ディア・ドクターのレビュー・感想・評価
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医療従事者の重責を思う
大胆さと脆さと優しさを併せ持つ医師伊野を笑福亭鶴瓶さんが好演。
しなやかに生きる研修医相馬を瑛太さんが爽やかに好演。伊野や村長(笹野高史さん)との軽妙なやり取りが微笑ましい。
一人暮らしのかづ子を八千草薫さんが柔らかな魅力で演じる。
前述の笹野高史さん、看護師を演じた余貴美子さん、波多野刑事を演じた松重豊さんの味わい深い演技もいい。
多くの知識を必要とし、生身の人間を相手にする医療従事者の方々が日々背負われている重責と、医師による診断が最善だと信じ、治療を受ける患者の立場の弱さと不安定さを改めて感じさせられた作品でした。
患者の気持ちに寄り添った診療を望むが、無資格での医療行為は論外、かと。。
映画館での鑑賞
本当の医療とは
西川監督作品で未見であったため、アマプラで鑑賞。
ニセ医者であることは冒頭からわかるので、どのような展開かに興味があったが、やはり観るものを裏切らない作品。出演者全て良かった(井川遥も意外に良かった)。
ラストシーンはファンタジーなのかな?
私も医師の端くれで、訪問診療を行っているが、この映画にて反省しきり。
最近、子供のお医者さんごっこは医者役は聴診器を当てるのではなく、PCを叩き、画面をみながら、患者さんの話を目を合わせずに聞くらしい。
手当は、患者さんの体に手を当てるから手当(最近はセクハラと問題になることも0ではない)と、先輩医師に自分らは習った。
曖昧だけど確かなもの
なんていうのかな、本当にこの監督の作品はみんな好き。
『永い言い訳』から入って、『ゆれる』『夢売るふたり』ときて本作を見た。
曖昧というか、はっきり説明できるわけじゃないけど確かに存在する感情みたいな。
そういう人の生き方とか、もっと言えば社会の大きな流れすら変えうる、
でもはっきり輪郭のある「決断」とか「選択」とかそういうんじゃないもの。
そういう人の心の機微みたいなものを表現するのが本当に上手かったと思う。
香川照之演じる薬の営業マン、無免許だって気づいてたんだろうなあ。
感想の正解がわからない。
12年前の映画ですね。5年ほど前にも見て、もう1回見た。実は伊野(鶴瓶)が本当は医師ではなかったというオチだけ覚えていたのだが。
見てみて、はじめから、もう医師じゃないとわかって捜査する様子と、相馬(瑛太)が研修医で来て伊野と過ごす日々が、同時進行で描かれていたんだなと分かった。
この映画の趣旨って、なんなんだろうなあ。僕にはよく正解が正直わからない。
感想を書いてから他の方のレビューを読もうと思う。
医師の役割とは、患者の命をを預かる。診療、診断し治療する。また、医療現場で、他専門職へのリーダーシップを取っていく医療職として最も重い役割だ。その医師を無資格で行うということは、どういうことなんだろう。
何故、伊野は身分を偽り、医師を引く受けたのか。動機が描かれていないし、わからない。ただ、劇中で相馬と話すなかで、最初は、長くやるつもりはなかったが、やりはじめたら、次から次へ必要とされ、必死に応えてきたら、またさらに必要とされ、ずっと続けてしまったみたいな、話し方をしていた。またその時、俺には資格がないんだと告白している。(相馬は医師資格でなく、評価される程の資格の器でないと自虐していると解釈していたわけだが)。
