「エメリッヒ最後のディザスターもやっぱりエメリッヒ・テイスト炸裂!」2012 Kadwaky悠さんの映画レビュー(感想・評価)
エメリッヒ最後のディザスターもやっぱりエメリッヒ・テイスト炸裂!
まずはじめに、この作品はジョン・キューザック扮するしがない作家の、
バラバラになった家族をもう一度ひとつに束ねる物語だ。
そのためには人類が滅亡してもかまわない、という勢いは全編を覆っている。
家族は未曾有の自然災害の渦中で、少しずつ元に戻っていく。
主人公のジャクソンが超越した不死身の人間であることは、
最初のリムジンのカーアクションでおわかりだろう。
そのあとは同じパターンをセスナ機でもう一度描いてみせる。
ここまできたら彼が死ぬわけがない。
これらのシーンは彼を殺させないための保険だ。
そうしてナイスタイミングの連鎖は彼の身を好転させていく。
そして、彼の家族はあらためて新世紀の船上で幸福なハグをする、
七歳の娘がようやくオムツを取れたことを喜びながら・・・。
しかしながら、実は彼の幸福の影で死んでいった人々にこそ、
真のドラマがあったことを忘れてはいけない。
この作品は、ジョン・キューザック扮するジャクソン・カーティスの存在を
別にすれば、比較的よくある群像劇として描かれている。
もうひとりの功労者である地質学者エイドリアン、
エイドリアンの友人で、この未曾有の危機を最初に発見した
インドの地質学者サナトム、
最後までホワイトハウスを離れなかった最後のアメリカ大統領、
最後の最後で父親として勇気を持って死んでいった
元ボクサーの実業家カルポフ、
など、感動的な要素は多いにあった・・・はずなのだが、
ありえない怒涛のVFXにこれらのエピソードはどうでもよくなる。
さらには、イエローストーン国立公園でDJかたわら真実を伝えようとする
チャーリー・フロストは、かの「インデペンデンス・デイ」のアル中パイロットを
彷彿とさせるいかれっぷりで、エメリッヒの作品世界を象徴している。
エメリッヒは、常にどんな難解な局面でもアメリカ人は楽観的であることを伝えている。
それが彼の描く作品の統一的テーマだと思う。
そういう意味で、この作品もエメリッヒ作品から外れない傑作となってしまったのだ。
しかしながら、切断され崩壊するビルの端でぶら下がる人間を描いてしまったら、
今後のディザスタームービーはこれ以上なにを描けばよいのか・・・。
そういう意味では、エメリッヒがこれを最後のディザスターとしたことは確からしい。
これ以上の映像はしばらくは描かれないだろう。
では今後エメリッヒは何を描くのか、そちらの方が逆に心配になったりする。
ところで、タマラってやっぱ死んじゃったのかなあ、
すごく適当な終わらせ方ですこしかわいそうになっているのは、
ぼくだけではないでしょう。