「ブランド」ラストゲーム 最後の早慶戦 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
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最後の早慶戦がこんにちまで語り継がれるドラマとなっているのは、それがワセダとケイオウの話であるからに他なりません。
でなければ歴史の隅に追いやられ、何十年も経て映画化されることは有り得ないでしょう。
無関係のにんげんにとって「だからなに」や「それがどうした」になること──そんな疎外感を多くの日本人が、知っているのは、この国のほとんどの時事が東京の話題で占められているからだとわたしは本気でおもっています。
ご存知のとおり、この国の地方都市はどこへ行ってもシャッター街です。都市圏とイオンだけに人がいる国です。
たとえば新型コロナウィルス禍とオリンピック。とうぜん関係ないとは言いません。しかしどうでしょう。
まんえん防止や緊急事態宣言が、1ミリも関係ない地方が、この島には、事実上たくさんあり、そこにも大勢のにんげんが住んでいます。
オリンピックにしても、どこか地方に住んでいたら、恩恵も、受難も、なんにもありません。ばあいによっては東京オリンピックと言ったら市川崑の映画のことだと思う人だっているかもしれません。(冗談です)
この国でメインストリームの階梯を昇りたいばあい『ブランド』が重要です。(本気です)
どんな野望があるにせよ、賢明ならば、16か17歳あたりで「おや、この国、東京に出なきゃ話にならんぞ」と気づきます。東京はブランドです。そこに住むことはブランディングです。
ユーチューバーが稼いでいる現代では、勘違いしてしまう人もいますが、きほんてきに、いい大学へ行き、いい会社へ入り、出世することが、今もわたしたちの人生の王道だと思います。
出陣する学徒を壮行するエピソード、日の目を見なかった野球と戦争のドラマが日本中に星の数ほどあったに違いありませんが、後世に伝えられるのは最後の早慶戦だけです。
わが国の私立二大ブランドである「早」でも「慶」でもない人が、この映画を見る理由・根拠・由縁・事情がありますか?なんにもありません。「けっ、なにが最後の早慶戦だよ」と毒づきながら、見るほかありません。
で、思ったのです。
みんながウィルスで困窮している今、オリンピックの開催は、「早」でも「慶」でもない人にとっての早慶戦のようなものです。
じぶんに、いっさいの関わりを持たない東京以外の日本じゅうで「けっ、なにが東京オリンピックだよ」と毒づきながらオリンピックを見るんだろうな──と思ったのです。