闇の子供たちのレビュー・感想・評価
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この映画には、いま描かれるべき葛藤がある
梁石日の同名小説を阪本順治が脚色・監督したサスペンスドラマ。タイで行われているであろう幼児の人身売買と臓器移植の闇に日本の新聞記者が迫っていくストーリー。お説教クサい内容ではあるが、東京のサラリーマン家庭の子供がタイの子供の臓器を提供してもらい移植手術を行うという段になると、タイ人の子供の命をとるか、日本人の子供の命をとるか、という大きな葛藤が浮かび上がり、俄然盛り上がってくる。
最近の邦画でここまで大きくシリアスな葛藤が描かれることは滅多にない。この葛藤を描いただけでも価値のある映画となった。
闇を抱くのは子供たちだけなのか
「海外の臓器密売のお話」
それだけ、前もって知っていました。
かなり重い作品になるだろうな、との
覚悟はしていましたが、、、、
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今回、映画終了後、舞台挨拶がありました。
そこで、佐藤浩市さんが話されたのが、全てかと。
「舞台挨拶は、上映終了後に、やるべきだと、
いつも思っています。ただ、この作品に
関しては、上映前に、やりたかったです」
ものすごい深刻に、もしかしたら、
佐藤さんご自身が、泣き出してしまうのでは
ないか、と思われるほど、でした。
この作品、
原作とは、主人公が変えられています。
原作は「NGOの女性」、
今作は「男性新聞記者」です。
男性に変更することで、
作品のテーマを、より監督の近くに寄せたかったそうなんです。
殺人シーンがあるように、
「臓器売買」が絡む、実際問題
かなりリスクの伴う作品であり、
以前ドイツクルーが、同様のテーマで
撮影をしたときも、同国内のマフィアに襲われ、
中断を余儀なくされた、そんな曰くすら、つきまとっているんです。
文字通り、命がけの撮影だったわけです。
眼をそらしたくなるようなシーンも、
眼をそらすことなく、全て描かれています。
・幼児売買
・幼児買春行為
・エイズ感染
・ペドファイル
まるで、観ている我々が吐き気を
催しそうな場面が、スクリーンに映し出されます。
この、子供を演じる子役、
現地で、オーディションで選んだ。
裸をさらしたり、
ゴミ袋に入れ捨てられたり、
銃撃をされたりする、演技とはいえ、
精神的ダメージを受けそうなシーンが
多かったので、監督は子役のケアもされたそうです。
もっとも、その監督ご自身が
一番精神的なダメージを受け、
失語症に罹り、緊急入院。
撮影を、別の監督に委ねようかと、
真剣に、考える、それほどまでに追い込まれてしまった。
舞台挨拶、
監督含め、キャストの方が、
あまりにも、真剣に、しかも長い時間、
作品の感想や、意見を、話されるので、驚きました。
それは、制作そのものが危ぶまれたことや、
作品が、はらむメッセージ性からして、
役者の方々も、それ相応の覚悟をして
挑まれたからに、違いない。
”ノンフィクションに限り無く近い、
フィクション”そして、海外での、
幼児の虐待シーン、性交渉シーンを、
ネット上の闇サイトにアップしている日本人が多い、事実。
「こんな作品、よく映画にできたよなぁ」
今は、もうそれしか言葉がでてきません。
「上映後の感想ですか、
上映できて、ホッとしています」
これは、監督の言霊でしょうね。
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【 補足 】
①撮影は、タイで行われたのですが、
現地キャストも、タイでは映画に
よく出演されている有名な役者さんらしいです。
「豪華キャストは日本の役者さんだけじゃないです」
と、監督は、誇らしげに話されていました。
②作品、音も音楽も、とてもよかった。
EDで流れる、桑田さんの歌も、またよかった。
そこで、もう一回、涙が溢れてしまいました。
それは、感動ではなくて、とても辛くて。。。
③セリフのない、
モノや動きだけで、
魅せられるシーンが多かったです。
そちらにも、是非、ご注目下さい。
最後に、
あんなに、重苦しく、
でも、熱い舞台挨拶は、初めてでした。
きっと、本当に、映画が大好きなんでしょうね。
そんな、作品を、鑑賞できて、うれしいです。
ありがとうございました!!
