それでも恋するバルセロナのレビュー・感想・評価
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Why love is so hard to find? ・・・で?
2018年にハリウッドで最も稼いだ女優はスカーレット・ヨハンソンらしいです。というわけで「スカヨハ強化月間」として1ヶ月でスカヨハの出演作を色々と観ていこうと思います。「アベンジャーズ」でよく観るスカヨハなのですが、意外とそれ以外って観てないんですよね。
第一回は「それでも恋するバルセロナ」です。あれ?これってジャケット見て主役がスカヨハかと思いきや、実は主役はレベッカ・ホール?しかもペネロペ・クルスが本作でアカデミー賞取ってたなんて!確かにスカヨハよりもペネロペの方がインパクトありますね。もちろんスカヨハも美人なのですが、ペネロペの絶世の美女かつエキセントリックなキャラクターを前には部が悪いです。
本作の監督はかの有名なウッディ・アレンだったんですね。全く知らずに観たのですが、ウッディ・アレン作品観たの初めてかも?人間模様を描かせたら一流みたいなポジションの監督のようですが、正直それほどのもんなのかな?っと思いました。まぁ、一昔前の監督なので現代人の感覚とちょっとズレがあるのは仕方ないかなっと。
話のテンポは良くサクサク観れるのですが、どうしても「だからどうした」感がぬぐえません。きっと白人との恋愛観って日本人とは全然違うんだろうなぁ。何はともあれ若い頃のスカヨハとペネロペを愛でる作品でした。
人間の本能を上手に表現している名作
女性ってこうだよな~~っていう作品、人間の性、人生を考えさせられる名作だと思います。
女性が脳内ホルモンPEAやオキシトシンの分泌により理性でコントロール出来なくなくなった情事を上手く表現しています。
この作品を見て不快に感じられる方々は人間が何万年もの大昔から引き継いでいるDNAに理性で抵抗しようとしているのだな~と勝手に推測してしまいます。
DVDを何人かの女性に貸しました。
人それぞれ人生いろいろ
人は皆違う星の下に生まれ、異なる性質をもち、
合うもの、合わないものもまたちがう。
またタイミングがひとつ変われば全く異なる方向に
事が運ばれていく、
自分がその場から動こうとしなければ、あまり感じることも
ないですが、インスピレーションで動いてこの流れを
楽しめるような人を、客観的に見られるのは楽しいですね~
自分もそのタイプなので、とりあえず動いてみちゃう人は
大好きです。
結局、違うわ!って戻るのもアリだし、そのままの流れに
乗るのもアリだし…やらずに後悔するより、やって後悔するほうが
精神的に健康でいられるかと。
人生の色んな可能性が垣間見れて、なんか元気出ます。
しかしスペイン特にオビエド、キレイな場所でした。行ってみたい。
昔ならばアレン自身が演じるところなのに
いきなりナレーションによる解説が入り、映画はサクサクと進んで行く。
まるで往年の映画は90分程度が一番集中して見られるのを計算しているかの様に…。
確かに前半はナレーションの効果も在って軽快に進む。
恋愛には慎重なレベッカ・ホールと、身を焦がす恋に飛び込むタイプのスカーレット・ヨハンソンの仲良し2人。
この2人に言い寄るハビエル・バルデム。しかし、彼の元妻ペネロペ・クルスが…。
ハビエル・バルデムの役は昔ならばウディ・アレン自身が演じたのだろうが、流石に今この役を演じたら単なるピエロになってしまう。
初めは警戒していたレベッカ・ホールの心が、段々と彼に惹きつけられて行く辺りには割と説得力が在る。この辺りまではとても面白かった。
その後も、婚約者がいる彼女との関係を離れてスカーレット・ヨハンソンとの仲を深めて行くに従い、やきもきするレベッカ・ホールの気持ちに感情移入する作りになっており面白い。
しかし…。
