ノルウェイの森のレビュー・感想・評価
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映画でみるものではない
私はこの作品は映画化するべきではなかったと思う。
この作品の村上春樹の世界観は、英語では伝わりにくいし、よくわからないことになるし、精神的にこんな短時間にまとめて見るものではない気がした。
本のまま、じっくりと読み進めて、心に自分で想像しながら刻んでいくことが大切だと思う。
映画からは、病んだ心とセックスしか残らない気がする…
冗長な作品
原作は読んでいないが、監督が脚本を書いたからいいだろう。
若き日の感情の混沌を描きたかったのだろうか、まるで螺旋のように冗長な映像が続き、息苦しくなってくる。
現代のように、なんでも軽薄でチャラい若者比べ、無理して知的に大人びて振舞ってみせたりする若者の姿は逆に微笑ましくもある。
トラウマと愛情と肉欲と理性をごちゃまぜにしたヤミ鍋をつつきながら夜明けを待っているみたいな映画だ。
これはアリ
ノルウェイの森を読んだのは高1の時やった。
40を過ぎる今まで読み続けるほど大ファンになる村上春樹の一番最初に読んだ小説。筋なんかは大方抜け落ちてはいるけどあの時読んだ後に感じた感触みたいなものはまだ心に残っている。
村上春樹を好きな人と同様全く見る気は無かったけど、監督が外国人なのと、キャストが魅力的やったので好奇心もあって見てしまった。
見る気が無かったのは、村上春樹作品は僕が思うにストーリーが良くできてたり、凄く盛り上がるトピックがある小説ではなく、ただただ静かに自分の内面を震わせるような小説だと思うので映画にしてもおもろくないやろって気がしてたから。
しかし村上春樹のノルウェイの森の映像化、見ないわけにはいかへんなと思い直し観賞。
見終わって感じたのは、これはアリでしょう。
全編を覆う暗い喪失感、人間の脆さ儚さに対比させるような大自然の美麗な映像、村上作品の映像化としては十分及第点やと思う。
小説と同様何度も見れる作品になってるからまた次観るときは違う感情が生まれるだろう。
超然とした冷めた学生の心の動きを表す雰囲気は出ていたのではないか
総合:75点
ストーリー: 75
キャスト: 75
演出: 70
ビジュアル: 75
音楽: 75
原作のように透明感のある映像の撮影のやり方と、でしゃばらず静かに哀しさを帯びて、後には狂気を帯びて流れる音楽は、世俗の生活感から離れた感じがして心地良かった。世間にも常識にも縛られないが、悪く言えば世間に交わることが出来ない。自分の存在意義を見つけられないでどこか冷めたまま空虚に生きている脆い若者の姿を描いている。菊池凜子と松山ケンイチの演技の良さもあって、そんな危うさの漂う原作の雰囲気は出ていたように思う。だけど水原希子はいかにもモデルという凛とした美しさがあって、それは自分の持つ原作における緑の人物像とは違う感じがした。彼女の科白もあまりに文学的で、現実に喋られると自然な科白というよりもまるで劇でも見ているように感じる。濡れ場で最後までブラつけたまま性交しているとか他にも気になる部分もあるけれど、雰囲気の出し方などでいい部分もあって自分はけっこう気に入った。
さて男臭くてむさくるしい主人公の寮に来た緑は「ねえ、ここにいる人たちってみんなマスターベーションしてるの?」なんて聞くが、それは自分たちはそんな人たちと違ってるんですよと主張しているように聞こえる。彼らが他の人々と交わらず超然的なのはこのような優越感を持っているからのように感じられ、一般人とは違うこういう人種だからこその視点の話だなというのは感じていて、それは原作でも似たような印象を持った。この時代のことについてたいして知っているわけでもないけれど、現在よりもはるかに貧乏だったはずの学生たちであるだろうに、この庶民的な生活感のない登場人物たちってどちらかというと特殊なほうに属するんじゃないかと思う。それは著者の視点がそうなんだろう。まあだからこそこのような作品になったわけで、これが作品を根本を形作る特徴になっているんじゃないか。
死と愛と性
村上春樹のベストセラー小説を、ベトナム出身で主にフランスで活躍するトラン・アン・ユン監督が映画化。監督はフランス語翻訳を読んで映画化を決めたという。
小説の映画化のキモは、ずばり“省略”。原作のどのような要素をバサッと省いていけるかにつきる。その意味で『ハリー・ポッター』は大いに成功したが、『ノルウェイの森』も良い感じだ。
監督、撮影、美術、編集、音楽とすべて外国人がスタッフを務めた作品であるが、何も違和感を感じない。聞けば、優秀な通訳者が現場にいたという。
