靖国 YASUKUNIのレビュー・感想・評価
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事実は事実として冷静に受け止めれば…
どんな映画作品でも、公開そのものは、
表現の自由の観点からは、なんら制約を
受けるべきものではないだろう。
問題は、
文化庁所管の特殊法人からの助成金を
受けるべき作品かどうかの判断
なのだろうが、この点については
私の見識を超えた世界になってしまう。
しかし、過去のスチール写真の真贋に
ついては仮置きした上で、
また、監督の演出目的に即した場面の
連続した抜き出しではあるだろうが、
画面に映し出される靖国神社内の出来事は
ある意味真実だろうから、
我々はこの内容を冷静に受け止め、
見識を広める切っ掛けとすれば
良いのではないだろうか。
ただ、国会議員に問いたいのは、
あなたちはいつから参拝を始めたのか、
どなたか親族の方でも
祀られているのだろうか、
参拝は議員になってからではないのか、
それが国を率いるようになってからで、
国のためとの意識であるならば、
何もパフォーマンス的に
靖国参拝をするまでもなく、
心の中でそれを念じれば良いのではないか。
宗教的行為はあくまでも
個人的な事情に帰するべきもので、
その域を越えた宗教的行為が
世界に不幸をもたらしてきたことは
歴史が示している。
戦争中に、出征への
ひとつの装置になっていた一宗教施設へ、
公人として参拝することの
社会的影響については、国会議員として
よくよく考えるべきではないだろうか。
靖国コスプレショー
右翼の妨害に遭い上映中止などの騒動があった問題作。文化庁推薦とか協力という問題も浮上していたようですが、この田舎石川県にまでは届いてこなかったようです。上映映画館であるシネモンドのある109ビル前では第三日曜日には右翼の街宣が行われるのに、『靖国』上映には何も言ってこなかったらしい・・・なぜだか「右翼でも左翼でもない。中翼(仲良く)だ!」という名言を残した藤岡弘、を思い出してしまいます。
そう、この物議を醸し出した映画。頭の中を空っぽにして観ると、中国人監督が作ったドキュメンタリーとは思えないほど中立の立場で描かれていることがわかります。終戦記念日である8月15日には時代錯誤甚だしい軍服姿のじいちゃんや、「大東亜戦争は侵略戦争じゃない」と声高に主張する右翼のあんちゃんなど、様々なパフォーマンスが見られ、神社の敷地内だけがタイムスリップしたかのような錯覚に陥ってしまうほど。中には「小泉首相を応援する」と主張するヘンなアメリカ人もいたり、その外人に対して意図もわからないのに「リメンバー、ヒロシマ」と罵声を浴びせる人もいたりして、ドキュメンタリー作家にとっては美味しい素材がいっぱいあるんですね。
失笑を禁じえないパフォーマーの姿々。そんな数々の愉快な人たちの中でも、不謹慎かもしれませんが、「南京大虐殺を否定する」署名運動が一番笑えた・・・署名したからって、どうなるってーのよ。「ほら、こんなに署名が集まったんだから南京虐殺なんてなかったでしょ?」とでも中国人に訴えるんでしょうか?同じ日本人として“なかったことにしたい気持”は理解できるけど、そこまでやるんだったらセコセコと靖国内でやるより、堂々と南京に乗り込んで行ってやってもらいたい。もちろん署名運動団長は石原慎太郎、副団長は稲田朋美で。
中立的という世間的評判とは裏腹に、個人的には風刺のパンチ力がかなりあったように感じました。とくに、日本人の心を尊重することを主張する元首相の言葉とは逆説的に、台湾や韓国の洗脳されて日本軍として戦争へと追いやられた外国人の遺族の心が蔑ろにされている点が強烈だ。高砂義勇兵の魂を取り戻すべく靖国へ7度も訪れているという台湾の高金素梅(きれいな女性)の主張は理路整然としているのに、取りあわない神社側。また、僧侶である遺族の菅原さんのインタビューも辛辣だった。
戦争の犠牲になった戦没者、英霊に感謝すること自体は自然なことだし、非難される理由はない。だけど、靖国には様々な問題点があることを忘れてはならない。政治家の詭弁に踊らされることなく、冷静に判断する材料をこの映画は与えてくれるのだ。また、刀匠の刈谷さんの仕事風景やインタビューを主軸にした構成によって作られていることも、日本人の魂に訴えてくるのです。一部の政治家が煽った、プロパガンダだとか助成金云々なんて議論することすらばかばかしい。
〈公開時 映画館にて、レビューは当時のまま〉
