劇場公開日 2009年11月21日

「“昭和”に懐かしさを感じる世代にこそ」マイマイ新子と千年の魔法 かみぃさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0“昭和”に懐かしさを感じる世代にこそ

2009年12月3日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

楽しい

幸せ

自ブログより抜粋で。
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 とりあえず導入部からして、予告編から感じていたイメージと少々違う。
 まずは、のどかな田園風景を舞台にし、ノスタルジックな昭和の風情満載の映画でありながら、絶え間なく流れる軽快なスキャットのBGMが予想の斜め上をいくのだが、これが見事にはまっている。
 さらに、表向きのストーリーと併行して描かれる新子が思いをめぐらす千年の時を越えた世界に、「そういう映画だったの!?」と面食らった。

 この子どもらしいイマジネーションの映像化に、宮崎駿監督の名作アニメ『となりのトトロ』(1988年)を思い出した。
 この映画にはトトロや“まっくろくろすけ”のような空想上の生き物は登場しないが、ここに描かれるファンタジックな世界観はまぎれもなく「子どもにだけ見えている世界」だ。

(中略)

 昭和30年代というと筆者はまだ産まれていないので、蒸気機関車や氷で冷やす冷蔵庫などはさすがに知らない世代なんだが、ポン菓子やビー玉は経験しているし、どろんこになっての水遊びも当然やっている。道ばたの野草を引っこ抜いて、かじったりもしたっけ。
 同級生が持ってくるやたら色数の多い色鉛筆がうらやましかったり、実家が平屋だったので友だちの家の階段が珍しかった記憶も蘇った。
 そういった芸の細かい時代を感じさせるエピソードに思わず笑みがこぼれて嬉しくなるのだが、ほんの数十年前の幼少期に思いをはせて懐かしさに胸が熱くなるのは、自分が歳を取って平凡な大人に落ち着いた証だろう。

 しかし、たかだか9歳の新子たちは“自分の人生”なんていう、ちっぽけな器に収まってなんていない。
 その思いは時を越えて、思いもよらないつながりで千年越しの魔法を解き放つ。

 この映画は、伝承の媒体は子どもたちであることを描いている。
 おじいちゃんから新子へ、そして新子から貴伊子へ。親から子へ、子から孫へ。
 そういった伝承はさりげない日常の中で交わされるものだが、その積み重ねがついには千年の時を越える奇跡となるのだ。

 しかし現代、伝承は引き継がれているだろうか。
 この映画は数十年前を舞台とし、その時代からなんと千年も前の平安時代とをつなげてみせた。
 そして千年前の人々は、さらに太古の時代とのつながりを言及しているというのに、今はどうか。たった数十年前のことすら忘却の彼方に追いやっていないか。

 映画のクライマックス、残酷な現実を知り、大人の世界を垣間見た新子は、将来の子どもたちに“伝える”ことを約束する。
 しかし、その前にもっと遊ぼう、もう少し子どもでいようとも宣言する。
 そう、時代はまもなく高度成長期を迎え、子どもが子どもらしくいられなくなる時代が来ようとしているのだ。
 「子どもは遊ぶのが仕事」と言われた時代はいつ終わったのか。
 「うちらの明日の約束を返して!」との叫びは、子どもがさっさと大人にならなくてはならない、伝えるべきことが伝わらない現代にこそ向けられている。

かみぃ