作品のテーマは死と愛と性。それらをうまく絡ませてある。
結局観てしまった
観るか観ないか考えて、ついに観てしまいました。
他の方々が沢山書いているので、今更特別目新しい事も書けないと
思うが、折角観たので感想を。
村上春樹作品は、翻訳以外は全て読んでいるが、どれも映画化するような
作品とは思っていなかったし、映画化してイメージを壊されるのは
嫌だと勝手に考えていた。
原作の空気感を出すのは、きっと無理だろうし。
その考えは、この作品を観た今でも変わりませんけどね。
ただ、この作品を観てから思った事は、文字(原作)を読んで
イメージするものは、100人居たら100通り。
きっと思い浮かべる景色も色も表情も、みんな違うはず。
だから、これはこの監督が文字から思い描いた景色、色、表情であり
表現方法の一つだと。
音楽が、指揮者毎にイメージが変わるのと、同じようなものですかね。
今回の映画を観た感想は、余り良かったとは思いませんでしたが
今後、村上春樹作品が次々映画化されたら・・・
結局は観るでしょう。(笑)
だって、映画も村上春樹も好きだから。
原作と似たような感じの、別の映画だと思って観ます。
こういう意見が無かったから、未見の人はよかったら参考にしてください
いろいろとレビューを読ませていただきましたが、僕と同じ意見を見つけることができなかったので残しておこうと思います。
ネタバレはしないので、見ようかどうか迷ってる方の参考になればよいと思います。
ちなみに僕は26歳男性でハルキストではありませんが、村上春樹さんの著書はおおかた読んでいます。その中で「ノルウェイの森」は特に好きで今までに3,4回読み返し、最後に読んだのは、たしか3年前でした。
そんな僕の この映画の感想は
たしかに気になる点はあるけど、とても素晴らしい映画 でした。
僕が感じたのは“批評に関する戦犯は配給会社”であるということです。
なぜなら これは単館映画的な作品であって 明らかに全国上映をするような映画ではないからです。前にこれと同じことを思ったのが「キルビル」という作品です。個性が強く、多くの人が許容できる作品を作らない監督の映画を、大衆娯楽として上映することが間違っているのです。
この作品もトラン・アン・ユンという、人を選ぶ監督が作った映画なので、この監督が作る作品がどういう映画か知らないで見ると、違和感を感じても仕方ないと思います。
個人的な見解ですが、この監督はウォン・カーウェイ監督と同様、記憶の断片を再生するような映画を撮る監督です。その為、編集点(映像を切り替えるタイミング)が他の監督の作品とは大きく異なります。また、状況を理解しやすくするための説明やカット(映像)を省く事が多くあります。全体的に直情的な印象を与え、抽象的(*1)になりやすいです。また客観を挿みにくくなります。
そして原作であるノルウェイの森ですが、どちらかといえば内向的な話です。例えば内向的な映画は「心が痛む」の用な状態を伝達する話なので、カメラが被写体を捉えていれば内容が伝わるというような確証がありません。だからアクション映画のようにアクションを追えば内容が伝わる映画とは様相が違うのです。なので、どうしても原作とは違う映画的な演出が求められるのです(*2)。
そして、その演出こそが この監督の場合 記憶の断片を再生するような映像なのです。
そういった理由から同じ原作付きでもハリーポッターのような大衆娯楽映画とは全く異なったものとなります。だからシネコンで他のハリウッド大作や、ドラマの映画化なんかと同等なものとして扱われていた為に見てしまった観客の評価が得られるわけがないのです。
この映画は、この作品の監督の過去の作品である「青いパパイヤの香り」or「夏至」と「アイカムウィズザレイン」を見て、これらが好きな人が見るべき映画だと思います。
それを、興行主の事情で「ベストセラーの映画化だから、有名な外国の映画監督が作っているから、皆さん見てください」というのは、見た人の不評を買ってもしかたないと思います。
そうならない為に、そこのところを理解していて、それでも見たいと思う人に向けての単館映画で上映すべき映画なのです。
ちなみに前述したとおり全体的に抽象的な内容になりますし(*3)、演出としても原作どおりにできない為、原作の再現率を求めて この映画を見ることはお勧めできません。
最後になりましたが そういうところも踏まえた上で、この映画は、とてもよくできていると感じました。もちろん上記の説明のとおり映画用の演出を通して、多くの点で原作とは別の解釈をするモノとなりましたが、十分に満足しています。
ちなみに気になる点は配役です。そこら辺は他の人のレビューで書かれてるのでそちらをご覧ください。