右翼が妨害しにやってくるかとドキドキしながら観ました。
観るの遅すぎ
ドキュメンタリーです。やはり苦手です。
何で苦手かというと、ドキュメンタリーが嫌いなのではなく、
長尺で流されることがそもそもテンション保ちづらい。
正直な感想としては、
「NHKスペシャル」の方がなんぼか面白いわ、
という感じ。2時間も耐えた自分を褒めたい。(寝たけど)
靖国に参拝に来る風景と、
刀鍛冶の人の心を結びつけようとしてグダグダ。丸投げ。
参拝風景だけにして、それに対する制作側の意見をぶつけた方が、
よっぽどマシなモノになるだろうが、
それだと映画にする意味もないがね。
これもそんなに意味無いがね。
要はいろんな意見があって良いと思うが、
この作者の意見が分かりづらいところが問題。
自分の観たタイミングも遅すぎるので、
「上映禁止」とかなってた時だったらもっとホットな作品で、
今観てもただの駄作でしかない。
とにかく、刀鍛冶の人のインタビューは要らない。
未だにしこりが残るのは何故か?
公開時にスクリーンを破ったりする人が現れたり、センセーショナルな印象があるが内容はそれほどではない。
右翼がわざわざ公開する劇場に抗議文を持ってきたり、政治的な何かを感じてしまう。
作品は刀鍛冶の話にピントを充てている印象。
客観的に見た視点で靖国神社に対して奇妙さを感じさせるシーンがあるので、それに対して「違う」と言う人は見ない方が良いでしょう。
ただ神社での儀式の撮影が出来ないとか、関係ない人に見せる儀式などないから仕方ないとは思う。
では靖国神社とは何か?
「靖国で会おう」と言い合ったとされる戦死者を祀る事で怒る遺族も居れば、それが英霊の希望と言う人もいる。
亡くなった人たちが本当に何を考えていたのかは分からないので、どちらにも言い分があると思うが、あの時代に大勢の人が命を掛ける事態が起きた…揉めて当たり前と思う。
戦争に行った人たち、送り出した人たち、戦争に行かせた人たち、戦争に反対した人たち…この人たちの言い分はかみ合う筈がない。
作品の中でも揉める姿は印象に残るから、その原因を考えるのが先ではないかと思う。
信念の、行方
ドキュメンタリー映画監督、リ・イン監督が、靖国神社に奉納されているとされる靖国刀を作り続ける刀匠の姿を通して戦争の本性を見詰める、上映当時日本全土に物議をかもした異色ドキュメンタリー作品。
硬軟入り混じる表情で刀を鍛え上げていく一人の男。刀が日本国民を束ね、戦いへと引っ張っていった歴史、そして終戦記念日の靖国神社。「靖国」という特殊な性質を持った神社を是とするか、否とするかという問題に対する作り手としての明確な立場を曖昧に隠し、第三者として世界を傍観する姿勢は好感が持てる。
この繊細な問題に強い興味を持っている人々にとっては、改めて冷静に戦争を考え直す清涼剤として確かに機能する。そして、靖国問題にそれほど興味を持たない世代に対しても、普段あまり見えてこない日本刀の製造過程を丹念に観察する視点は、驚きと好奇心を満たす役割を満たしてくれる。
本筋の日本国を問い直すという課題とは少し外れるが、この作品の作り手は強い信念をもって突き進む人間達に対する強烈な憧れであったり、興味を色濃く作品に反映しているのが面白い。
特に印象的なのは、靖国神社に七回も訪れて日本に散った台湾人の名前を、靖国から削除するよう要請する団体の女性リーダーの描写だ。神社に入る時、去る時、その両方で団体の同士を両隣に引き連れ、まるで戦場に赴く戦士の如く、某刑事ドラマの横並びに颯爽と歩くヒーローの如く風を切って歩いていく。その華麗さと、迫力。強い思いをもって進む人間を、ひたすら格好良く、丁寧にオーラを纏って描く。ドキュメンタリーという作品にあって、この演出は異質、かつ興味深い。
観客として、この作品が問う問題に対して是非を唱えるつもりはない。ただ、本作と同じ第三者の立場を貫くまでだ。その上で、譲れない、命を賭けて挑戦する信念が人をいかに輝かせるか、威光を放つかを、思わぬ形で見せ付けられたことに目を見張る限りである。
がっかりしました。
一時期、話題の映画であった「靖国」、先日DVDで見ました。
中立的な立場から、「靖国」 を撮影され、歴史的な背景を説明しながら、今後の日本のあり方を問う映画なのかと、期待してましたが・・・。
靖国神社で起きた、過激な映像ばかりを集め、視聴者に「侵略戦争」「満州大虐殺」と言う言葉を投げかけながら、無責任に映画を終えるって言うのは卑怯と言うか、見ていて情けなくなります。
小泉首相の靖国参拝、あなたはどう思いますか?
