天安門、恋人たちのレビュー・感想・評価
全4件を表示
約30年前の作品だけど、この内容でいまだになかったことになってるのが恐ろしい
2024.6.6 字幕 アップリンク京都
2006年の中国&フランス合作の映画(140分、R18+)
天安門事件時代に大学生だった若者たちの恋と性を描いた青春映画
監督はロウ・イエ
脚本はロウ・イエ&メイ・フォン&イン・リー
原題は『頤和園』、英題は『Summer Place』で、主人公たちが過ごした場所のひとつ
物語の舞台は、中国の図們&北京&重慶&深圳&北戴河とドイツのベルリン
時代的には、1987年からの十数年間を描いている
中国と北朝鮮の国境地帯に近い町・図們に住んでいる学生のユー・ホン(ハオ・レイ)と恋人のシャオ・ジュン(ツゥイ・リン)は、ユー・ホンの大学進学を機に、北京を訪れることになった
ユー・ホンはそこで女子寮に入ることになり、トントン(ツアン・メイホイツ)と仲良くなり、課題活動を通じてリー・ティ(フー・リン)とも仲を深めていく
そして、リー・ティから彼女の恋人ロー・グー(チャン・シャンミン)と、彼の友人チョウ・ウェイ(グオ・シャンドン)を紹介してもらうことになった
ユー・ホンはすぐにチョウ・ウェイと恋仲になり、シャオ・ジャンと別れた
そして、愛欲にまみれた毎日を過ごしていくことになるのである
映画は、中国映画初の女性の裸体が登場するという内容で、天安門事件を含む多くの政府による弾圧の歴史が「当時の映像つき」で登場するので、いまだに中国では公開されていない
内容的には、時代に翻弄された男女を描いていて、それは反体制というほどまでは傾倒していない
学生時代にありがちなアナーキズムへの憧れとか、抑圧されることによる反発が描かれているのだが、それ以上に性的描写が驚くぐらいに多い
場面もかなり場所を移動しまくるので把握しづらく、登場人物も結構多いので、時代とともにユー・ホンが変わっていくのが別人に見えてきたりもする
ざっくりと、恋とセックス依存症みたいな主人公になっているが、ずっと心のどこかにはチョウ・ウェイがいる感じになっていて、彼もまたリー・ティと関係を結んでも、彼の中にはユー・ホンがいる
チョウ・ウェイが帰国することを知ったリー・ティは、何の前ぶれもなく自殺をしてしまうのだが、それぐらい不安定な精神状態のまま過ごしていた時代だった、ということなのかもしれない
キャスト情報などをネットで拾うのはほぼ不可能に近く、中国のwikiっぽい辞書ページでは「存在しない感じ」になっていた
どうしてもフルキャストを知りたい人は、エンドロールの真ん中あたりに「シーンごとのキャスト」が載っているので、ガン見して記憶するしかありません
役名はないので俳優名しかわからず、ドイツ時代の友人ニーナがAgnieszka Piwowarskaというぐらしか認識できなかった
いずれにせよ、天安門事件を扱う映画は稀なのだが、あの時代を生きた若者たちの背景と化しているので、そこまで拒絶反応をしなくても良いのにと思ってしまう
若者たちによる性革命的な部分もあって、それがメインに描かれているのだが、それが天安門があったからというのもちょっと違う気もしないでもない
それでも、中国だとここまでやると公開できないということを考えれば、年齢制限さえ付ければOKという日本は自由なんだなあと思ってしまった
自傷行為の様な
暗い画面が多いし、カメラの揺れやら逆光やらでなかなか登場人物の顔と名前が覚えられなかった。
え?え?なんで?何してんの?は?的な嘆息を無音で発しながら観た。眠くはならず集中してたが。
主人公女性は、メンヘラちゃんです。ポエミーな日記のモノローグといい、試し行為といい、自傷行為のようなセックスといい、どうした?あんたをそんな風に培った原因はなんや?とずっと思ってた。
大学辞めてからの巻き髪似合わんし、自転車でバイクみたいなのにぶつかって事故った時に迎えにきてくれた優しげな同僚男性と結婚すりゃええのにと思ったが、なんか贈り物してどっか行くと。あんたは何したいんや?
主人公男性も、メンヘラちゃんの友達と浮気して(自分の友達の恋人でもある)メンヘラちゃんが学校やめて、浮気相手とベルリン行って、浮気相手は主人公男性が帰国することになったら急に飛び降り自殺しちゃうし、なんなん。訳分からん。
まぁ、国が違えど時代が違えど、多くの若者は愚かで、見境なくて、肉欲とか病んだ感情に体乗っ取られておかしなことするんやな、という理解を得ました。
天安門事件はほぼ背景なので、わたしの様な不勉強者にはなんのこっちゃでした。
それぞれの道へ
正直(´ε`;)ウーン…となりながらも正直に観た感想を頭の中で整理しながら書く。
主人公のユー・ホンは故郷に家族と恋人を残した状況で北京の大学へと進学するが、女子寮で知り合った別の部屋の同級生と親しくなり、彼女と彼女の恋人、そしてチョウ・ウェイと運命の出会いがやってくる。本作ではユー・ホンがチョウ・ウェイと親しくなるまでを描き、やがて二人で過ごす時間が増えるにつれカップルになる。
ところで故郷の恋人はΣ(´∀`;)
自然消滅したというのか?
