マイマイ新子と千年の魔法のレビュー・感想・評価
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じゃんけんもってすっちゃんほい
EDこどものせかいが超名曲。歌詞がリンクしてるだけじゃなくて、曲調で映画の中の美しい情景がゆっくりと思い出されてる。コトリンゴのセンスの真骨頂だなと思います。
笑って遊ぶ子供の世界のすぐ隣に大人の世界があって、ひづる先生が妻子持ちと恋愛してて幻滅したり、タツヨシの父が自殺したりと子供から見える世界はなんだか酷い。
大人の世界に新子とタツヨシの2人だけで足を踏み入れるところは良かった。ガス冷蔵庫なるものがあることをこの映画で初めて知りました。
お盆に観よう
あそびの描き方が素晴らしい!ちゃんとあそぶってこういうこと。
裸足で走り回って、転んで怪我して、また遊び始める、みたいな作品。
夜の懐中電灯の表現は特筆。
あと新子のマイマイめっちゃ動いててかわいい。
昭和年代女子向け?
「この世界の片隅に」の前作はいかほどのものか?
と言うことで行ってきた(地元じゃないので長距離走行)。
お母さん方に受けがいいのか、親子連れが数組。子供は退屈そうな反応に見受けられた。
実際、昭和30~40年代に共感できる大人の女性向けな印象。
昭和40年男には微妙な感じに思えた。
背景描写は「この世界の片隅に」より濃密に描かれているようだ(原作の違いもあろうが)。
キャラクターと背景描写はバランスが良く、個人的にはアニメーション表現として最良と思われる(キャラクターの描写が平板なのに背景は超絶写真的表現とか・・・ちょっと、違和感を感じるので)
ストーリーは単調で、確かに流行らないかなと。
ラストはちょっと寂寥感が漂う。
ダムづくりは、なかなか楽しい・・・が、40~50年代だと、もう無理だったかも(近所の農家のおじさんに怒られそう)。
ウィスキーボンボンであんなに酔えたかな?と言う気も。
「大人の事情」が子供の口で語られるのが、もうちょっといい演出がなかったのか、とも思う。
片淵監督の名刺代わりの作品として良作と思えるが、作品単独で考えた場合、やはり商売的に厳しいと思われる。
ただ、忘れられていい作品とは思えない。
鑑賞した上映館は、北海道でも辺鄙な場所(失礼)で、この時期の上映に頭が下がる。
千年前も昔も今も、子供たちは一生懸命遊ぶ
著者・高樹のぶ子の少女時代をベースにした小説を、「この世界の片隅に」の片渕須直監督がアニメ映画化した2009年の作品。
昨年末、「この世界の片隅に」を観た後、本作も再見しようと思いつつ、今頃になってしまった。
公開時は全く話題にもならずヒットもしなかったが、観た人たちの間では熱心に支持された、隠れた秀作。
本作の評価の高さ、平凡な営みの尊さ、また、主人公の女の子の母親が生きた少し前の時代を想定したのが「この世界の片隅に」とも言われており、色んな意味で「この世界の片隅に」へと繋がった起点とも言える作品でもある。
昭和30年、山口県防府市。平安時代、この地は“周防の国”と呼ばれ、今も遺跡が発掘されている。
おでこのマイマイ(つむじ)がトレードマークの女の子、新子は、祖父からよく聞かされている千年前の町を空想しながら、毎日を明るく楽しく過ごしている。
そんな時、東京から転校生がやって来て…。
子供たちが元気いっぱいに遊ぶ姿や成長がストレートに描かれている。
引っ込み思案だった転校生・貴伊子だが、自由奔放な新子の影響を受け、すぐ打ち解け、皆で遊ぶ日々が平凡だけど何とかけがえのないものか。
子供視点の作品なので子供向けかと思いきや、大人の方こそ心に響く。
同時代、自然に溢れた田舎町で過ごした方が見れば、堪らなく郷愁を誘う筈。
皆で村中を冒険したり、池や川やダムを作っては、そこを子供たちだけの憩いの場にしたり…。
自分は町中で育ったが、それでもちょっとした原っぱや見慣れぬ場所なんかがあったりすると、ちょいと探険してみたり、駆け回ったり、泥だらけになって遊んだり…。
今じゃすっかりインドア派になっちまったが、昔は子供らしく遊んでたもんだ。
その頃の自分と重ね合わせ、すっかり懐かしい気分に浸ってしまう。
そんな無邪気な子供たちに暗い陰を落とすのが、大人たち。
新子らが通う小学校の保健のひづる先生。いい匂いのする美人で憧れの先生。
突然結婚で辞める事になるが、ある事情があって…。
新子ら遊び仲間の頼れる兄貴分・タツヨシ。タツヨシの父は警官で剣道の達人、皆から一目置かれている。
ある悲劇が起こり、さらにあらぬ噂が…。
毎日、また明日遊ぶ約束をする子供たち。
子供たちの明日が大人の不条理によって奪われようとする。