*1)印象的な記憶を共有させることで感じることを説明させる為
*2)文体・言語で説明できない為
*3)心情表現を画から派生する印象で説明する為、文面のようにかっちりとした理解ができるわけがない
うすっぺら
心象描写のうすっぺらさを映像美で補った作品。ロケ地や昭和のセットはとにかく美しいが、そこにこだわりすぎて内容まで手が回らなかったのか、展開はつまらなく、鑑賞後に何も残らない。これで菊池凛子が出てなかったら本当にどうしようもない出来だったと思う。
松ケンは嫌いではないが、ワタナベの感情のうつろいをうまく表現出来ていない。一番の見せ場である、直子の死を知った時の落胆シーンがいまいちだったのが痛い。序盤からその一瞬に向けてのワタナベの心の揺れ動きをうまく描けていないから、最後の「僕はどこに居るんだろう」の台詞が生きてこない。
直子の最期のショットは直接的過ぎて映画の質を落としている。ストーリーを描く力が監督に無いからあんなシーンを挿入するしかなかったんだと思う。
登場人物の生活描写が薄い割りにはミドリのバックグラウンドだけ描かれているのも片手落ち。水原希子は台詞まわしがギャル語で語尾がはっきりせずぼそぼそしていて聴きづらい。こういう喋り方をする人はムカつくので映画に出て欲しくない。
まぁ若手起用の撮りとしてはそこそこ成功しているんだろうが、名作とは程遠い。原作の力と菊池凛子の狂気ぶりに救われた作品。細野、高橋、糸井をチョイ役で出した意図は不明。フジがバックにつくと大抵こういう映像の美しさだけに頼った、一見名作風にしてしまうところがおもしろくない。
まあこうなるよね
原作が、「言葉の一つ一つを反芻」し、「場面を自分なりに想像」することで、世界に浸るタイプの作品だと自分は思っているため、“映画”は難しいと思っていたが、その通りだった。
まあ監督が監督(トラン・アン・ユン)だから仕方ないのかもしれないが、いちいち美しく、オシャレに見せすぎで、もっと平凡な、淡々と描いたほうが良かったと思う。
「原作とは違ったものにする」というのが映画化の際の村上氏との約束だったそうなので、これはこれでありなのかもしれないが、原作ファンはがっかりするだろうな。
原作を読んでいない人には、間違っても映画だけを観て「ノルウェイの森」を知ったと思わないでほしい。原作は人生観を変えるほどの素晴らしい作品だから。
セックスを学ぶ2人はセックスに散る。故に愛のかたちなぞ無い
松ケンが悶々と苦悩する恋愛観・セックス観・人生観それぞれのエピソードの断片を駆け足で羅列していくから、そのペースについていけず戸惑う。
「原作を読んでへんお前が悪いやろ」と責められたらお終いだが、各々の抱える背景に理解できず、陰だけが突出し、ネガティブな世界観に辟易するだけだったから、感情移入しようがない。
愛への憧れが、恐怖心と虚無感へと変わる流れこそ、大人への一歩である。
セックスは肉体的にも精神的にも、大人として割り切っていく実感を確認する唯一の手段なのかもしれない。
結構、深いテーマやのに結局、セックスの話だけが独り歩きしたのは致命的やと思う。
とりあえず、わかったのは、松ケンはトライアングルの対人関係でなければ、コミュニケーションを成立不可能な若者だった事であろうか。
つまり、マンツーマンでは己の存在感を見いだせず、崩れてしまう。
高校も大学もそして、恋愛関係においても…。
素直になれない弱さが彼を孤独の闇に追いやるのだが、肝心の三角形の点と線がボヤケてしまう。
中でも、終盤での先生との接し方には、
「何で!?」
と、謎ばかりが降り注いだ。
《総評》
自己嫌悪・自問自答・自己陶酔に溺れ、殻に閉じこもっていく主人公の闇黒面に迫る描写は、第2の『人間失格』と云えよう。
酒やドラッグではなく女のみに人生を狂乱するストイックな転落模様は、ある意味羨ましくもあり、悲惨にも感じた。
…。
んまぁ、2冊読んだ経験一切無いけどね…(苦笑)
カッコ悪い結論が出たところででは、最後に短歌を一首
『生きる意味 重なりに問ふ 蒼き渦 春は横切る 風を濡らして』
by全竜
うーん、違和感のオンパレード
19歳で初めて読み、当時同世代だった「ワタナベ」に自らを重ね合わせて学生時代に12回も読み返した「ノルウェイの森」。社会に出てからも10回は読み直しているが、何度読んでもせつなく、19歳のとき感じたあの感覚をまた思い出せる、36歳のおっさんにとってのセンチメンタルジャーニーな存在、それが私にとっての「ノルウェイの森」なのです。キモイですね。はい、わかってます。
