこの映画をみると、オレは「選択できる」ことを思い出させてくれる映画となった。決して若くはない。でも「選択」できることを認識しよう。
そしてそれが大なり小なり他への影響があることも。
主人公ニモの行く先々の女性は皆泣いていた。「選択し実行すること」は「責任」を伴うんだね。当たり前だけど。
だから、だから選択し実行しよう。
こんなレビューにも責任はあるのかもしれないが、まあ、そんな難しく考えなくとも、生涯気楽に付き合える映画に出会ったことに感謝。
気楽に、というのがこの映画の強み、と思ってもいるしね。
そして映画コムに感謝。
人生の選択には意味がある
あらゆる選択、可能性、未来を思い出していく。
「私の生きたどの人生もが真実で、どの選択も同等の価値があった」
ラストで、「あらゆる未来を創造した、選択の根本である」9歳のニモが、人生で初めて本当の選択をする。
そして他の世界線は"彼"にとって必要なくなる。
しかし、どの選択もすべからく価値があるものなのだ。
長過ぎる
とにかく長い。
このレベルのストーリーなら10分でショートショートのほうが完成度は高かったと思われる。
映像が綺麗
演技上手い
パラレルワールドで、いくつもの分岐を描いた点は評価する。
他の作品だと最初の分岐との並行世界が多いと思う。
しかし、その分話が難解になって、ついていけない人が多いのではないか。
最終的には子供の夢の中の住人と言う落ち
どう考えても長すぎる。
前半一時間でわかっても良かった落ちだと思う。
その夢の住人がどう現実世界に影響を与えるかなどの話に持っていったほうが盛り上がったと思う。
最後の最後で、時が巻き戻る落ちや、ハッピエンドバージョンもパラレルワールドだからあるんだよね!!という落ちにも長すぎて、「そですか」としか思わない。
とにかくアートよりなので、ストーリーよりも美術鑑賞に近い。
それにしても長いので、5分くらいで作ったほうが良かったと感じる。
よくわからん
これはよくわからない。
なんか色々解釈をつけようと思えばいくらでもつけられそうだけど、そんなことしても意味無いと思う。
不思議な話にこのあとどうなんのか?と、最後まで観はしたが、終わってみれば観なくてもよかったなという感じ。
全て少年の描いたあるはずだった未来の可能性だったのか、理想のイフの...
全て少年の描いたあるはずだった未来の可能性だったのか、理想のイフの未来だったのか、それとも未来を見通す能力を持っていたのか
私は全て少年の描いたフィクション、選択を下すためのオプションだと考えた
どの選択をしても最後には笑って死ぬ、こう思い込むことで自分の決断に自信を与えた
こう考えた
大人の頃の彼も、行動が子供っぽくて純粋で一生懸命で、電車を追いかける少年に幸せになってほしいと思った
難しい
ジャレッド・レトってザック・エフロンに少し似とるな。どうしても真実か事実が知りたいから、こういう映画は苦手。バイクで事故って色んな妄想か夢を見ているのが一番、真実味があった。ジーンに対しては他の二人と比べて気の毒に思った。エリースとの物語での主人公はちょとおかしかったかな。内容がちょっと難しかった。
"Every path is the right path."
この作品は大好きで何度も観たくなる魅力と仕掛けが詰まってる。
科学的に不死が可能となった未来で人々の注目する中、世界最高齢の男が死を目前に自らの人生を語りだす。
しかしそれは3通りの人生12通りの期間を生き、3人の女性を想い、想われ、愛したという矛盾を孕んだ不可解なもの…
また「多次元宇宙の平行世界」「存在認識」などテーマに加え「バタフライエフェクト」「エントロピー」などの要素が絡んで複雑さは加速する。
老人の回想かそれとも少年の想像か.....逆説にしろ順説にしろ成立する素晴らしいストーリーテリングは"答え"が無いからこそ"味わえる"モノ。
それにしてもあのラストは素晴らしく美しい。
そんな複雑なストーリーが圧倒的な映像美で描かれ、タイプライターと同期した映像進行や逆再生などの編集面、文字の出し方ひとつにしても「アート」を感じさせる。
ここまで知的に「アート」と「エンタメ」を両立させた作品は稀だと思う。
オープニングに映される「"鳩の迷信行動"実験」に大きな意味があり、「もし選択しなければ全ての可能性は残るんだ」との少年の言葉が物語全体を支配しているのだと思う。
讃歌的に人の人生と喜怒哀楽を描けるドルマル監督は多分、色々な物事を俯瞰出来る人なんだ...
