「実験結果に思わず平和へボケした日本の将来が心配となりました。」エクスペリメント 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
実験結果に思わず平和へボケした日本の将来が心配となりました。
まず、本作を理解する上で、本作の大元の心理学教授フィリップ・ジンバルド博士がどんな実験をやったのかについて触れましょう。
フィリップ博士は環境犯罪学の専門家で、「割れ窓理論」の検証のために、本作で描かれたような心理実験を行ったのです。
この理論は、「建物の窓が壊れているのを放置すると、誰も注意を払っていないという象徴になり、やがて他の窓もまもなく全て壊される」という環境と犯罪の因果関係にアプローチしたものなのです。治安が悪化するまでには、微細な地域の景観や風紀の乱れを放置しておくと、住民のモラルが低下して、やがて凶悪犯罪を引き起こす引き金となるという考え方で、これを全面的に取り入れて、犯罪の発生件数を激減されたのが、ニューヨーク市のジュリアーニ元市長でした。
フィリップ博士は本作の実験に先立つ1969年にも人が匿名状態にある時の行動特性を実験しています。実験結果は、「人は匿名性が保証されている・責任が分散されているといった状態におかれると、自己規制意識が低下し、『没個性化』が生じる。その結果、情緒的・衝動的・非合理的行動が現われ、また周囲の人の行動に感染しやすくなる。」というものでした。本作にも繋がる下地はこのようにして何年も前から地道に研究が続けられてきたのです。それは奇をてらったものでなく、世界各地の犯罪予防に成果を生んだ地域美化の取り組みに、心理学的な根拠を与える成果を生んでいたのです。
とうことで、本作の元になった心理実験は1971年8月14日から1971年8月20日まで、アメリカ・スタンフォード大学心理学部で、フィリップ博士の管理の下で実際に行われた実験です。
刑務所を舞台にして、普通の人が特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動してしまう事を証明しようとした実験が行われた。模型の刑務所(実験監獄)はスタンフォード大学地下実験室を改造したもので、実験期間は2週間の予定でした。
新聞広告などで集めた普通の大学生などの70人から選ばれた被験者21人の内、11人を看守役に、10人を受刑者役にグループ分けし、それぞれの役割を実際の刑務所に近い設備を作って演じさせた。その結果、時間が経つに連れ、看守役の被験者はより看守らしく、受刑者役の被験者はより受刑者らしい行動をとるようになるという事が証明されました。
実験での囚人役の服装や待遇等は、現在ほとんどの国の本物の刑務所では見受けられず、実際の囚人待遇より非人道的であり、囚人待遇の再現性は必ずしも高くはなかったようです。
映画作品では、かなりのところで、実際の実験模様の再現をしていました。何しろプリズンブレイクの製作総指揮と脚本を書いたポール・シェアリングが監督しているため、普通の人が次第に囚人役と看守役にのめり込んでいく様は、凄くリアルです。そして、実験の主宰者の期待通りに狭い空間で常に一緒にいるもの同志が、次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走してしまう有様が克明に描かれていきました。
当初は、ルール通りに役割を演じないと、2週間で一人14000$の大金が貰えなくなるむという報酬が参加者の行動を縛っていたのです。けれども次第に看守役は誰かに指示されるわけでもなく、自ら囚人役に罰則を与え始め、囚人役はそれに反抗し始めます。
それに反発した看守役側は次第に罰をエスカレートし、囚人役のリーダーを連行して便器に顔を押しつける拷問かせら、やがては公然とした暴力まで行使。死者まで出てしまうところまでいってしまいます。実際の実験では、死者こそ出ませんでしたが、囚人役の暴動が起こる寸前までいったようです。
本作で見所は、人間の変化する凄さ。特に看守役のリーダーとなるバリスは、実験前は善良な普通の市民だったのが、実験が始まると当時に、厳罰主義の看守に豹変し、顔つきまで変わってしまいます。この狂気は、どこかプリズンブレイクのセカンドシーズンに繋がるものを感じました。そして実験が突然中止されると、バリスはまた元の善良な市民の顔に戻っているではありませんか。日本人がはまりやすい『空気の支配』の怖さを感じさせる演技だったと思います。フォレスト・ウィテカーの絶妙な心理描写はさすが、アカデミー俳優の貫禄でしょう。
さて、もうひとりの主役であるトラヴィスも実に皮肉な役回りです。反戦集会に参加するほど、彼は人間の理性を信じ、あらゆる戦争という暴力的手段に反対していたのです。 そんな彼の信念は、彼女とインド旅行に行くための旅費稼ぎのために参加した、この心理実験で大きく変わることになったのでした。
実験のルールは、トラヴィスと同じ非暴力の徹底でした。しかし、繰り返される看守役の非人道的な対応に激高したトラヴィスは、自らすすんで囚人役グループをまとめ上げて、暴動を起こし、暴力で怒りを収めようとします。
実験が終わったときの帰路で、参加者の一人が「結局われわれは、サルを越えていなかった。」と自嘲する言葉に、トラヴィスも愕然とします。
結局トラヴィスの非武装理論は、頭の中での産物にしか過ぎませんでした。これは単に映画のなかのフィションと考えずに、日本の置かれた現状に対する警告と考えた方がいいのかも知れません。看守役側の非道な仕打ちに耐える演技を披露したエイドリアン・ブロディの役者根性も讃えたいと思います。
映画マニアの間でしばしば語りぐさとなっていたドイツ映画『es』とは、こんなえぐい内容だったのかと改めて思い知らされました。プリズンブレイクのファンだったひとや、群集心理に関心のある方は、必見でしょう。
映画的にも、なかなか楽しませてくれました。