新子は言う。
私たちの明日を返して、と。
子供たちの今も、明日も、その時その時、一瞬。
それが奪われていい筈がない。
ユニークなのが、時折挿入される空想上の千年前の子供たち。
千年前でも、昔も、今も、子供たちは変わらないのだ。
一生懸命遊び、子供たちは成長していく。
温かみのある映像が美しく、音楽も心地よい。
子供たちの笑顔のような、ほっこりする余韻が続く。
防府市民は必見
昭和30年代の防府市国衙を舞台にしたアニメーションで、当時はまだまだ緑が多かったんだなぁと思った。
「この世界の片隅に」で有名になった片淵須直監督作品であるが、「この世界〜」と比べると、イマイチ盛り上がらない。良作ではあるんだけど…共通点は、白サギ、タンポポ、コトリンゴ等々
でも、防府市民だったら、必見かつビデオ購入も義務じゃね。開地の盛り場も登場したが、片淵監督のことだから考証はバッチリと思うので当時はあんな感じじゃったんだろうね…
まぼろし
原作を読んでないからどの程度の再現度かはわからないが、美しくも醜くもある少年少女時代のまぼろしのような作品。
かっこ悪いまぼろしなのに、あまりにも素直に表現できる相手を見つけられる幸福さよ。
明日への希望を決して無くさない美しさよ。
終戦後の高度成長期にもまだ残る自然の生き生きしとることよ。
出身の瀬戸内沿岸はみな似たような環境の話なんで、特別に扱いたくなる。
少しでも気になるならば絶対に見ておくべき
正直、どう評価したらいいのかわからない作品である。
昨年にフィルムでのリバイバル上映を見たときには、丁寧に作られた映画であり、突き刺さる人には突き刺さるのだろうなとは思ったが、自分には特に感じる物はなかった。
しかし今回デジタルマスターでのリバイバル上映を見る機会を得て、なぜ泣いているのか自分でも説明がつかない涙が流れた。それは、この映画が子供時代を体験させるタイムマシンだから、大人になった自分からは失われた子供の価値観を復活させるからなのか。あるいは今自分が立っている世界は現代だけで存在するのではなく、過去の無数の人たちの営みが積み重なった世界であることを感じさせる映画だからなのか。それを知るにはもう何度か見る必要があるのかもしれない。
公開当時は興行的に惨敗しながらも、ファンと地元に愛され何年もの間上映され続け、7年の時を経てデジタルマスターが再作成された奇跡の映画。人を選ぶ映画であり、片渕監督の次作「この世界の片隅に」のような万人が傑作と評価する映画ではないが、奇跡のリバイバル上映が行われている今見ておかないと絶対に後悔するだろう。
リバイバル上映で観ました。
事前にあまり大きな事件が起こらず、昭和30年頃の子供達の生活を描いたものだと聞いていたので、ちょっと驚きました。予想よりも深刻な事が起こり、ヤクザのところに殴り込みに行った場面では嗚咽してしまいました。
絵は全体的に「この世界の片隅に」と似ていて、姉妹作という感じでした。公開時にはあまりヒットしなかったとのことですが、宮崎駿に比べると、静かで重く、エンターテイメントさは少ないですね。
子どもの世界と周りの世界が時間も超えて繋がっていく。最後じわじわ感...
子どもの世界と周りの世界が時間も超えて繋がっていく。最後じわじわ感動する。新子のお母さんはすみちゃんと同い年ですずさんの一つ下で、周りの世界が変化してもその中で生きている人は同じ。
明日の約束
明日の約束がとっても大事だという、キラキラした希望、日常、少しずつ大人になること、否応なく大人にならざるを得ない瞬間があること。そのために一生懸命遊ぼうという主人公の新子。少し、過ぎるくらい大人びているけれど、子供たちの眩しい「今」が千年を経て繋がる、ロマンに溢れた青春劇。声が可愛い!
なんか懐かしい
この世界の片隅にを観てからこの映画を見ました。まずアニメが綺麗であり主人公の声の福田まゆこがピッタリでした。仲間の男子たちも女性の声優ではなく子役が演じていました。基本女性が少年役をやるのは反対だから。ラスト近くは話がシリアスになっていかな見ている方もハラハラでした、細かくはわからなかったですが子供の目線で描いているなって思いました。金魚の泳いでいる姿が良かったです。嫌いじゃないです。この世界の片隅により良かったかも。
タカラモノ。。。いっぱい。
最後に一生懸命に走ったのはいつだったろうか。一生懸命に遊んだのはいつだったろうか。
子供達は、理想と現実を知り悩んで生きている。どのような答えが出るかは環境と周りの人によって変わっていく。
僕も今日から日常に見る風景に1000年前の姿を重ねて見てみよう。
なぜ僕は泣いてしまうんだろうか?