闇に光を当てる一歩
自ブログより抜粋で。
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子供の人身売買というこの難しい題材を映画化するにあたって、いい意味で“劇映画”としての適度なエンターテイメント性を加味しつつ、それでいて過度に演出されたお涙頂戴な悲劇や安易なハッピーエンドにしなかった真摯な映画化にまず拍手を贈りたい。
(中略)
大人の性の玩具とされたり、一方的な都合による臓器移植のための商品とされた子供たちの悲劇に憤りを感じずにおれないのは、前情報として作品の概要を知った時点で予想できたことだが、この映画が真に訴えようとしているのは外国で起こっている出来事に対する日本人への当事者意識の喚起であろう。まさかの衝撃のラストがそのことを如実に表している。
この手の落としどころは、いわゆる娯楽作としてのサスペンス映画ならさして驚くようなオチとは思わないのだが、こんなガチガチに硬派な社会派作品でこういう終わり方をするとはまったく予想していなかったがゆえにあまりに衝撃的で尾を引く。
宮崎あおい演じる世間知らずの自分探しNGO娘と対を成すこの結末は、口先だけで当事者意識を持ったつもりでいることの浅はかさを浮き彫りにする。
あるいは、本筋のストーリーとは直接リンクすることなく進行する、エイズに冒された少女がゴミ捨て場から脱出し、文字通り地面をはいずって自力で故郷へ戻るエピソード。そこには日本人キャストが関わらないで完結することからもまた、それらが我々日本人の知り得ない出来事として闇に葬られている現実を象徴しているようでもある。
阪本順治監督の確かな演出とともに俳優陣の演技も申し分ない。
子供らが臓器のために売買されている事実に憤りつつも新聞記者として冷静でいようとする江口洋介、あくまで自分の思いに実直であろうとする宮崎あおい、お調子者だが正義感も持ち合わせた妻夫木聡、我が子のためにはたとえそれが不穏なものであってもすがろうとする佐藤浩市、誰も彼もが隙のない演技を見せており、そういう意味でもスクリーンに緊張感がみなぎっている。
映画一本観たところで問題が容易に解決するはずもない。しかし闇に光を当てる一歩とはなろう。
安易な気構えで観られる映画ではないが、この紛れもない傑作を一度でいいから観て、そして考えて欲しい。
あまりにも重い
見ていて吐き気がする場面が多い。
人間の人権などまったくない。
でも現実としてアジアには当たり前の状況に
あることが想像できる。
同じアジア人として辛い現実である。
この映画は撮るに値する映画だ。
そして観るに値する映画だ。
しかしあまりにも観ていて辛い。本当に辛い。
自分にできることから始めよう。
闇から光ある世界へ。
観るに耐えられないというのは、こういうことなんだろうと
この作品を観ていて思った。
どこにも救いがない。こんなことが平然と行われているのに
自分はただ観ているだけで何にもできない。
なにかに押さえつけられたような息苦しさを感じながら、
こらえようのないジレンマに苦しめられる作品だった。
原作は未読だが、よくこれを映画化したものだと思った。
フィクションではあるものの、かなり現実を踏まえており、
私たち日本人も、どこかで関わる可能性があるともいえる。
子供が生まれる。ということは今まで喜びではなかったか。
どうして子供達がこんな扱いを受けなければならないのか。
昨今の日本の性犯罪を見ていても、子供は大人の玩具か?
と思えて仕方がない。他人を喜ばすために提供されるのが
子供の身体や臓器だなんて、私は思いたくない。
でも、こんな悲惨な事実から目を背けてはいけないのだ。。
冒頭からフラッシュバックのように南部(江口洋介)の頭を
かすめる映像が、なにを示しているのか最初分からなかった。
…それがラスト。あぁ~そういうことだったのかと、
もちろんショックはそれだけではなかったが、またもや
やるせない、、そんな気持ちだけを残してこの作品は終わる。
誰が正しい。とか、どうすればいい。とか、簡単に答えを
出せない問題だからこそ、なんとかならないもんだろうか。
そんな作者側の意図がアリアリと見えてくる問題作だった。
そしてやはり親の立場として考えてしまった。。
梶川(佐藤浩市)の息子が、もしも自分の息子だったら…。
それで命が助かるのなら、見えない闇なら見ないままで
そのことだけに心血を注ごうとしてしまうんじゃなかろうか。
泣き叫ぶ母親(鈴木砂羽)を見て、ますます混乱してくる。
そこへ付け込む悪徳組織がある限り、無くならない問題を
どうにかするためには、命を張るくらいの覚悟が必要なのか。
音羽(宮崎あおい)は、子供達をどうするんだろう。
与田(妻夫木聡)は、今後なにを撮り続けるんだろう。
(席を立ったあと、トイレまでの足取りが重くて仕方なかった)
NGO、所詮、自分探しなんだろ?