ペースメーカーの会社員が、自分で、独学で医師をやれるのか、胃カメラまで出来るのか、聴診器を使えるのかとか、挙げれば切りがないが、信じられないし、リアリティがないかもしれないが、感じるのは、
1つ目、伊野は苦悩し、自問自答しながら、医師を続けていたということは確かということ。例えば、気胸の穿刺をする際に見せた動揺、恐怖と緊張感、それでも、自分がやるしかなかった。
2つ目、医師は知識があるだけで、務まる仕事ではなく、伊野は無資格ながら、村の人々に、安心信頼を与える存在だった事は事実だったということ。
この作品の中心は、鳥飼かづ子とのやりとり。伊野は、無資格ながら、かづ子が胃がんだと悟るが、本人が治療は希望しない事を聞き、胃潰瘍だと、かづ子に嘘を言う。かづ子の娘にもでっちあげの胃カメラの写真を見せる。(香川照之の胃)
医師であるかづ子の娘は、あの人なら、母をどんなふうに死なせたのでしょう?と最後に語るが、伊野は、果たして、どう考えていたのか。薬で痛みをやわらげ、寄り添い、心のケアでなんとかなると思っていたのか?しかし、伊野は、娘から、「母と次は1年後にしか会えない」との言葉を聞き、娘と居る時間を選ばせるために、偽物の医師を捨てる決意をする。
最後の場面、変装して、がづ子にお茶を入れに病院に現れた伊野。
かづ子は一瞬、硬直したが、優しく微笑む。
病気を治す事だけが、患者に必要なことではない。それだけはわかる瞬間だった。
なんか意味もわからかいけど、ラストシーンにほっこり。
前後したが、私は青年期からの笑福亭鶴瓶のファンだ。映画を見た動機である。鶴瓶は俳優としても一流。
看護師役の余貴美子も、好演。気胸の穿刺を指示だししたり、違和感を感じながらも、伊野の人柄に感じるところがあり、影でずっと伊野を支えていたのは間違いなく彼女だったのだろう。
研修医の相馬も最後に伊野の後継者となる
。彼はどう感じ、後を継いだのだろうか。ただ相馬は村で生き生きとし、居場所を見つけていた事は確かだ。
鵺の正体
「その嘘は罪ですか?」が、この映画のキャッチコピー。
でも”嘘”はそれだけだろうか?
平穏に過ぎていく”はず”の生活。
でも…。
何が悪で何が善なのか。人は善だけは生きていけない。
そんな、心の隅にはびこるしこりのようなものを燻出す映画です。
一見、社会問題を扱っているようにも取れるけど、そんな生易しい映画ではない。
「笑顔が一番恐ろしい」といった人がいるけど、この映画を観た後では、なんと答えたらいいのかわかりません。
この映画を観て、自分ならどうするのか、人助けって何なのか、自分の心と向き合ってみてください。
芸達者の仕事が揃ってます。
肩書き
国家資格がないとしてはいけない仕事があるのは分かりますし、伊野が嘘をついていた事は良くありません。だけど伊野は、本当に人を助けたかったのだと思います。作品は現代の医療や過疎化という社会問題ばかりではなく、肩書きや経歴を重んじる社会の息苦しさも映している様に感じました。
人は信じたいと思うものしか信じない。 そして騙されていたとしてもそ...
