帰らない日々

劇場公開日:2008年7月26日

解説・あらすじ

「ホテル・ルワンダ」のテリー・ジョージ監督が描くシリアスドラマ。主演に「グラディエーター」のホアキン・フェニックス、「死ぬまでにしたい10のこと」のマーク・ラファロ。コネチカットの田舎町、大学教授のイーサンは最愛の家族と平穏に暮らしていた。だが突然のひき逃げ事故で息子を失くし、その悲しみと罪悪感から家族はバラバラになっていく。イーサンは犯人を突き止めるため弁護士に調査を依頼するが、実はその弁護士ドワイトがひき逃げの犯人で……。

2007年製作/102分/アメリカ
原題または英題:Reservation Road
配給:ブロードメディア・スタジオ
劇場公開日:2008年7月26日

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映画レビュー

3.5 区切りの付け方。

2009年3月10日

悲しい

怖い

難しい

名画座にて。

上映後…しばらくするまで、大学教授役がH・フェニックスだと
まったく気付かなかった…。いやぁ、ビックリ^^;
妻役にJ・コネリー。相手弁護士役にM・ラファロと実力派揃い。
なかなか観応えのあるドラマだったけど、いかんせん辛いのは、
幼い息子がひき逃げされてしまったという事実…。
ひき逃げ犯にもさまざまな葛藤が…とはよく言われるが、
そんなことは自分の子供をひき逃げされたら絶対に言えない。
罪の重さなんて、そこで考えることではない。
まずは人の命が最優先なのだ。なにが、どうであっても。

悲しい一家をさらに襲うのは、進まない捜査と募る苛立ち。
夫は犯人探しに狂い始め、妻は立ち直ることに一生懸命。
差別をするわけではないが、ここで男の弱さを痛切に感じた。
息子を失った哀しみは夫婦同等のはずなのに、なぜなのか。
また、犯人にしてもそう。どうしてすぐに出頭できないのか。
現在の生活。今までの幸せ。崩せない地位。置かれた立場。
社会的にそういう見栄を張る(すいません)生き方が男なんだと
分かってはいても、女にはどうも理解できない部分が多い。
妻の立場でいえば、まだ彼らには子供が残されているのだ。
その子まで不幸にしてはいけない。立ち直り、前ヘ進まねば。

男と女では、悲しみに対する区切りの付け方が違うようだ。

題名の「帰らない日々」とは悲しい響きであるが、
過ぎ去った日々はもう戻ってこないという戒めでもある。
早く忘れてしまえということでなく、幸せだった日々に感謝し、
来る日々を迎え過ごすことで、人間はまた成長できるのだ。

(似たような経験があるため身につまされる。でも私は元気。)

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ハチコ

2.5 勿体無い

2008年7月27日

悲しい

演技派が揃っているのに、ストーリーがいまいち。
悲しみ方は人それぞれだけど、リアリティが無いように感じ、伝わってこない。

「ホテル・ルワンダ」の監督作品だから!と期待していくとガッカリするでしょう。
運転する人と小さなお子様がいる人には少し考えさせられる映画かもしれません。

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sara

4.0 優れたストーリー展開と緊張感を維持させる演出。ラストの意外な決着には、ちょっと疑問が残りました。

2008年7月19日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 かけがえのない息子を、目の前でひき殺されたひき逃げ事件の顛末を描いた作品。至ってどこでも起きそうな事件を2時間の映画作品として脚色しているところが、脚本家の力量を感じさせます。

 なかでもこの作品のポイントであり、一見あり得ないと思う意外性から観客を一気に作品の世界に釘付けにするのが、主人公イーサンの身近なところに犯人がいたという設定です。
 しかも犯人は、ひき逃げ事件の調査を依頼した弁護士であり、その息子の義理の妹にイーサンはピアノを教えている関係であったのです。

 いつ正体がばれるのか、そしてイーサンの復讐はどうするのか、意外な設定はこの作品にサスペンスに近いハラハラ感を作りました。この設定があればこそ、単なるひき逃げ事件が映画作品として成立した要因と思います。

 何の罪もない息子をひき殺されて、イーサン夫妻は自分たちが防げなかったことを、激しく責め合います。その狂ったように台詞が繰り出されるふたりの演技は、真に迫っていました。すごい芝居をするなぁと思ってみていたら、それよりもっとすごいシーンに遭遇しました。
 イーサンは、直感的にドワイト弁護士が犯人だと見抜いて、ひき逃げ現場に連れ出します。その時の火花が散るような緊張感が走るふたりの攻防は、近年にない名シーンと思いました。
 言葉には出さなくとも、鋭い眼光で「おまえが犯人だろう!」とにらみつけるイーサン。事故現場に連れてこられても、「ここには来たこともない」と強気に言い返すドワイト。しかし彼の顔には明らかに狼狽する表情を浮かんでいました。

 さあここで正体を白状させて、イーサンの復讐が始まるのかと思ったら、監督はばれそうでばれない小出しの展開を見せていき、最後の最後まで観客をこの次どうなるのかと画面に釘付けにするのです。
 さらにドワイトにも別れた妻が引き取ったイーサンの亡くした息子と同年代の息子がいたのです。もしかして、その息子にもイーサンの復讐が及ぶのではという複線の張り方でありました。

 終盤まで、優れたストーリー展開と緊張感を維持させる演出が冴え渡っていたものの、ラストの意外な決着には、ちょっと疑問が残りましたね。結末を急ぎすぎた感じがします。

 この作品は、911以降のアメリカ人の意識を濃厚に反映しています。「目には目を」ということで復讐は当然として戦争を支持してきたものの、個人に降りかかったらどうなのかを深く問う作品であるのではないでしょうか。
 他方、誕生時からクリスチャンとして、罪を許せ、隣人を愛せとして教育を受けて育ってきたアメリカ人の多くは、激しい復讐心に罪の意識や魔の働きを感じてしまうものです。そこでこの作品。同じ立場に立たされたらあなたはどう判断するのかと問いかけているのです。子供を持つ観客なら、おそらく鑑賞自体が苦痛に感じられるでしょう。とても見ていられないくらいリアルな作品です。そしてひき逃げ事件自体は、どこにでも起こりえることです。けっして他人事ではありません。

 イーサンの狂気を見せつける中で、怒りや恐怖に駆られて自分を見失いことの愚かさをまざまざと実感できるものと思います。感情に流されていては、その悲しみは尽きず、心の傷は癒えることはありません。
 狂気を生み続ける元は一見犯人にありそうで別にあります。敵は自分に内にあるものと気がつかされる作品ですね。心に支配されることなく、心を支配すべきではないでしょうか。
 そしてうまく悲しみと共存することが大切でしょう。「罪を許す力」を持つことができれば未来に向けて「再生」という希望が見えてくることができるでしょう。
 「罪を許す力」とは、自分と他人を許す勇気だと思います。その悔しさに、時効をかけるという割り切りを持つことが、「再生」への出発点となることでしょう。
 完璧で満たされた人生は、一瞬にして崩れていくことがあります。そうでなく、不器用な自分を認めて、常によりよい人生を目指すという考え方もあるのではないでしょうか。
 いろいろ考えさせてくれたいい作品でした。

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流山の小地蔵