キェシロフスキ監督なんかもそうだけど、そういった作品を撮れる人には感心するし感銘を受ける。
今後もこのジャコ・ヴァン・ドルマル監督から目が離せそうにない…
『Mr.Nobody』が気に入った人は是非ジャコ監督デビュー作『Toto le héros』も観てほしい。
意識し乍ら観ると作中のあちらこちらに共通点があって『Mr.Nobody』が『Toto le héros』の壮大なリメイクでは…と思えてくる。
老人トマの「私の人生は何も無かった」という語りで始まるも、逆に「何があったか」を描いているトコロがこの作品の魅力で、『Mr.Nobody』にも繋がるメッセージなんだろう。
いかなる人生にも美しいトコロはある。そんなことを気づかせてくれる大切な作品です。
圧倒的
見終わった後は、とにかく呆然。
すごい映画を観たことは分かるのだけど、どう凄くてどこに感動したのか、自分でもうまく説明できない。でも感動した。哲学的な要素もあり、難解ではあるけれど、なんだか解ったような気もする。見終わった後にこんな不思議な気持ちになりながらも、同時になんとも言えない幸福感を得られる映画はそう無いのでは無いでしょうか。
人間誰しもある、「あそこでああしていたら……」がパラレルワールド的に展開されていくSF映画。これだけ見ると類似の設定の映画がいくつか思い浮かびますが、この映画の手法は、まさに圧巻です。無数に枝分かれしていく人生と、それぞれのニモの選択と、三人の女性に、それぞれの物語。どの人生も悲壮な展開を見せ、その度にまたある場所ある時間からの人生をやり直し、また終わる。数多くのニモたちがいて、それでも混乱を見せず巧みに描ききった監督の手腕に終始圧倒されました。主演のジャレッド・レトの、老人ニモは言わずもがな、サラリーマンから学者(?)、はてはプールの清掃員まで違和感なく演じきることのできる不思議な存在感も、それを助けているように思いました。あの綺麗な色の目、本当に引き込まれます。加えてニモたちの子供時代を演じる子どもたちの可愛いこと!あのなんともいえない幸福な時間の描写が、また素敵なんですよね。
最後は乱暴に言えば投げっぱなし、観た人に解釈を託すような終わり方なので、映画にすかっとした明快さを求める人にはお勧めしにくい部分もありますが、それでも、最後に笑ったニモ老人と畳み掛けるように展開する映像。別れ道を「選択しない」ことで新たに開かれる道。見終わった後の不思議な幸福感を是非味わって欲しいと思います。
たられば
すごい!