映画「靖国」(李纓( リー・イン)監督)から。
多くの映画館が上映を取りやめた作品として、興味があり、
近くの映画館で上映したらどうしても観たい、と思った。
実はそのチャンスが訪れ、メモ片手に映画館に走った。
過激といえば過激だけれど、ドキュメンタリーだから嘘はない。
多くの人が、カメラに向かって、マイクに向かって、
「小泉首相の靖国参拝、あなたはどう思いますか?」の問いに、
「公式も、非公式もない」「靖国は、アメリカでは話題にならない」
「行ったら行ったで言われる。行かなきゃ行かないで言われる」等、
感想やら持論やらを、ぶちまけている。
しかし、カメラを回しながらインタビューしているスタッフは、
同じ質問を返されても、一言も答えず、話題を変えた。
確かに製作側だけど、その沈黙が私にはとても不自然に思えた。
聴くだけ聴いて、それをどう編集しようとしたのか、気になる。
是非、私はこう思います・・くらいの主張が聴きたかったなぁ。
靖国事情
国会議員向けに開かれた異例の試写会がメディアで話題となり、文化庁の助成が決まった経緯を再検証するまでに発展。トラブルを警戒して上映中止が相次いだことで更なる話題作となり、私にはずっと気になっていた映画です。
ですが内容は予想通り、およそ面白いものではありませんでした。
なんでこういう映画を日本人監督ではなく、海外の監督が撮らなくてはならなかったのか。小泉首相の靖国参拝以来、日本人がなんかもう一連の「靖国問題」を考えることに飽きてしまっていると感じるのは私だけでしょうか。
初めて知った
右寄りの感想が多いのでレビューします。
話題作なので見ました。ドキュメンタリーですが、最後の日本軍による残虐なフィルムを除いて客観的な映画だと思います。
靖国神社って、こんな所なんだと初めて知り驚きました。
二度と行くことはないでしょう。。
この映画を海外で放映されたら、日本は危ない国だと思われないか心配。
監督の母国では受けるでしょう
個人的には『文化庁の補助金返せ』の一言。
刀匠・刈谷氏に『刀はいっぱい物を切ると駄目になるでしょう』と振っておき
『そんな事は無い』と言わせて百人斬りに話を振る。
刈谷氏が答えられない質問を何度も繰り返す。
刀を持った旧日本兵の写真が合間、合間に出てくる。
旧日本軍の軍服を着て参拝する人々や合祀反対派の抗議は丁寧に撮影etc.