映画「闇の子供たち」(阪本順治監督)から。
「NGO」を辞書で調べてみると、
(nongovernmental organization) 非政府組織。
平和・人権問題などで国際的な活動を行っている非営利の民間協力組織。
現在もNGOのメンバーとして、世界の各地で頑張っている人にとっては、
ちょっと観ない方がいいかもしれない。
そんなのおかしいです・・と大声で正義感を訴えたあと
「NGOってのは、みんなああなのかね」と言われてしまう。
平和を声高にすればするほど「NGO、所詮、自分探しなんだろ?」
と相手にされず、
マスコミ取材は、NGO職員が随行するだけで、
「なんでここにNGOがいるんだ」と叫ばれ、怒鳴られる。
最後には、現地でも「NGOがうっとうしい・・」と罵声を浴びてしまう。
もちろん、映画の中の話なんだけれど、
ただただ正義感だけで突き進むところ、段取り、根回しなどをしないところ、
NGOに限らず、こういう一失敗を恐れない直線タイプは、
今の時代に合ってないかもしれないな、と感じた。
この映画、どこまでフィクションで、どこまでノンフィクションなのか、
ちょっと考えさせられてしまった作品である。
この作品を殿堂入り出来ない理由
一ヶ月前は、劇場も限られ、常に満席状態。
無計画な私は三度も面会謝絶で
その度に、変な映画を変わりに見てしまいました。
公開劇場が拡大されて、ようやく対面です。
観終わっての感想は、観て良かった、
と素直に思えました。
ただし、明るい気分には当然なれません。
スラムの子供たちは親に売られ、
売春させられ、
病気になってしまうとゴミと一緒に棄てられてしまいます。
それを、
現実として受け入れなければいけない
国の事情があります。
ゴミに捨てられたけど、
何とか這い出し、人家にたどり着いた少女によって
幼女の買春組織が摘発されると思いきや
なんと、そこの人達は、かくまってあげるものの
隔離はなれみたいなところで、
結局死ぬのを待つだけの、見殺し状態。
これって、国民自体が
幼女買春の存在を知っているけど、
必要悪と思っている、ッてことですよね。
もっと凄いのは、
臓器移植のために
健康な幼女たちから臓器を摘出するってところ。
こんなシーンは紛らわしいので、
フィクションなら設定を変えたほうが良いのでは
ッて思っちゃいました。
タイで公開禁止になったのは
そんなわけなのでしょうか、ね。
それと、
江口洋介演じる主人公は日本人を代表する象徴なんだから
安易に
過去に自分もこのような行為の加害者でもありました
それを後悔して、
懺悔のつもりで、自殺します。
そんな、薄っぺらい終わりにしては、いかがなものか
って思いました。
それが、
素直に「殿堂入り」に出来なかった理由です。
ムゴすぎる現実…。
映画を観終わって、こんなに重い気分になったのは久々ではないでしょうか?『悲しい』とか、『泣ける』とか言う類の言葉では括れない。トンでもない“問題作”です。
観ている間、何度もスクリーンから目を逸らしてしましました。心中で『勘弁してくれ』って、呟いてしまいました。ショッキングな事実と映像。“児童性愛”と“臓器売買”。普通の感覚を持っている人なら『もう充分だ!』と言うくらいに、堪らない気持ちになるでしょう。更に吾輩のように“児童”と呼ばれる年齢の子供を持つ親にとって、この映画はまるで“拷問”のような、『ムゴい』としか言いようがない、2時間18分でした。そして『ムゴい』と感じると同じくらいに、烈しい憤りを覚えました。『何とか、ならんのか!?』と。