そんな思い入れがあるだけに、見るべきか見ないべきか迷っていたのですが、やはり見てしまいました。そして、個人的には(あくまで個人的には),自分の中で確立してあるあの世界とは違うものでした。残念ながら。
いくつか自分の中でその理由を考えてみたのですが、
1 やはりトランアンユアン(監督)の当時の日本の描き方(特に学生運動のシーンや街中のシーン)に日本人として違和感を感じる。
2 女性陣のキャスティングが違う。直子役の菊池凛子はテレビでガハガハ笑っているところを見てしまっているので、本来直子が持つ繊細さと脆さがやはり演技だけからは感じられない。そして緑役の水原希子は逆に細すぎてそして子供すぎる。演技初経験らしいが台詞も棒読みに近く,本来緑が持つ不幸な人生を送りながらも強く前向きに生きようとする生命力を感じられない。そしてレイコさん。きれいすぎるし、色っぽすぎる。白髪もないし。最後のシーンのいい意味でのエグさみたいなものがなく、単にエロイだけになってしまっている。
3 たぶん原作に忠実にかなり撮ったと思うのだが、編集でかなり削られているのが見え見えで、読んだ人でないとストーリーに追いついていけない。
書いているうちにアツクなってきてしまった。。。。。。いずれにせよ、20回以上読んでいる私の中での世界観と違うということですから、楽しめる方も多くいるとは思います。とにかく松山ケンイチは相当いい!若い頃の村上春樹そっくり。演技もうまいし【ワタナベ】感凄く出てました。いい俳優さんですね。はっきり言って彼だけが私にとっては救いでした。
ということで、ハルキストとしては今後に関しては作品の映画化はしなくてもいいのではと感じてしまった「ノルウェイの森」でした。
未だ抜け出せずに…。
夕方からの一回上映になってしまったので、やはり行くべきと思い立ち見てきたのですが無駄ではなかった。
私にはどこを取っても良かったと思える作品でした。
原作は出版当初に人から借りて読んでいます。所謂ハルキストではありませんが、ある種の感慨を持って読んだ記憶があります。
あの時代を私は直には知らない(いや幼すぎてわからないと言うべきか)けれども、思春期の頃に読んだ(私が思うところの)その類の小説、自分より少し前の時代の金字塔のような作品、「ライ麦畑で…」や、「赤ずきんちゃん…」やらを、実際には甘酸っぱい、苦しい内容であるのにもかかわらず憧憬の心持ちで読んだ17や8の頃を思い出して、本当に甘酸っぱい、苦しい気持ちになったのです。
緑や深緑や黄緑色の中を歩き廻る廻る…。白一面の中で確かめあう…。荒海の前で絶望し慟哭する…。
長回しの引きレンズで収められた凄絶な、清廉な自然の中で展開するそれらを、まるで小説を読むかのように見つめる…凝縮された時間でした。
哀しみの中に同化した直子、哀しみを包み込んだ緑。そして哀しみの扉を閉めたワタナベの、その刹那の呟きが「ぼくは今どこにいるんだ?」なのではないかしら。長く居た場所を出た直後、瞬間わからなくなったりする時の呟きと同等の。
原作から感じられる空気感とほぼ同じものを嗅ぎ取り、ある迷いの中に居る私は未だノルウエィの森から抜け出せずにいます。それは決して心地良くはないけれど、そんなに悪くはない。少しだけ光が見えた心持ちは呟いたワタナベくんとそう遠くはない。
この際だから思うことを2、3言ってしまうと、実際の初版はバブル辺りで、つまり当時に既読であったとしても、小説内の時代は20年弱前のことなのだから、その時代に生まれていない世代には想像するしかないわけで、原作を長らく愛してきた人々でさえ、その空気は想像でしかない人も多いはず。
やはりあの時代を生きた若者、所謂、彼らと異質な者をノンポリやプチブル等と非難し、体制を批判し激論した側、対する、そうやって嫌悪される側の心なんかを、本当には理解してる人なんてそうはいないと思うのです。
そしてまた、作り手側は、理解できないとか説明不足とか、そもそもそう言う反応は蚊帳の外なんじゃないのかしら。
秘するが花とか、皆まで申すなの心持ちで描かれているものに、わかりにくいは無意味だとさえ思います。
ましてや、私はわかりにくいというより、かなりたくさん喋らせてると思ったくらいですし。
最後に、緑はかなり猥雑な単語ばかり発しているから、あの抑揚のない喋りじゃないと卑猥すぎるんじゃないかしら。ワタナベくんだって「場所をわきまえろ」なんて言ってましたし(笑)
私は、滑舌が悪いとは思わなかったし、下手なんてちっとも。
誤解を恐れずに言ってしまえば、岸田今日子やらデビュー当時の桃井かおり、さらには市原悦子らを決して下手だなんて思わないのと同様に。
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