監督の都合の良い画面の繋ぎ合せで
ドキュメンタリー映画と言うよりドキュン映画でした。
こういう事を書くと右○、軍○主義者等言われそうですが反日映画を
日本の助成金を使って撮らないで貰いたいし色々抗議する人達も
日本の国籍を放棄してから抗議して貰いたい。
動的な場所で静的なカメラがみつめたものとは
出される時間は短くとも、その主張がこちら側に切り込んでくるような人。監督がどちらの視点に立っているのかは明白だ。だが、それを越えてこの作品の根幹をなしているのは、永住権を持つ中国人がみた「靖国」の「フシギさ」だろう。監督はその「フシギさ」を映画の中で追求したり放り投げたりすることはなく、ただただ「フシギさ」を列挙していくだけだ。それを答えを放棄しているととるか、答えは委ねられているととるか、監督の「フシギさ」に寄り添ってみるか。その選択に対しても映画はあくまで受動的な立場を崩さない。(観客自らの「能動性」が要求されるがゆえに黙って流し見れば「それだけの映画」となってしまう)
そういうわけで映画は、靖国神社を正面から描くことはしない。境内で起こる出来事や靖国神社を主体的に語る人々を丹念に、キャプションも極力廃してつないでいく。
私としては、なにが「彼ら」の逆鱗に触れたのかがよくわからない。考えられるシーンとしては高金素梅氏のシーンと、右翼?らしき人物が乱暴をはたらくシーンだろう。だがこの二つのシーンは対になっており、結局のところどちらにも感情移入しにくいように作られていると思う。極端な右翼も極端な左翼も、画面を通してみれば「集中力」で相対化されてしまう存在である。ただやはり靖国神社への素朴な思い入れをもつ人々の生の声が映画にとりこまれていればもっと立体的な作品に仕上がったように思える。例えば一水会の鈴木邦男氏のような方へのインタビューがあればよかったのではないか。戦争への懐古主義的な側面ではなく、宗教的な側面も、当然靖国にはある。映画の中でそこは靖国神社で行われる様々な儀式を通じて垣間見ることが出来るが、いうなれば「信者」の側、誰が公式参拝をしようがどうでもよく、素朴な感情から、ただ兄や弟に会いたくてきている人々も多いのだから、市井の中にある靖国という意味合いが抜けてしまい、多面的な「靖国神社」の存在を伝えるまでにはいたらないのではないか。靖国にはなにもイデオロギーばかりが満ち溢れているわけではない。もっと本来的に靖国神社を支える基礎となり、いまは確実に減っていると思われるそういう人々の「声」をもっと掬い上げるべきではなかったのか。
この「靖国 YASUKUNI」。「蟻の兵隊」のアグレッシブな闘争本能からは程遠いところにある映画である。できるだけどちらからも距離を置き、ただ靖国神社そのものを見つめたいという意思を私は感じた。しかしなんだな、同じ「時間帯」同じ「場所」で「靖国」と「蟻の兵隊」が撮影されていたことに驚く。(「蟻の兵隊」には確か靖国で行われた終戦60周年慰霊祭の模様とそこで小野田さんに「戦争美化ですか?」と語りかける奥村氏の様子がおさめられていたと思った)ついでに「南京の真実」もそのとき撮影されていたらよかったのに。なんだかそのこと自体が既に「靖国神社」という存在を如実に表現しているような気がした。映画のように「靖国神社」が現実から超然としていたら、なおよかった。
苦痛の中で死を迎えた御霊の慰労と安寧のために設立された神社、靖国。あの日、8月15日、酷暑の中、拝殿へと続く長蛇の列を、日傘を差してじっと耐える老婦人の後ろで「特アがさー文句言うことねえんだよなあ。俺ヤスクニに行くっていったらトモダチにひかれたよー。コミケ帰りによればいいだけじゃん」と大声で話し続ける若い男女を、そして境内に渦巻く喧騒とは全く無関係に幼子を遊ばせる夫婦を、孫と思しき少年の肩に手をかけ、不自由な目をしばたたせながらゆっくりと神門に向かう老翁の姿を、わたしは思いだす。刀匠の謡う詩吟の一節「容易勿汚日本刀」、ならば「靖国神社」を「容易に汚し」ているのは一体、誰だろう。
私がこの映画の中で最も好きなシーンは、白い、海自の軍服だろうか、当時の旧軍の軍服だろうか、浅学な私にはそのあたりが判断つきかねるのだが、白い軍服を着用した一群が、あの微妙に音程の合わない揃わない進軍ラッパとともに、拝殿へ行進して来る。そして「食事の喇叭は、兵士にとって一番嬉しいものであります。我々は先輩に敬意と哀悼の誠を表し、これを捧げます」といって、正露丸のCMでおなじみの一節が喇叭から流れる。私にはわからない世界があり、その世界律で哀悼の意を捧げる行為に対し、しみじみとした暖かさを感じ、そしてこれは誰にも否定して欲しくないな、とふと思った。