しかし、コレが現実なのです。それも、需要の側に一部の日本人も大いに関わっている、作中『東京から地図で20Cmの距離』と台詞で語られる街・バンコクで、実際に起こっている出来事なのです。キレイ事では済まされない、この現実を描いた梁石日(ヤンソギル)の原作を、阪本順治 監督が、真正面からぶつかって入魂の1本に撮りあげています。特に作中、子供たちが無邪気に遊んでいるシーンと、売春宿で鎖に繋がれているシーンの対比が、あまりにも鮮明すぎて吾輩の頭の中から離れません。或る意味トンでもなく、素晴らしい演出です。
江口洋介、宮崎あおい、妻夫木聡、佐藤浩市と、豪華なキャスティングが揃って、ラストまで救いのないストーリー(本当にラストで、とどめを刺されます。覚悟してください)が展開されます。正直『出来れば知らないままの方が良かった』とも思えるテーマなのですが、一度は観ていただきたい映画です。但し、決して軽い気持ちで映画館に行かないで下さい。観たことを後悔(“しょうもない映画”とか言う意味ではなく)させてしまうことになるかも知れない映画を、吾輩はおすすめしていますから。
もう一度言います。覚悟を決めて、映画館へ足をお運び下さい。そんなに遠くないアジアの片隅で、凄惨な状況に置かれている子供たちの現状を見るために。
最後がなぁ・・・
幼児虐待・幼児人身売買、闇社会の現実を世に暴こうとするジャーナリストと、子供を守ろうと命を張るボランティアの女性のお話。重いっすね、描写もやたら酷っすね、幼児に対する性的虐待のシーンなんて、そこまで描くかって感じだし・・・。この問題に真摯に真っ向から向き合おうって意志なんだろうけど、観ててとにかく辛かった。
こんな闇社会、ぶっつぶれて当然、簡単に出来そうなものだけれでも。なかなかそうもいかない現実をまざまざと見せつけられます、この映画。気になったら観てみてもいいんじゃないでしょうか。
たーだね。最後までリアルな重みのある映画だけど、最後の最後で誇大な演出が入ってます。なんであんな演出したのか僕にはさっぱりわからない。十分過ぎるほど伝わっていたのに、なんで最後の最後で嘘くさいドラマチックないわゆる「どんでん返し」を用意しちゃうかな?そーゆー映画じゃねーよな、コレ。
演出ってストーリーや人物を湧き立たせるものでしょう、演出の為に人物を小道具にしてどうしますか。
安易なセンセーショナルに走らなかった点が、素晴らしいと思います。
幼児人身売買、そして生きたまま臓器が取られてしまう臓器密売の実態がまるでドキュメンタリーのごとくタイの現地ロケによって描かれていて、ショックを受けました。
しかも買春や臓器売買に日本人が関わっていることも触れています。これまで臓器問題では、余命わずかな子供の命をどう救うかに関心が集中し、その裏側に潜む脳死が人の死かということと臓器密売などのアンダービジネスにつながりやすい側面までいかなかったと思います。
これまでただ可哀想だという感情論で、ドナーカードの推進や臓器移植の推進を支持してきた方に、一度この作品を見ていただきたいものだと思います。
作品中登場する日本人夫妻は、余命半年の息子の命を救うなら、すぐドナーを見つけてくれるタイでの移植を当然のことのように思っていました。タイから駆けつけた記者に同行したNGO法人スタッフの恵子に、「人の命をお金で買うのですか」と詰め寄られても、平然と追い出してしまうのです。」
そこまでしてもわが子の命が大切なのか。日本人夫妻は記者に「あなたのお子さんならどう思うか」と逆に問いかけます。皆さんならどう思われるでしょうか?