故郷の恋人もいながらのチョウ・ウェイと熱いラブシーンを繰り広げるのだが、これは単純に愛に貪欲で寂しがり屋なユー・ホンの自由奔放な恋愛遍歴の結末とも言えるのだが天安門事件を機に2人の方向性が変わってしまったのは間違いない。
二人は別れてそれぞれの道へ、そしてお互い新しい恋を始めるのだが、モヤッとボールがあるなら投げたいぐらいのエンドロール(笑)
結論、復縁には至らない。
ユー・ホンがずっと心の片隅に置きながらも忘れないでいたチョウ・ウェイとガソリンスタンドで落ち合う形で再会を果たすと懐かしみ合いながらも既に既婚者となっていたユー・ホンがチョウ・ウェイとよりを戻すことはなく、かたやチョウ・ウェイは未練たらたらの状態で居続けることになったのは果たしてハッピーエンドだろうか?
二人は再会後、二度と会うことはなかった。
この字幕だけが若かりし二人の恋の終焉を見ているような気がした。
邦題違えども、荒削りなロウイエ作品良い
2006年の作品。
この邦題がついていて見逃していたので悔しい思いだったが、、シャドウプレイ公開にともなうK’s cinema のロウイエ監督祭(特特集)で満を辞しての鑑賞。原題は、まあ、当然かもしれんけど全然違う庭園?北京の夏の離宮ということであった。英語だとSummer palace.ロウイエ監督のタイトルの付け方は面白い。シャドウプレイも。必然と趣味、ウィットというのか、そういうものが入ってる。
そしてなかなかのスケールであった。最初の、故郷は朝鮮との国境の町。辺境のおおらかさで郵便配達員が仕事もしないで酒飲んで店番してる恋人女子高生ユーホンと仲良くしてる、そこへきたおばさんに、アンニョンハセヨというたから冒頭からガツンとかまされたけど、朝鮮国境近いど田舎から夢の北京の大学へ進学する才女だったのだ。
自由と刺激を求める女子ユーホン。大学での運命的出会いというのだろう、モテ男チョウウェイとの日々、氷と雪に凍てつく美しい旧世界の庭園、夕日をうけて輝くの大きな池。サマーパレスで、大学で、西側との交歓あり活気あふれる北京の街で、二人は自由な個人的生活を楽しむ。ここにいる学生たちは皆自由な個人を楽しみ、政治の季節民主の歌声が聴こえたと思ったらその時代もあっけらかんと過ぎて終わった。レッドチャイナ中国は数年単位で時代が変わり主人公も自分の持ち方も変わる。
邦題は、タイトルに天安門とあり実際に生々しく希望似満ちたデモに向かう学生たちの映像も差し込まれ、映画の登場人物たちがトラックに乗り込んで天安門に行く姿は、ヨーロッパで、レイブパーティに行くような感じ、そんな感じの熱量とノリで撮っていて、ロウイエ監督すげえな、と感動。
香港囲城などでみた最近の香港の若者たちの闘争に、今、2003年末にこの作品をみて、昨今の香港民主化関連作品と比べてみれば、民主を叫ぶ以外イデオロギー、思想、左右の闘争みたいなものは全くなくて、あっけらかんと祭りのように(現状香港の方がより管理ガチガチで非常に厳しい状況だが)1989年思い思いの格好で自由を謳歌するように天安門に馳せ参じていて、2006年この感覚どんな感じだったか、映画を公開できるものにするための工夫だったか、私には全くわからないけど、これもまた絶妙なロウイエ監督の嗅覚、バランス、審美眼かと恐れ入る。
目頭的にグッとくるのはこの辺りだけで、あとは自由に自分にこだわり文学的に刹那的に友情も裏切りも思いのままの本能で生きる若者たちの、意外とレッドチャイナに阻害も妨害も嫌気もな、それぞれのその後、末路。愛とか傷みとか、自分も2006年ではなく2023年になりそれなりの年令で見ているので、深淵なれど冷静に、眼差しの交差と不交差、性愛による救済と破滅を冷静に見届けるのみ。若者たちは、スクリーンの中でスケール大きく、3人組はベルリンに移り住みベルリンの壁崩壊後のベルリンの空気を吸い、ユーホンはひとり、深圳、武漢、重慶とまつろわない自分を持て余し彷徨い自分の魂をなだめすかし弔うようにして日夜を過ごしている、でも絶対死なない、なんかある、なんか見つけると闘志もある。だからラストシーンも、まさかのお酒買いに行ってた、、、ところもロウイエ監督すげえ!と最後までありがとう。シャドウプレイ公開記念の特集番組中の、k’s cinemaのお客さんがとにかく若い中国人でいっぱい。明かりがついて席を立つと、中国語の若者たちの会話があちこちから聞こえるし、今日なんか外に出て新宿の街も中国語話者に溢れていて、映画館の暗闇から新宿の路上で、思わずくらくらした。映画とは体験なり。
中国の大学生くらいの人たち、東京でロウイエやってるよ!てひろがってるのかしら香港の方々なのかとかいろいろクラクラしながら帰宅した。
本当のクラクラ目眩の別の原因は、、1989年韓国でも、北京でも、英領から返還離脱の香港も、民主と自由を求めて闘っていたんだよな、日本は東京は、それに呼応や連帯したのはほんのわずかで、肩身の狭い感じだったし、今となっては、この有様だなと。
北京天安門や、あの頃の香港や武漢や深圳やベルリンの風景が、かざらず偽りもない姿が記録され記憶されているのも大切にありがたく、この世界への情愛に溢れていた。
全4件を表示