ここで、元妻ペネロペ・クルスが登場。
これが往年のアレン映画だったならば、主役を演じるアレン自身がああじゃない、こうじゃない…と、大仰な身振り手振りを用いては、身の潔白をお馴染みの早口でまくし立てては笑いを誘う場面なのですが…。
残念ながら、仲良しの2人がドロドロの関係になるでも無く、元妻が表れてもなかなか泥沼の修羅場が在るでも無く…。
それぞれが極めて冷静に対処する為に映画は弾いてはくれない。
やっと最後の最後に元妻ペネロペ・クルスが半狂乱となって、映画自体は動き出すが時すでに遅し。
ウディ・アレンお得意の設定ながら、演じる役者が違うとこれほどまでに変わってしまうのですね。
やっぱりこの手の内容ならば、男の側が右往左往しなければなかなか笑いには繋がらない気がしますね。
あれだけ女性に対して冷静に対処しては、面白い話も盛り上がらなくなるのも宜なるかな…ってものでしょう。
(2009年7月2日丸ノ内ピカデリー3)
オシャレで情熱的なスペインの恋
親友同士の女性2人がスペインのバルセロナへ夏に旅行へ行き、情熱的な恋に落ちる物語。
ザックリ言えば、ダメ男の芸術家に、真面目な女の子のヴィッキーも、自由奔放なクリスティーナも惚れてしまい、それぞれが色んな想いを持ちながらグルグル回るんだけど、決してドロドロせず、コメディタッチでそれぞれの観点をテンポ良く描写している。そしてまた音楽が素敵で、まさにウッディアレンという感じの作品。
恋愛は、本当に色んな形と価値観があって、そしてタイミングとか捉え方次第でこんなにも自由。クリスティーナのように「望まないものは何かを知る」こと、ヴィッキーのように「理想を貫く」こと。でも時には迷ったり、やっぱり違うと分かったり。一夏の恋をこんなに楽しく、対照的な2人をオシャレに描いてしまうのは流石。映画だよねーと言ってしまえばそれまでだけど、恋愛感情のポジティブな部分だけを取り出したら、きっとこうなるのだ。
助演女優賞を取った芸術家の元妻役のペネロペ・クルスが非常に綺麗で、建物や映像もまた素敵。
バルセロナに行きたくなる作品。
危険で甘く官能的な恋愛模様って・・・(女性向き)
作品評価はみて知っていたのですがこの作品は男性向きではありません。スペインのバルセロナを舞台に危険な魅力を持つ画家と精神分裂気味の元妻、奔放な生き方を好むアメリカ女性、安定した結婚を望むアメリカ女性とのある意味四角関係です。女性の目線で描かれているし、何といっても奔放な性へのためらいや憧れは正直男には??て感覚があります。絶世の美女3人(個人的にはレベッカ・ホールは微妙だが)と関係を持つハビエル・バルデムがうらやましすぎるって俗世間的な視線になってしまう・・・(実際にペネロペ・クルスと結婚して子供出来ちゃうし)まあ映画ってまさしく「夢見る」為にあるわけですからいいよなこいつって思って観てもいいかもしれません。それくらいペネロペ・クルスやスカーレット・ヨハンセンは美しく魅力的です。又、ストーリーや配役、映像、音楽は完ぺきです。監督が描きたいものが良く伝わってきます。何度も言いますが男性向けではありません。
今夜の私、どうかしてるわ
映画「それでも恋するバルセロナ」
(ウディ・アレン監督)から。
婚約者もいる真面目なビッキーと、
情熱的な恋を求める自由奔放なクリスティーナ。
親友同士の2人は、夏のバカンスを過ごすバルセロナで
魅力的な画家に出会い、それぞれ彼に惹かれていく。
この惹かれ方の違いが、私には面白かった。
正反対のような性格をもつ2人の女性なのに、
結局は、同じ男性を好きになっていくから不思議である。
気になる一言は、こんなプレーボーイみたいな男は、
私の大嫌いなタイプ・・と思っていながら、
一緒に楽しい時間を過ごしたことで、
婚約者がいることも忘れ、ワインを飲みながら呟く。
「今夜の私、どうかしてるわ」
ラブコメディなので、恋愛にまつわる台詞は溢れたが、