作品では、幼児人身売買と幼児売春と臓器密売が一体となっていることが明らかにされます。移送するブローカーの男性を「悪者」としてだけ描くのではなく、彼自身も精神的な被胃を過去に負っているという人間の複雑さがきちっと描かれています。
売春シーンでは、かなりきわどい表現もありました。但し子どもたちへの暴力シーンは余り描かれておらず、子どもたちの非力や無力を強調するのではなく、醜い買春者らの表情がクローズアップされていて、安心しました。
そして買春者を断罪するために、現地のNGO施設では、子どもたちが本来もつ伸びやかな生命力を表現しており、児童買春はそれらの力を奪う犯罪であることを観客に強くイメージ付けます。
人間性をすり減らすような人身売買という重いテーマ。そしてエイズに罹患して売春宿から生ゴミとして捨てしまう幼い少女の過酷な運命。ショッキングな映像が続くなかで、冒頭の幻想的な満月や、ヤイルーンが故郷に向かう際に大木に抱きつくシーン、ラストのヤイルーン姉妹が水辺で戯れるシーンは、彼女たちがほんとうにふつうの少女であったことを回想させ、ほっとさせてくれました。
日本は人身売買受入大国と言われています。子どもたちもまたさまざまな方法で日本に連れてこられて、被害に遭う実態があります。複雑かつ巧妙に縮み合う背景を伴う人身売買ビジネスの根をどう断ち切るか。私たちひとりひとりに突きつけられた課題であると思います。また小地蔵と地蔵菩薩界の願いでもあります。
こうした背景に、タイでは南部に行くほど警察など公的機関のコントロールが効かないため、タイを通過して、中国やミャンマー、カンボジアからマレーシア、シンガポールに移送される事例も多くなっているようです。
タイ政府の名誉のために、政府レベルでは先進的な人身売買政策をとっている国なのです。しかし、それでも根絶できない大きな理由は、貧困や社会格差だけでなく需要側の問題であると思います。需要が削減されていないのに、いくら供給側を水際で防止しても、元の木阿弥分なのです。
ところで本作では、面白い問題提起を登場人物に語らせています。臓器密売を追う現地支局記者南部は、悪しき循環を断ち切るために、見たままの事実を報道することに使命感を持って取材を続けていました。
しかし、取材のなかで浮かび上がった臓器移植の事実について、取材に協力していたNGO法人スタッフの恵子から、なぜ伝えるだけなのか、なぜ殺される子供を助けようしないのかと詰め寄られます。
恵子の言葉に、記者として、人間としての狭間で苦悩する南部ではありました。ただ、ここで1人助けても、また誰かが犠牲になるだけだ。根本を報道の力で変えていかなければという南部の思いもよく分かります。記者と事件の関わり方まで提起する作品でした。
また本作では、キャストの意気込みがビンビン伝わってきました。南部を演じた江口洋介は全く別人のような使命感溢れる記者になりきっていました。
南部から世間知らずな「自分探しボランティア女」と名指しされる恵子を演じた宮崎あおいは、子供たちを助けたいとKYに叫び詰め寄るところなど、本心で語っているのではないかと思ったくらい情がこもっていました。
その他のキャストも通常の作品にはない、強いモチベーションを全員から感じさせてくれました。
ただ、桑田佳祐が書き下ろしたエンディング曲は少々ミスマッチな気がしましたのですが、いかがでしょう。
阪本監督が撮り下ろした本作は、怒りを押し殺し、事実関係を丹念に追いつづけた骨太の演出が光る名作として、何年も語り継がれることでしょう。安易なセンセーショナルに走らなかった点が、素晴らしいと思います。
プロパガンダ?
日本を貶めるためのあたらしいプロパガンダとしか思えない作品。タイ人たちが白人を神としてあがめ、子供を平気で供出するのは彼ら自身の問題。日本人に罪を擦り付けないように。
映画ではなんとでも描けますからね。
日本人が「ヘンタイ」で軽蔑すべき人間であるという刷り込み・工作活動は既に毎日新聞が行っている。南京も従軍慰安婦も嘘がばれたので、今度は「日本人の児童買春」ですか…
児ポ法の追い風雰囲気作りたいのでしょうが、工作しすぎでしょ。
映画ファンが国際派のお人好しばかりだと思って舐めすぎだよ。
白人の児童買春に興味のある方は以下のサイトをどうぞ。
「日付けのある紙片」
//iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2006/08/post_1d2e.html
本当の児童買春民族はオーストラリア人です。
以上
知ることが大事です