この作品を観ていつも泣いてしまう。
しかもいつも泣くポイントが微妙に違う。
映画に引きずりこまれるかのように泣いてしまう。
懐かしさやノスタルジー、郷愁ではない。
多くの人に観てもらいたい、けど映画の良さを伝えられない。
とりあえず観て感じてほしい。
監督は魔女の宅急便で当初監督をする予定だった、片渕須直監督。
魔女の宅急便が好きなら好きになれるんじゃないだろうか。
超オススメ!
マイマイ探検隊。
マッドハウスが製作するアニメはなぜか評判がいい。
私もファンの一人だが、では何がそんなにいいのかと
聞かれると、うーん…普通っぽいからかしら^^;なんて
思ってしまうのだ。素朴すぎることなく、仰々しくもなく、
主人公の周りで起こる何とやら。の世界が主なのに
そこはかとない空想が広がるというか…たぶん大人を
そういう気持ちにさせる雰囲気がいつもあるのだろう。
そしておそらく我ら大人たちをターゲットにしている。
自分がその世代だろうと自負する私は^^;その世界が
かつて自分が置かれていた過去と重なって感慨深い。
「あ~やったやった、それ。」とか「懐かしいねぇ。」とか
いちいち心の中で闊歩している自分がいるのが面白い。
昭和30年頃の山口県が舞台というが、それより後の
私らの年代でも、多分ああいう遊びはやっていたぞ^^;
私もどちらかというと男遊びが(意味を間違えないでね)
好きだったので、やれ、川だ沼だ木登りだ、虫捕りだ、
探検隊、秘密基地、だーい好きだった。24色の色鉛筆、
私も憧れたなぁ^^;ク―ピーとかね。すぐ折れるんだけど。
川をせき止めてダム!やりましたよ~ハイハイ♪
そこへ魚やらザリガニやら放しましたよ~ハイハイ♪
なんなんだ、この話。懐かしすぎるじゃないか、オイ!
主人公の声を誰が演っているのか分からなかった。が、
福田麻由子だった!?上手い!ビックリした。声優並。
当時の方言をそのまんま出して喋るのは、ともすれば
すぐ若者に迎合するアニメを除外視しているかのようだ。
思えば唐突に始まる冒頭の描写もかなり変わっている。
あの頃…
オトナのもつ世界観がまるで分らなかった子供のように、
ところどころが聞きとれて、ところどころがおぼつかない、
それでもオトナに憧れて、いいオトナになりたいと願った。
先生も警察官もとっても偉いヒトに思えたあの頃。
少し大きくなって「TV三面記事」の恥辱ネタに仰天し^^;
なんだオトナって、けっこう汚いことしてるんじゃん!と
思っても、まだまだ…青い果実というか。(美化してます)
身も心も平和だったなーと今になって思ったりする。
今作を観て、子供って…あれでいいんだよな。と思う。
(わんぱくでもいいのだ。みんなハム食って大きくなれー)
公開時期のミスと、ターゲットを曖昧にしたのが、悔やまれるな・・・
いい映画なんだけど
『サマーウォーズ』観ちゃうとなぁ
えっ、清少納言の声、森迫さんだったの?!
◇ ◇
作品の舞台が
長野か山口かの違いはありますが
地方であることには変わりありません。
設定も違う、
登場人物たちも違うのですが、
絵の雰囲気が似ているせいか、
どうしても比べてしまい、物足りなさを感じてしまうのです。
頭のつむじを
マイマイと呼ぶそうですが
主人公新子のそれを通して
現代と1000年前の山口を交信しあう設定に
「どこかで観たことある設定だよな」とイラッとしかけましたが、
現代の人物設定と、1000年前の人物設定に類似点を持たせたのが
功を奏し、気がつくとイライラは消え、感情移入をさせられてしまう。
良い作品ですか?
悪い作品ですか?