エターナルサンシャイン、バニラスカイを思い出しました。
でも、もっと深くて重い。
誰もが一度は考える「あの時こうしていれば・・・。」
後悔と幻想をぐちゃぐちゃにして夢を見ているのような作品でした。
素晴らしい作品です。
〜私の生きたどの人生もが、真実だ。
どの道も、正しい道だった。
「人生には、他のどんな事も起こり得ただろう。 それらには同等の意味があったはずだ。」 テネシー・ウィリアムズ
君は存在しない。
・・・終焉の言葉に打ちのめされました。
未来の果てだからこそ魅力にさせる人間の未練たらしさ
人間が不死となる前の貴重な存在である彼が、力を振り絞って自分の人生を振り返り、過去を語り出していくが、年が年だけに記憶が曖昧で、真実はヤブの奥へ迷い込んでしまう一風変わったSF映画。
あの時、Aをチョイスしたらこうなり、Bを選べば人生はこう変わっていたかもしれないという選択が幾重にも分かれながら進む展開はif系映画の王道を踏襲しながら、未来SFと掛け合わせた味わいは斬新で、難解さは意外と薄く、嗜みやすい面白さだった。
全ての欲望を厳しく統制する未来社会だからこそ、彼の単純な未練たらしいためらいや欲情が活き活きと魅力的に共感できる。
私も死ぬ間際になるとベッド上でこんな追想に没頭しながら、あの世へ旅立つだろう。
死にかけた他人の今と過去に随時、密着する周囲の了見は『トゥルーマン・ショー』より残酷な生中継だが、未来の社会の無機質な呼吸と、主人公の人間っぽい等身大の記憶との温度差が陰湿な切り口を和らげ、皮肉な人情噺という奇妙なバランスを築き、最後まで飽きさせない。
観終えた後、自分の職場にも大勢のニモ氏が生活している事に気付く。
身近なニモ氏達の「もしも、あの時、あの選択を…」に出逢った時、私はどんな温度で見守ってあげれば良いのだろう?
答えは未来に置き去りにして、最後に短歌を一首
『夢の岐路 結び目を踏む 幾重にも 終着駅(ゴール)をなぞり 眩しさを問ふ』
by全竜
映像美、ストーリーの発想の楽しさ、これぞ映画!笑って、泣けてまた感動!!
人の人生は、常に選択の連続である。ある始めの選択を一つすると、その後に選択する事になる選択肢が最初に下した選択の影響下にあり、そこに何か連続性が生まれてしまい、人は最初の選択を違えていたら、また他の廻り合わせの選択肢を選ぶ事が出来ると想像する。
これを、バタフライ現象と呼び、その人生と言う選択の連続性の面白さを描いた作品は多数あるものだ。そう言った近未来ものは、『バックツーザ・フューチャー』や古くは『素晴らしきかな人生』と数年前の『バタフライ・エフェクト』等多数ある。人は余程、こうした現在の選択以外の選択肢に思いを馳せるのがお好きらしい。これって現状に満足出来ない、人間のサガなのか?不安の表れか?果ては、人間は常にわが人生に対し夢想家なのか?分からない。しかし人はいかなる人生の選択をしようとも、それが運命と呼ぼうが、呼ぶまいが、総ての選択のその先に浮かび上がるのは、常に愛を求めて止まないのが、人間という動物の姿とこの映画は言いたいのか?
先の人生へと選択を続け、模索する行為は愛を生きる事そのものと、そしてそれが生きる原動力の源とこのジャコ・ヴァンドルマル監督は表現したいのであろう。
結局どの人生を選ぼうとも、そこに描き出される結果は同じであると言う事なのかも知れない。この映画の中に繰り広げられる、ニノの幾多の人生も最終的には、同じ人生と言えるのではないだろうか?それ故違った人生の筈のそれぞれが、みな同じ一つの夢の様で、どれが本当に体験してきた、我が人生なのか、自分でも、本当に思い出せないと言う不幸?否、平安を手にしているのだろうか?後悔の無い人生の終焉をみな人は望む。近未来に、人は死を迎える事さえ、科学の力で回避出来る日が来るのかは未知数だが、それが、もし、本当に可能となってしまう日が来るのなら、何を目的に、何をゴールとするのだろうか?
ニノでなくても、人は迷宮に入り込んでしまうのではないだろうか?
こんな怖くもあり、楽しい想像の世界を独自の、映像美で楽しむ事が出来るのは素晴らしい!じっくりとこの世界を楽しむと、また明日を違った世界観で、生きてゆく希望を手に
する事が出来る気がした。そんな夢をまた一つ見てみたらどうだろうか?
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