実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち) : 映画評論・批評

2008年3月11日更新

2008年3月15日よりテアトル新宿ほかにてロードショー

真の「総括」を問う、若松孝二渾身のメッセージ

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これは、理想の名の下に懸命に生きたのに、取り返しのつかない過ちを犯してしまった若者たちと失われた命の峻厳な記録である。60年代から70年代初め、この国を憂い、革命を夢見て起ち上がり、その反市民性ゆえ社会の闇へと追いやられた若者たちがいた。

映画は客観的に事実を積み上げ、彼らを決して美化せず、ひたすら観念的に純化していく未熟な姿を時系列に追う。やがて、数十挺の銃だけでは「革命」など実現しえないことに気づいたのか、欺瞞と不安を埋め合わせるかのように仲間の精神的な向上を追求し、その粛正は凄惨なリンチへ。当時はその猟奇性ばかりが喧伝されたが、本作のカメラアイは、彼らが平和と他者の幸福を願った誠実な若者だった事実を伝えつつ、冷徹な眼差しと確かな愛情をもって批判的に捉え、慟哭している。

最後の銃撃戦の最中、最年少の高校生戦士の発する悲痛なまでの絶叫は、今を生きる僕らの実人生にもなだれ込んでくる。あれから36年経った今も、戦うべきは「国家」か。いや、何も考えず皆と同じだと感じることで安堵する個々の顔がない、ただ思いつきと思いこみで動き、消費に明け暮れる怪物――そう、国家も何もかもまるごと呑み込んでしまった「大衆」こそが撃つべき相手ではないかとさえ思えてくる。あの事件を正視してこなかったすべての日本人に向け、挫折した彼らの精神の中から希望のかけらを見出せないかと真の「総括」を問う、若松孝二渾身のメッセージをしっかりと受け留めなければならない。

清水節

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