「アメリカンデモクラシーの終焉」2012 prof1961さんの映画レビュー(感想・評価)
アメリカンデモクラシーの終焉
『2012』を見てきたが、映像が迫力がある分、その設定の非道振りへの怒りが増幅させられた。
ハリウッドが地球滅亡の映画を撮ることは毎年吉例のことだからとやかくは言わない。しかし、今回の映画のひどさは、映画の世界にも新自由主義とやらが大手を振って登場した映画として銘記されるべきだろう。旧約聖書のノアの洪水の話を下敷きして箱船を造るというのはいい。そこに乗ることの出来る人類も限定されるというのも致し方ない。しかし、そこで選別されたのが政府要人やら10億ユーロ払えた富豪さらには遺伝子チェックによる人々というのだから、これは一種の優性主義、新たなナチズムではないか。さらにそこに加わるのが、大地が消滅するという情報をたまたま得たこの映画の主人公の家族たちで、彼らは乗船の権利もないのに不法に船に乗り込もうとする者たちだ。つまり、ナチとごろつきが船に乗り込むということである。強者のみが残るという点で新自由主義の原理が貫徹されていると言えよう。
オバマに合わせてアメリカの大統領は黒人なのだがこれもひどい。五大陸全体が水没する二日前になって、国民には全てを告げるべきだと地上の消滅をつげ、自身はその責任をとって箱船には乗らず市民と共に海の藻屑と消えるという選択をする。この行為にはどこにも英雄的なところはない。まるでかつての敗戦時の日本軍の指揮官のような無責任さである。そもそも3年以上前に陸地が海に飲み込まれるということはわかっているのだから、国民に知らせるならもっと早くに知らせて覚悟をさせるべきである。それが無用の混乱を呼び、返って人類の危機を増大させるというなら、最後まで口を噤むのが上にたつ者の役目だろう。それを最後の最後になって国民には知る権利があると言ってスピーチするのは、自身の疚しさを癒すため以外のなにものでもない。あまつさえ、自分は責任を取って箱船には乗らないという。その後の船の混乱は、彼がいわば敵前逃亡にも等しい乗船拒否という態度を取ったがためだ。それで本人の罪の意識は多少とも軽減されたかもしれないが、それは上に立つ人間のすることでは決してない。何十億という人間の死を決定した人間として、死ぬまでその重荷を背負って生きるべきだろう。こんな情けない大統領は初めて見た。監督のエメリッヒは共和党員でオバマが嫌いなのかと思ったりもした。
さらにひどいのが箱船に乗った科学者だ。肝心の情報を父親には告げるし、それまで多くの人間を犠牲にしたことへの良心の呵責から、取りあえず箱船の近くにいる多分数万人の乗船を各国の首脳に訴える。するとよりにもよって各国の首脳が舟の定員を超える、あぶれた人々の乗船を許可する。定員を超える人間を収容することは、船の安全性を損ねるに決まっている。映画では、部屋に随分余裕があるからといような言い訳めいた説明をいれているが、部屋の広さだけの問題ではなかろう。水や食料は大丈夫なのかと言いたくなる。つまり数十億の人間を見殺しにした罪の意識をわずか数万人を救うことで糊塗しようというのだ。
最も嫌悪を感じたのは、最後に主人公の家族が救出されて船の乗組員全員が快哉を挙げるシーン。これは、ちょうど氷の川に落ちて動けなくなった犬をレスキュー部隊が救出して、その様子を傍から見ていた野次馬が拍手喝采するというのに似ている。一方で日本だけでも年間50万等あまりの犬猫が殺処分されているのにだ。それらの家族を助けるなとは言わない。救出しようとするのは当然だ。しかし、彼らは乗船の権利もないのに不法に船に乗り込もうとして、その過程で船の運航に支障を来すことをしでかし、その結果生命の危機に陥ったのだ。動機といいまたその実際の行動といい、どこにも彼らの行為の中で賞賛に値するものはない(大体彼ら家族は逃げる過程で周囲にいる人間に危険を告げ、少しでも多くの人間が助かるように一度でもしただろうか)。そんな人間を救出して喜ぶのは、これまたそれまでに何十億の人間を見殺しにした罪滅ぼし以外の何でもない。
『アルマゲドン』にしろ『地球最後の日』にしろ、これまでハリウッドが作った地球滅亡ものに登場する人々は出来うる限り人類あるいは地球全体の救出を目的とし、そのために自身の命を投げ出すという行為に出ている。だから、彼らの行為にはヒューマニズムの精神があるのは間違いない。しかし今回の『2012』に登場する人々には一人たりとて人間の崇高さ尊厳を感じさせる人物が出てこない。だから、見ていた腹が立ってしかたがなかったのだが、さらに館内ではそこここからすすり泣く声が聞こえて来て、さらに気分が悪くなった。まったく嫌なものを見せられた。