「幼児売春」が行われていることは誰もが知っているけど、実際にどう悲惨なのか、痛々しいのか、より現実的に知るためにこの映画は重要な役割を果たしていると思います。臓器移植問題も衝撃ですが、買春に来る欧米人や日本人の鬼畜さに絶句。「幼児売春宿」が存在していることは知っていても、まさかあそこまでひどいなんて・・・。行為中に死に至る子、陵辱している様子をネットにUPする日本人、エイズになったから生きたまま生ゴミとしてゴミ収集車に乗せられる子・・・。全てお金で済ますことができるなんて、おぞましい。知ったからといって何かできるわけじゃないけど、「知らないことが問題」と佐藤浩一さんがインタビューで仰っていましたので、まずは見ることに意味があると思います。女性にはちょっときつい内容ですが、1人でも多くの人に見て知って欲しい映画でした。
現実を知ること
この作品は、フィクションですが
「いかに事実を伝えるか」
と言う部分に重点をおいて作られている作品だと思います。
“子供の人権を守ろう”と言うだけではその重さは理解できません。
貧困による子供の売買が問題の根源ではなく
子供を商品として買う人間がいると言う所に闇が存在しています。
マフィアの介入なしには成立しないビジネスだからといって
責任の所在をそこに置くのは間違っている事。
買う大人と買われる子供たちが同じ人間だと言う事。
買う人間はごく一般的な身近にいる人達である事。
これらの事実を知る事。
衝撃を受けると言うよりは、じんわりと胸の痛みが続きますが
見ておく価値ある作品です。
現実をみつめて
タイにおける、いやアジアにおける闇のマーケットを曝した映画。
ドキュメンタリーに近い作品だった。
子供たちの受ける性的虐待の描写はあまりにも残酷すぎると思ったが、我々はこういった事実から目をそらしてはいけないのである。
現実を受け止め、まずは知ることが必要ではないだろうか。
闇に生きる子供たちの哀しみがただただ聞こえてくる。
キャストが豪華なので、ぜひ多くの人に観ていただいて、哀しい現実を知って欲しい。そしてそれが社会を、世界を変える第一歩となることを祈る。
衝撃のラストは解りづらいが、気付けば深い。
江口洋介の台詞ひとつひとつが伏線になっていたと気づいた時は、なんともいえない葛藤が生まれた。
ラストシーンがあることで、映画の本質をぼかしているような気もするし、ここがあるからこそ活きるような気もする。
どちらにせよ良い作品であった。良いというか観るべき作品である。
我々も知らなければならない
タイを舞台にして暗躍する、人身売買,児童売春,そして臓器密売の闇社会を、阪本順治監督が暴きます。
貧困のため我が子を人身売買せざるをえない親。
売春宿の片隅の牢屋に監禁されている子供たち。
仲買人も子供に性的な行為を強要し、拒むと容赦ない暴力を加えます。
醜い外国人客がお気に入りの子供を指名して、宿の部屋へ連れて行きます。
ペドフィリア(小児性愛)と言われる性的倒錯であり、犯罪です。
そしてその客の中には日本人たちもいるのです。
先進国ではこのような幼児期を体験した子供は、解離性同一性障害や境界性パーソナリティ障害に陥ったりします。
しかしここでは、そこまで至ることさえ許されません。
エイズに感染した子はゴミ袋に入れられて、生きたままゴミ捨て場に放り込まれます。
元気な子は臓器密売のため、初めてきれいな服を着せられて病院へ行き、生きたまま麻酔をかけられて……。
タイNGOの恵子(宮崎あおい)は幼い純粋さで、子供の命を買う日本人に食ってかかります。
しかしそうやって個人を非難しても、問題は何も解決しない。
一人のタイの子供を救っても、また“予備”の子が用意されているのです。
そのシステムを明らかにしていかない限り、犠牲者は次々と生まれてくる。
新聞記者の南部(江口洋介)は、事実を見て、それを伝えるのだと主張します。
南部と恵子は同じ正義感を持ちながらも、行動への移し方が異なるため、両者は何度もぶつかり合います。
一筋縄ではいかない現実の中で、目的を実現していくための葛藤も、原作の人物と設定を変えた見せ場です。
我々観客も、映画を観て「知る」ことが第一歩として必要なのだと思います。
確かに知ったからといっても、一人で何ができるわけでもありません。
しかし知る人が増えてくれば、それは「世の中」としての力になっていきます。
その中から実際に行動する人たちも多く出てきて、現実に働きかけていくでしょう。
「すそ野」を広げることが、頂きの高さをせり上げていくのです。
それが作品やジャーナリズムの役割であると、僕は思っています。
阪本監督は児童虐待や性的搾取のシーンも決してオブラートに包むことなく、大人の醜悪さを映し出します。
それらは目を背けたくなるばかりです。
そのシーンを撮影する際、阪本監督はタイの子役たちの心のケアに神経をすり減らすあまり、声が出なくなってしまったといいます。
監督はこのテーマを、自分が安全な場所にいて告発するのではなく、自分自身に戻ってくることなのだと強調しています。
それを表現するため、原作とは異なった設定にされている南部は、ラストシーンで驚愕の過去が明かされます。
「自分を見ろ!」
阪本監督からそう言われたかのようなメッセージは、我々に痛烈に突きつけられて、胸を締めつけるのでした。
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