話題だったので、見ました。
もともと日本のこと、特に歴史のことを知らなすぎるので、
話題だったですし、少しは勉強にもなるかなと思って見に行きました。
見る前はきっと客観的な視点で作ったドキュメンタリーなのだろうなと思ってました。実際見てみて、私の感想としては、映像は客観的とは言えず、ドキュメンタリーとしても正直に言うとつまらなかったです。
興味深いなと思った点もほぼ無かったと思います。
やっぱりあまりに作り手の思想だとか情報操作みたいな仕掛けがありすぎるので、映像として客観性に欠けているのがドキュメンタリーとしてどうなのかな?と思いました。
まあ、ドキュメンタリーだからといって、作者の考えや思想が入ってはいけないということはないけど。
作者の思想だとかを言葉ではあえて言わずに、構成などでコントロールしている感じが、ちょっとあざといなと感じました。
最初の右翼をたくさん出して傍観的に映しておいて、反日の台湾の人とか締め出された少年とかを映して、見る人に感情移入させて、盛り上げようとする感じとか。
普通に生活している人からすれば、あの少年は被害者で、締め出した人が悪者になるだろうし。そういう構図を利用し、思想に置き換えつつ、左的な人は被害者で右的な人が加害者っていう印象を見る人に植え付けようとしてそう。
もし、本当にあの少年が怪我をさせられたなら、かわいそうではあるけれど、それとあの少年のやっていることが正しいのとでは、まったく別の問題。
あの少年を見ても、浅はかでわざと被害者になろうとして乗り込んだと思われてもおかしくない。
締め出していたおじさんも普通に嫌な人って感じですけど。相当関わりたくないなって感じの人達です。
まあ、その人達は別にいいと思います。なんか良くいそうですし。
ただ、そういった人達、台湾の人も含め、なぜその人達をあえて選んでそういう映像を感情的になるような構成で入れたのか。
その辺に作り手のわざとらしさを感じ、疑問が湧きました。
また一番象徴的なのは、最後に深刻ぶった音楽とともに映される、刀を持った日本兵?の残虐な写真のスライドがずっと続くところ。
日本刀を作っているおじいちゃんがいて、日本刀を持った人たちが映って、
日本刀での残虐シーンを深刻そうな音楽と共に入れれば、
日本刀を残虐な日本兵による戦争の象徴のように思えてしまいます。
私のようなまったく左とか右?みたいなこととは無縁な人間から見ても、
明らかに左というのか反日の人が作ったあざとく操作された、ドキュメンタリーという名目の映像でしかないなと思ってしまいました。言葉ではっきりとは言わないところがまたいやらしいなと思います。そりゃはっきりとは言わないだろうけど。
ただ客観的なドキュメンタリーを期待して、知らない事を知りたいと思って見に行ったので、まったくの期待はずれでした。
表現の自由という観点からすると、別にどんな思想があろうと自由ですから作ることも上映することもいいのではと思いますが、
見る人は、この映画は、あざとく操作された反日、左翼的な映像だと知っていかないとちょっとお金を損した気分になるかもしれません。
ただ映画好きのドキュメンタリーが結構好きという私のような人が見ても、
特に貴重な映像を見られるわけでもなく、
ちょっとしたニュース番組や歴史番組を作り手の思想に任せて、
コラージュした程度の映像という印象で、
正直ドキュメンタリーとしてクオリティーは低いと感じました。
というより、これってドキュメンタリーと言っていいのかという疑問も湧きました。
スタイルとしてのドキュメンタリーでしかない。
思想にドキュメンタリーを利用された感も否めません。
なんか靖国神社とか刀つくっているおじいちゃんとかの、
著作権?かなんかの問題もあるようですが、
私からしたらどうでもいいので(あのおじいちゃんはかわいそう、、、)、
単純にこの映像の感想を書いてみました。
話題につられた自分がいけないのですが、やっぱり世の中の日常に潜む情報操作の怖さというのを感じました。
そういった意味では、しっかりと自分で少しでも考えないといけないなと改めて思わせてくれる映像ではあると言えます。
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