これが一番、インパクトがあったフレーズとなった。
よく耳にする台詞のような気がするが、
これを言われたら、男性はもう落ちたようなもの。
恋愛は「勝負パンツ」より「勝負セリフ」が大事。
覚えておいて、損はないと思うのだが・・。
スペイン観光推奨ムービー(それだけ)
これを見るとスペインに行きたくなる…ただそれだけの映画としか思えなかった。
確かに情熱的な恋が生まれそうなスペインの風景がもりだくさんだが、「スペインといえば情熱的な恋」というのは、「日本といえばサムライ・忍者」というのと同じくらい浅い先入観で、そのイメージだけで創られているように思えて薄っぺらく感じた。
「草食男子」が主流になりつつある今、ハビエル演じるファンみたいな肉食フェロモン男に女がこぞって惚れるって古臭い。その"魅力的な男"であるはずのファンもペネロペ演じるマリアのキャラに負けてるし。(ペネロペは良かった)
ハビエル・ペネロペ・スカヨハが倒錯した三角関係に陥るくだりは面白かったので、3Pのベッドシーンくらいあったら良かったのに、脱いだのはスカヨハだけというのも物足りない。
恋に暴走しようとしたヴィッキーがマリアにビビってあっさり元サヤに納まるズッコケなラストを見て、この映画はコントなのだと気付いた(笑)。
それより懲りない夫婦喧嘩。
W・アレンの作品ならば、公開時に頑張って観なくても?
いつもの名画座に来るのは分かっているのだが…^^;
でも、やはりP・クルスがオスカーを獲った作品なので。。
とっとと観に行ってしまった。内容はいつも通り?の感じ。
もっとコメディ…だと思っていたので、期待とは違ったが。
最近ではニューヨークを飛び出して?いろんな処で、様々な
シチュエーションで映画を撮っている相変らず精力的な爺…
あ、監督ですが^^;70歳をとうに超えてなお恋愛映画を作る
のだから大したもん!お気に入りのスカヨハ嬢をしっかりと
主役に据えるも、脚本はスペイン女優のペネロペの為に書き、
オスカーを狙わせる。という見事な筋書き。
この監督なら獲れる!(って思ったかどうか分からないけど)
ペネロペはすっごく受賞したがっていたらしい…^^;
う~ん…。でもなぁ、私だったらこの作品より、彼女らしさを
抜群に描いてきたP・アルモドバル作品であげたかったなぁ。
今回の役でも精神分裂気味な演技が光っていたけど^^;
あのアイドル顔で、かなり深い精神的演技の出来る人なので、
アレンの軽妙感覚とは、ちょっと違う気がするのだが…。
まぁでも、獲れたのだからいいか。
彼女のことを絶世の美女!って劇中で元夫のハビエルさんは
言ってたけど、どう見てもそういうタイプではないと思うぞ~。
そして偉大なる鬘俳優(と勝手に名付けている私)のハビエル、
今回は地毛?でまったく普通の爽やかで厭らしい画家だった。
彼らがいくらどうゲージュツ家である。と言ったところで、
アレン映画の中でのことなので^^;ぜーんぜん真実味がない。
女をひっかける得意技はある!といっておこう。
スカヨハがまさか^^;の展開に陥る後半と、ペネロペが実は
公開できないほどの禁止用語を連発?しているまくし立て、
確かに観応えはあるけど、でもまぁ、ひと夏のおバカな経験。
夫婦喧嘩は犬どころか、だーれも食べたくなどないのだ。
(それでも懲りないのは、おそらく監督自身なんだろうな^^;)
いい女だなあ
「やっぱり、女は胸がデカくなければ!」
ふだんは特に思ってないけど。
スカーレット・ヨハンソンとペネロペ・クルスという、二大“ムネが大きくて美しい”女優の姿を見せつけられては、こう思わずにはいられない。
たんにムネが大きいだけじゃなくて、顔も全身も、すみずみまで女っぽい。
ああ、なんてきれいで素敵なんだろう、ふたりとも。
ウディ・アレンは、この美人ふたりをただただ見ていたかったから、この映画を撮ったんじゃ、ないの?
