「社会は何かにつけて"臭い物に蓋をする "」青い鳥 松井の天井直撃ホームランさんの映画レビュー(感想・評価)
社会は何かにつけて"臭い物に蓋をする "
原作は重松清。またしても未読です。
「野口君おはよう!」
確かに毎日この繰り返しが続いたらうんざりしてしまう。
もしもこの様な事が現実に起こったら…。
これは現代のお伽話と言って良いのかも知れない。大事な大学受験を控えた直前を舞台としているだけにそう思わざるを得ない。
作劇術としては、先生役の阿部寛が激しい“どもり”を抱えている教師役に据えているのが大きい。
どもってしまう事で言葉は少ないが、その事で“より真剣に問題に立ち向かっている”と見える意識を観客(読者)に与えている。本来ならばそれ自体が先ずは夢物語である気がするんですが。
更には、どうやら原作とは違うと思われる、阿部寛が読みふけっている“ある作家の本”の存在。
(観た後で原作をパラパラと眺めたところ、参考資料としては違う作家の本書かれており、原作上では映画とは違っている様だ)
それがお伽話的な要素を増幅していたと思う。
まるで阿部寛自体が本から抜け出て来た様な印象を受ける。
問題定義を促す作品としては充分に考えさせられる話で、終盤には思わず何度となく涙が溢れ出て来ました。但し現場を知って居る人ほど、作品が盛り上がるに連れて醒めてしまうのかも知れませんが…。
映画が始まって最初の内は、阿部寛演じる先生がどもってしまう為に、少しずつ少しずつゆっくりと話だす。
その影響か、映画自体もゆっくりゆっくりと進んで行きます。
勿論、観客の心を段々と掴んで行く為の演出効果を狙っての事ですが、この辺りでなかなか作品に入って行けない人も居るかも知れません。
何かと“臭いものには蓋”の学校側の対応ですが、一応は主人公にあたる同級生の男の子の視点を中心とした話で、物語が進むに連れて以前から感じていた自分の中の想いを吐き出す内容です。
その事で観客の目線で観ていると、段々とこの男の子が持っている“罪の意識”に肩入れしてしまう。
そんな男の子の気持ちと同様に、同じ教師役の伊藤歩が何となく学校側のやり方に疑問を感じて居る人物を好演して居て、爽やかな印象を強くしていました。
彼女の持ち合わせて居る感性が良い方向に出ているのではないでしょうか。
「先生、誰かを嫌いになる事もいじめになるんですか?」
主人公の男の子が叫ぶこの言葉が胸に突き刺さります。
最後の授業で、この1ヶ月で劇的に変化した生徒。
何も変わらなかった生徒。
何かを感じたがやがては忘れ去ってしまう生徒。
だけど決して無駄な時間じゃ無かったのだと思いたい…と訴えかける内容にはグッと来ました。
いじめっ子役の井上君に、将来の田口トモロウ2世を見た(笑)
ラ○トシ○ンでの阿部寛の表情が、またお伽話的な要素を増幅していた様な気がします。
(2008年12月5日新宿武蔵野館2)