質問を受けたら
ためらうことなく、感情移入が示すとおり
「良い作品です」と間髪おかずに回答しますが、
最良の作品かというと、そこに辿り着くにはもう一押しが足りない。
おそらく
狙うターゲットが曖昧なのかな?と。
小学校低学年以下が見るには難しい。
小学校中学年以上が見るのなら、この時期の公開は的外れ。
男性ティーン層狙いで、福田さん・水沢さんをキャスティングしたとするなら、
まだ名前で集客をするだけのネームバリューもなければ、認知度も高くない。
中高年層、上映終了後に無言で退出された人が多かったのが示すとおり疑問。
なんか、せっかく
作品の世界は良いのに
どっちつかずになってしまっているのかなぁ、と。
現代と1000年前の女の子との友情
ひとりぼっちの子なんてだれもいない
宝物の隠し場所を作ったり
秘密探検だ、と廃坑のトンネルに入ってみたり
小さな川を、堰き止めてダムを作ってみたりと
私たちも小さい頃にしていた遊びを昔懐かしめます。
そう考えると
私たちの同世代が狙いなのかもしれませんが
そうだとしたら、もうちょっと頑張って宣伝しないと・・・。
◇ ◇
森迫永依さん。
一人上手い子がいるなぁ、誰だろ?
彼女でした。
彼女のこともファンなのに
完全に見落としていました。
ファン失格です(苦笑)
実写版『ちびまる子ちゃん』
初代まる子ちゃん役の女の子です。
あっ、そういやそのときのおねえちゃん役が福田真由子さんだった。
今作、
1000年前の女の子の
声優をしていますが、一言“上手いです!”
『よなよなペンギン』
12月23日に公開を控えていますが、
こちらの主役の女の子の声優を森迫永依さんが担当しています。
こちらも、楽しみになってきました(笑顔)
☆彡 ☆彡
公開するタイミングミス
ターゲット選定の曖昧さ
ざっくり言っちゃうと、これがピッタリかも。
海がバンバン登場しますし、夏休みに公開したかったですね。
“昭和”に懐かしさを感じる世代にこそ
自ブログより抜粋で。
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とりあえず導入部からして、予告編から感じていたイメージと少々違う。
まずは、のどかな田園風景を舞台にし、ノスタルジックな昭和の風情満載の映画でありながら、絶え間なく流れる軽快なスキャットのBGMが予想の斜め上をいくのだが、これが見事にはまっている。
さらに、表向きのストーリーと併行して描かれる新子が思いをめぐらす千年の時を越えた世界に、「そういう映画だったの!?」と面食らった。
この子どもらしいイマジネーションの映像化に、宮崎駿監督の名作アニメ『となりのトトロ』(1988年)を思い出した。
この映画にはトトロや“まっくろくろすけ”のような空想上の生き物は登場しないが、ここに描かれるファンタジックな世界観はまぎれもなく「子どもにだけ見えている世界」だ。
(中略)
昭和30年代というと筆者はまだ産まれていないので、蒸気機関車や氷で冷やす冷蔵庫などはさすがに知らない世代なんだが、ポン菓子やビー玉は経験しているし、どろんこになっての水遊びも当然やっている。道ばたの野草を引っこ抜いて、かじったりもしたっけ。
同級生が持ってくるやたら色数の多い色鉛筆がうらやましかったり、実家が平屋だったので友だちの家の階段が珍しかった記憶も蘇った。
そういった芸の細かい時代を感じさせるエピソードに思わず笑みがこぼれて嬉しくなるのだが、ほんの数十年前の幼少期に思いをはせて懐かしさに胸が熱くなるのは、自分が歳を取って平凡な大人に落ち着いた証だろう。
しかし、たかだか9歳の新子たちは“自分の人生”なんていう、ちっぽけな器に収まってなんていない。
その思いは時を越えて、思いもよらないつながりで千年越しの魔法を解き放つ。
この映画は、伝承の媒体は子どもたちであることを描いている。
おじいちゃんから新子へ、そして新子から貴伊子へ。親から子へ、子から孫へ。
そういった伝承はさりげない日常の中で交わされるものだが、その積み重ねがついには千年の時を越える奇跡となるのだ。
しかし現代、伝承は引き継がれているだろうか。
この映画は数十年前を舞台とし、その時代からなんと千年も前の平安時代とをつなげてみせた。
そして千年前の人々は、さらに太古の時代とのつながりを言及しているというのに、今はどうか。たった数十年前のことすら忘却の彼方に追いやっていないか。
映画のクライマックス、残酷な現実を知り、大人の世界を垣間見た新子は、将来の子どもたちに“伝える”ことを約束する。
しかし、その前にもっと遊ぼう、もう少し子どもでいようとも宣言する。
そう、時代はまもなく高度成長期を迎え、子どもが子どもらしくいられなくなる時代が来ようとしているのだ。
「子どもは遊ぶのが仕事」と言われた時代はいつ終わったのか。
「うちらの明日の約束を返して!」との叫びは、子どもがさっさと大人にならなくてはならない、伝えるべきことが伝わらない現代にこそ向けられている。
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