やっぱり、女優たるものは、演技力は当然としても、きれいでなければ!
ストーリーは軽くスピーディーに運ぶ。
根っから女好きの画家フアン・アントニオ(ハビエル・バルデム)が、アメリカから夏の休暇に訪れたふたりの大学生(スカーレット・ヨハンソンとレベッカ・ホール)をまとめて一度に口説く。
ふたりとも、スピードは違えど遊び人のフアン・アントニオの手中に堕ちる。
自由な恋愛を志向するクリスティーナ(スカーレット・ヨハンソン)はすぐ彼といっしょに住み始め、慎重派のヴィッキー(レベッカ・ホール)は婚約者がいることで良心の呵責を覚えながらも、真面目で退屈な婚約者にはない、ワルの魅力を画家に感じずにはいられない。
ふたりの女性がそれぞれメロメロになっているところへ、画家の元妻マリア・エレーナ(ペネロペ・クルス)が、クリスティーナと同棲中の画家の家へ突然転がり込んでくる。
絵に描いたような三角関係となって険悪になったのもつかの間、恋敵であるはずのクリスティーナとマリア・エレーナはお互いの才能を認め合って意気投合し、穏やかな3人の同居が始まる。
しかしいつまでも蜜月は続かず、クリスティーナは自分の生き方を問い直し始め……という、まあよくある感じの、限られた場所・限られた期間で恋が錯綜する話だ。
たいしたテーマがあるようにも感じられず、こんな小品でペネロペ・クルスはよくアカデミー助演女優賞を獲得したなと思った。
期待したより出番が少ないし。
まああの女っぷりのよさは毎度ながらすばらしいが。
彼女は故国スペインの地に立ってこそ、したたるばかりの魅力をさらすことのできる人なのだ。
男に欲望されなければ、女としての価値などないわよ。
ペネロペの肢体と、劇中でクリスティーナの構えるカメラの前に立ったときの表情はそう語っている。
3人の女を次々とモノにしていくハビエル・バルデムのワルな魅力は、どうだろう?
ウディ・アレンは基本的に女優にしか興味のない監督だと思われるので、たしかにハビエル・バルデムは今までの出演作中ダントツの色男ぶりだけれど、いまひとつ存在に説得力がない。
どうして女はこの男にメロメロになっていくのか……セックスのよさを予感させるから?
でもあれは、ほぼ、気の持ち方次第だからね。
彼の口説き文句「寝てみれば自分のほんとの気持ちがわかる」ほど無意味な言葉はない。
なぜなら、女は、彼の演じるフアン・アントニオという男より、フアン・アントニオという「出来事」=シチュエーションでありオケージョンに触れたいのだから。
自分の欲望と交わるようなもの。
だから彼の元には、結局だれも残らない。
映画が空港で始まり空港で終わるのも象徴的だ。
空港は、到着と出発がたえずくり返されるが、そこへ降り立ち飛び立つ人の心境は、多くの場合まったく別ものになっている。
人は、人といっしょになることで、欠けていた部分を埋め、完璧に近くなれる。……と、思いこんでいる。
そんなにうまいこと、ジグソーパズルのように人が完成するなら楽なものだ。
人と関われば関わるほど、どんどんピースはぐちゃぐちゃになり収拾のつかない状態になっていくのに、「欠けていた部分をあなたが埋めてくれた。あなたがいるから、私は十全に生きられる」という幻想から抜け出せない。
登場人物たちの最大の愚は、自分のなかではなく、自分と関わり合った他人に、最後のピースを過剰に求めすぎているところだ。
全編にやたらと食事シーンが多く、そのわりには料理じたいはあまり映らず、ワイングラスばかりが強調されるカットに、彼らの愚かさや未完成な人間性が投影されているように思った。
でもべつに、愚かでかまわない。
ワイン飲んでセックス、いいじゃないの。
いつかは同じ空港から、飛び立っていくんだもの。
愚かさを肯定する視線があるから、見るほうも気持ちが軽い。
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