「いつかその日が来ても、愛情が僕達を繋ぐ」トイ・ストーリー3 海長とオビ湾さんの映画レビュー(感想・評価)
いつかその日が来ても、愛情が僕達を繋ぐ
おもちゃの幸せは子供に愛されること。傍にいられること。
でもいつかは子供たちとお別れをしなければならないときがくる。
そうしたらおもちゃたちは、子供達との思い出を胸に生きていかなければならない。だから今はめいっぱい思い出を作ろう。
いつかその日が来たって大丈夫。
You've got friend in me.僕達はいつだって一緒だから。
おもちゃ達の絆を描いたトイストーリーの物語は、2の時点で完成している筈だった。いつかお別れの日が来ることを承知で、ウッディはアンディのおもちゃに戻ったのだ。
当時ぼくらは、まさか“その日”が描かれることになろうとは想像もしなかった。
どうして今、Pixarはその瞬間を形にしようと考えたのか、是非劇場で確かめてほしい。前段で語った以上のことがそこにはあるはずなのだ。
今回のレビューでは試写会側の要望もあり、後半の展開については具体的に触れぬようにする。
舞台は前作から10年後。アンディは17歳になり、おもちゃと遊ぶこともなくなっていた。彼は大学進学に向けて1人暮らしの準備を始めることになるのだが、屋根裏へしまうはずのおもちゃたちがちょっとした手違いで保育園に寄付されてしまうことに。
ウッディーはアンディの所に帰ることを提案するのだが、おもちゃたちは自分達の居場所は既にないとして受け入れなかった。
結局1人で保育園を脱出したウッディーは、心優しい少女ボニーに拾われてしまう。
一方、保育園に残ったおもちゃたちは思いもよらぬ苦境に立たされていた。
一部の傲慢なおもちゃたちが、自分達の都合の良いように保育園のおもちゃたちを牛耳っていたのだ。
ボニーのおもちゃたちから保育園の実情を聞いたウッディーは、仲間達を助けるために再び保育園へ進入する。
保育園の手強いおもちゃたちを相手に、アンディのおもちゃたちは思いもよらぬ特技を使って苦境を切り開いていく。
特筆すべきはバズに仕掛けられた爆笑設定。あまりに意味不明な設定が、終盤に向かう物語のテンポを飛躍的に良くしている。この脱出ドタバタ劇はさすがはPixarといったところ。
さあ帰ろう、アンディの元へ。そこに居場所がなかったとしても。
おもちゃたちには“その日”を迎える覚悟が出来ていた。
でも、お別れの準備をしなければならないのはおもちゃたちだけじゃないんだ。
思いもよらぬ運命が、観客の心を締め付ける。
おもちゃを主人公にしたアニメーション映画「トイストーリー3」が最後に見せてくれたものは、まさに愛情そのものだった。本当に輝いている、素晴らしいシーン。Pixarと、その看板タイトルであるトイストーリーにしか表現しえない奇跡のようなシーン。
いつもどおりのドタバタ劇が、その必死さが、最後になってアンディの心情にリンクするとは思わなかった。
作り手によるおもちゃへのこだわりも、この映画の見所のひとつ。
今回新たに加えられた実在するおもちゃにフィッシャープライス製のチャッターテレフォンがある。このチャッターテレフォンは初版当時は木製だったのだが、後にプラスチック製になったという経緯がある。木製かプラスチック製かは外見上から見分けることは難しいのだが、本作では態々こだわりの木製であることがわかるようにお膳立てがされていたりする。作りこみのすさまじさは相変わらずだ。
隅から隅まで作り手の愛情が行き届いた映画。
こんなに優しくて心に残るお別れの物語は、他に記憶がない。ムーチャグラシアス!