人は信じたいと思うものしか信じない。
そして騙されていたとしてもそれを真実だと思えば真実になり得る。
医師免許を持たない先生は、村人にとってはたしかに先生で、このまま逃げなければずっと先生でいられた。
でも、ニセモノであっても悪者ではなかった。
癌で余命が僅かかもしれない患者に、1年後に会いに来るという娘。
もうそのときでは遅いかもしれない。
癌だと知っているのは自分だけで、きっと本人から娘に伝わることはないのに。
どうしたらいいか必死に考えただろう。
逃げるいい機会だと思ったのもあるだろうけれど、そのまま黙っていれば先生でい続けられたのに、そうしなかった。
先生がいなくなったあと、村人たちは手のひらを返して好き勝手に悪し様に言ったけど、
村にとっては先生が本物であるかどうかは大した問題ではなかったんだと思う。
拠り所があること、先生という存在が村にいることが大切なことだった。
俺はニセモノだと言う声が、きちんと届かずに消えていくとき、絶望的な気持ちになっただろうなあ。
こんなはずじゃなかったのに、と思っただろう。
自分でしてきたこととは言え、集団で神様を作り上げられて、外堀を埋められて、身動きが取れなくなって、先生をしてきた、それが一番の悪だというのなら、
村人も、違和感を持ちながらもそのままにしていた人間も、みんながみんな嘘つきで悪だ。
ただの出来の良いヒューマンドラマ
大げさではないが、じわじわと染みる内容だった。
一見して、無免許医師の町医者という設定やテーマがなかなか派手なので、最初は社会的意義やドラスティックな展開を期待してしまう。
しかしすぐに、医療や法律、ミステリや大げさなドラマを期待するのは、間違いだと気づく。
この作品が描いているのは人であり、その先の人と人の関係だと感じた。小さいが社会にも通ずる部分がある。
何にも解決策や治療法、答えを求めようとする現代人にとって、曖昧にしておいた方が良い事もある。そして結局は、正しい解決策なんか無いことの方が多いのが世の中ではないかと。
もちろん映画は監督だけで決まるものでもないが、「ゆれる」よりも幾分観やすく、違った印象を受けた。
罪か否かと問われれば罪だけれど
前に観たような…でも結末が思い出せなくて。
父親が医師であったけれど、自分は医師免許も持たずに過疎化している小さな村で診療所を営む鶴瓶さん。
いい加減さもあるけれど、村人の事を心配しているのは本当。
自分も小さな町の診療所で働き、先生を見ていたから余計に思う。
医者、特に町医者なんて軽い気持ちでなれない。
代わってくれる人もいなくて。24時間365日、誰か何かしら起きていて。本当に心休まる時なんてあるだろうかと。
それをやってのけた鶴瓶さん。
医師免許を持っておらず、医科大学に行ったわけではない人に診てもらい、薬を処方されるなんて実際に考えたら恐ろしいことだけれど。
でも、お父さんのペンライトを盗ってしまったと電話する姿。きっとお父さんが素晴らしく、その後ろ姿を追っていたんだろうな。
バレて逃げた最後のシーン。
八千草さんが入院している病院に配膳係として再登場。
こんな状況でも最期までちゃんと見守りたいという想い。
こんな人が自分の主治医であって欲しいと思う。
評価しづらい
伊坂幸太郎のような日本的ミステリーの小細工的な巧さはあるけれど、正直だからなんんだろう。
何がしたいのかわからず、ただ監督が自分の小細工に酔いしれている美談風の物語。
中身がまるでないし、主人公はただのサイコパス。
曖昧なままにしておくこと
すごくいい映画だった。
本当のことって何なのか
資格とは一体何を必要とするのか考えさせられた。
もちろん、ついてはいけない嘘はあるけれど
お互いに突き詰めたくない事実もあると思う。
途中に娘の井川遥が、
「もし、自分が来てこのことを話さなかったら、今も彼はあの診療所で続けていて、どんなふうに母は死んでいったのか」
と、言っていた。彼の取った行為は犯罪だし、最初は彼もお金のために騙したのかもしれない。
でも、だんだんと村の人々が自分を必要としてくれ、嘘がどんどんひとり歩きしていってしまった。
何人かは、その嘘に気がつきながらも
曖昧なままにしておくことが都合が良かったのかもしれない。
本当のことも正しいことも大事なことなんだけど、わかっていながらも突き詰めないということが、うまく回っていくこともある。
わからなかったことにしておくというのも大事なことなのかもしれない。
かなり期待して見てきた。 「ゆれる」ほど人間の心理状態を描き切って...
かなり期待して見てきた。
「ゆれる」ほど人間の心理状態を描き切っていない気がした。
村唯一の診療所で、誰よりも尊敬される医者を演じるということはどういうことか。
・どうして医者になったのか。
・看護婦と薬屋はどこまで関わっているのか。知っているのか。
・失踪した真相。
その辺りをはっきりさせるか、想像させるようなことをしないと、医者の心理の変化の描写が生きてこない。
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