「命あって別れるのは恥ずかしいとも」余命1ヶ月の花嫁 Takehiroさんの映画レビュー(感想・評価)
命あって別れるのは恥ずかしいとも
『余命1ヶ月の花嫁』(2009)
榮倉奈々と瑛太の共演映画だが、実話をもとにしていて、TBSのドキュメンタリー番組やノンフィクションの本も出版されたもの。当事者のドキュメンタリー映像は生々しすぎて、それらや本は辛すぎて読んでいないが、当時、コマーシャル的に若干遭遇したことがある。その経緯を映画で知る。既に10年近くも経っていたのか。東日本大震災の前でもあったのか。交際すぐに乳がんが発覚していたものの、途中まで黙っていて、知られたときに女性は男性に別れを告げるが、男性が別れないからというところで分岐点があり、ドラマがある。そして、自分の存在や乳がんの早期発見などを知らせたいと女性の知人を介してテレビ番組の取材を受けることになる。それがこうして映画にもなったのだが、男性はあることないこと言われると最初は反対する。それは、当時の週刊誌に実際に女性側になんらかのスキャンダル的な報道を流されたような記憶がある。だが、短かったが、男女の間柄の愛は本当だったのだろう。片方の死がモチーフとなるものに、こちらはフィクションだが、『世界の中心で、愛をさけぶ』があったが、2004年だったのか。同じ年に『今、会いにゆきます』があり、そうした感じの作品が続き、愛の無い時代に、片方の早すぎる死と別れというのが、リアルを感じさせるという時代なのかなと思ったが、これはそれから5年後だったのか。古くは『愛と死を見つめて』という実話からの、同じような流れがあったが。近い死が確実視されている中でのウェディングドレスである。正式な結婚式では無かったようだが、その式典の最中は、どういう時間だったのだろう。命が集中していた出来事だっただろう。花嫁の父親も柄本明が印象深い演技をしている。その父や、男性にも看取られて亡くなる。出会いはイベント会場でのふとしたきっかけからだったが、病気さえなっていなければ、普通の素敵な男女の経過だったのだろうが。だがこの男女は途中で関係が生きている上では途切れてしまったけれど、メディアミックスもあるけれども、男女の愛の貴重さを他の人達に伝えていた。映画の最後の頃にもそうしたシーンがあるが、記録映像とは不思議なものである。存在と人生も、もともと不思議なことはわすれがちである。ラストに本当のウェイディングドレス姿の千恵さんの1枚の写真を表す。二人は太郎さんと千恵さんという本名だったのか、昔の高村光太郎と智恵子の話があったが、なんだか名前が似ているなと思ったりした。