青い鳥のレビュー・感想・評価
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助かって良かったよ。、
わかるぞ、
始業時刻には教室に行くべきであるのに。
職朝長引くとイライラ、子供に時間厳守と言いながら。
吃音お持ちの設定、緊張した風を出したいのかキツい。
しかし、上背もあり男子も一歩引く。
もっと小柄な気の弱そうな俳優だったらどうだっただろうか?
吃音で喋るのも大変だ。しかし、中学生にもなって目の前で笑うとは、前途多難だな。
いいね、ここ。
本気でしゃべります。だから本気で聞くべきだ。
本気で聞かないから先生はここに来た。
お願いではなくきちんと指示している。
野口君おかえり、と言った時の反応があり、少し安心。気持ちについては予想の反対。
教室で直接言わず親にグチる。
親は権力者。
学校は、体裁、形にこだわる。
反省文には、形だけのことを教える。
当該生徒の真の気持ちは救われるのか。
井上君が喫茶店で野口君のこと色々言うが、
ほっとけよ、構うなよ、それがいじめだろ。
周りのみんなが忘れるのは駄目だ。
自分のしたことを忘れず責任を持って抱えていくべきだ。
いろんな子がいる。
先生の吃音のように
おどけるように笑って喋らないと話せない子もいる。心は笑っていないが。
だから、表面だけ見ていてはいけない、と。
今の学校の問題、
わからなかった、気づかなかった、て言うてたらあかんのや察知せな死ぬんや。
と思っていたが、
わかってても、気づいていても、
わからなかった、気づかなかった、と言う。
知っていて放置なんて犯罪にならないかな?
高橋先生とやら、休むの狡いぞ、文句出るのよくわかる。しかし、もしかすると、校長やら委員会が休め、と指示したのかもしれない。多分。
阿部が伊藤と喋らないのは、吃音で会話がスムーズにいかないから演出上。
青い鳥Boxの投書、印字してあるのも?????
時折見る写真の子、亡くなったのか?
なぜ吃音である必要があるのだろう?
先生自身もハンディあるが必死に話す姿を見せる為か。
最後の反省文、少し尻切れトンボ、
書かない子は、先の反省文を心から書いた子(しかしありきたりの文しかない筈)か、反省文についてあまり考えていない子。
書く子は担任の働きかけにより何か思うことがあり書こうと考えた子。
井上君はどの時点で考え直すようになったのか。
子供に強制はできないからこういうラストかもしれない。
本作何を伝えたかったのか。
形だけ処理する学校に侵された子供たちの前に、しっかりした教育理念を持った教師を投入して少しの子だけにでも心から考える機会を与えた、ということだろうか。
ただ、現実的には代替の講師が来てすぐに自身の考えを
出して通して行こうとはしない、できない。
理想の物語か。
良い映画です、さすが重松清原作
内容は深刻なのですが、淡々とした展開で、割と嫌悪感なく見られます。全編、緊迫感の間合いがあって、何か起きそうなのですが、「告白」みたいなドラマチックなラストはないです。結局、最後はお決まりの転校(退職)で終わってしまったのは残念です。ただ、見ごたえはあります。彼の理解者である同僚の女教師(原作には存在しなかったと思いますが)、どこかで見たと思ったら、「スワロウテイル」に子役ででていた女優でした。立派に成長しましね。
社会は何かにつけて"臭い物に蓋をする "
原作は重松清。またしても未読です。
「野口君おはよう!」
確かに毎日この繰り返しが続いたらうんざりしてしまう。
もしもこの様な事が現実に起こったら…。
これは現代のお伽話と言って良いのかも知れない。大事な大学受験を控えた直前を舞台としているだけにそう思わざるを得ない。
作劇術としては、先生役の阿部寛が激しい“どもり”を抱えている教師役に据えているのが大きい。
どもってしまう事で言葉は少ないが、その事で“より真剣に問題に立ち向かっている”と見える意識を観客(読者)に与えている。本来ならばそれ自体が先ずは夢物語である気がするんですが。
更には、どうやら原作とは違うと思われる、阿部寛が読みふけっている“ある作家の本”の存在。
(観た後で原作をパラパラと眺めたところ、参考資料としては違う作家の本書かれており、原作上では映画とは違っている様だ)
それがお伽話的な要素を増幅していたと思う。
まるで阿部寛自体が本から抜け出て来た様な印象を受ける。
問題定義を促す作品としては充分に考えさせられる話で、終盤には思わず何度となく涙が溢れ出て来ました。但し現場を知って居る人ほど、作品が盛り上がるに連れて醒めてしまうのかも知れませんが…。
映画が始まって最初の内は、阿部寛演じる先生がどもってしまう為に、少しずつ少しずつゆっくりと話だす。
その影響か、映画自体もゆっくりゆっくりと進んで行きます。
勿論、観客の心を段々と掴んで行く為の演出効果を狙っての事ですが、この辺りでなかなか作品に入って行けない人も居るかも知れません。
何かと“臭いものには蓋”の学校側の対応ですが、一応は主人公にあたる同級生の男の子の視点を中心とした話で、物語が進むに連れて以前から感じていた自分の中の想いを吐き出す内容です。
その事で観客の目線で観ていると、段々とこの男の子が持っている“罪の意識”に肩入れしてしまう。
そんな男の子の気持ちと同様に、同じ教師役の伊藤歩が何となく学校側のやり方に疑問を感じて居る人物を好演して居て、爽やかな印象を強くしていました。
彼女の持ち合わせて居る感性が良い方向に出ているのではないでしょうか。
「先生、誰かを嫌いになる事もいじめになるんですか?」
主人公の男の子が叫ぶこの言葉が胸に突き刺さります。
最後の授業で、この1ヶ月で劇的に変化した生徒。
何も変わらなかった生徒。
何かを感じたがやがては忘れ去ってしまう生徒。
だけど決して無駄な時間じゃ無かったのだと思いたい…と訴えかける内容にはグッと来ました。
いじめっ子役の井上君に、将来の田口トモロウ2世を見た(笑)
ラ○トシ○ンでの阿部寛の表情が、またお伽話的な要素を増幅していた様な気がします。
(2008年12月5日新宿武蔵野館2)
首吊り自殺の残影を抱いて
もしも自分がいじめていたクラスメイトが、自殺をはかったら・・・
経験の少なさ故に、本能のまま全霊をかけて相手を罵倒し、強要する。
ふざけ半分でした事なのに、人が死んでしまうなんて・・・
誰もが大金を払ってでも、生きたいと願う。
例えば、がんの末期患者が痛みに耐えかねて自殺をする。
それと同程度の、苦しみを相手は味わったのだ。
逃げても、逃げても、逃げても、首吊り自殺の残影は追いかけてくる。
少しして、きつ音の先生がクラスの担任になった。
身体的に話すのが苦手で、どんな思いがあって先生になったのだろう・・・
その頃、すでに自殺の件はひと段落したという空気感があった。
生徒にたくさん反省文を書かせ、マスコミ対応も終えた。
青い鳥の箱を設置して、悩んでいる生徒のケアも万全だ。
教室に被害者少年の机はもう無かった。
先生は生徒の前で、その机を校庭から運んできた。
少年が元いた場所に机を置く。
生徒の反発は大きく、大音響で授業の邪魔をする。
あんなに反省したのに、まだ私たちを責めるたつもりなんだ・・・
自分の犯した罪の全容は何だったのか全力で考え。
その大き過ぎる真実に、死ぬまで責任を負って生きていくこと
そんなシンプルだけど、難しい答えにたどり着いてほしい。
先生は、森のように静かな覚悟で彼らと対峙する。
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