「藤沢作品の持つ、美しい風景描写と心情、そして独特の間を完璧に表現した作品」山桜 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
藤沢作品の持つ、美しい風景描写と心情、そして独特の間を完璧に表現した作品
大変美しい風景描写の作品です。
雪解けが進むせせらぎには、春を待ちきれず咲きそろう草花が水面を映え、そよぐ風も温んで心地よさそうです。画面を引くと、冠雪のままの雄大な鳥海山がそびえ、冒頭だけではや観客を藤沢周平の世界へ誘うのでした。
美しいのは風景だけではありません。山桜で描かれる心情そのものが滋味に満ち、心にジ~ンと響き、見ている方のこころも洗われてピュアになっていくような作品でした。
構想7年。『たそがれ清兵衛』『隠し剣 鬼の爪』『蝉しぐれ』『武士の一分』と続く、藤沢周平作品の映画化最新作です。そして初めて女性が主人公となった映画化となりました。篠原哲雄監督の抑え気味な演出が光り、藤沢作品のなかで最高の仕上がりと思います。藤沢周平の長女遠藤展子氏も、「まるで父の小説を読んでいるような錯覚を覚えた映画です。」と絶賛しています。
原作では、夫の病死で離縁をされ、その後気に入らない再婚話を受けて嫁いだ野江が、つらく切ない環境の生活に思い悩んだ末にやっと本来の男性と新しい人生を歩みだす話になっています。けれども本作には、敢えて最後のオチの部分を切り落とし、本来の男性に思いを寄せるところで終わっています。
このラストも余韻が残る言い終わり方でした。
野江役の田中麗奈さんは、心の強い凛とした女性像を見事に体現しています。彼女なら筋を通して嫁ぎ先に離縁されても、さもありなんと思えました。
昔から野江に好意を寄せていた武士手塚弥一郎は、山桜の下で再会したとき凛々しさ、そして剣術の使い手として殺陣筋の美しさはほれぼれするもので、東山紀之さんの演技にも注目して欲しいと思います。
また真の主役といえる山桜もなかなかでして、写るだけでも感動的でした。そして枝を野江が実家で活けても、それが何か主張しているむように、物語を映えさせました。
特に壇ふみが演じる母が、活けられた山桜の花弁が散る様を見て、嫁ぎ先で苦労する野江の姿を枯れゆく山桜にダブらせて案じる姿が印象的でした。
その後手塚弥一郎は、私腹を肥やし農民を飢餓に追いやる組頭を斬って出頭してしまいました。それがもとで結局2度目も離縁して野江は実家に帰ります。ここから藤沢周平の原作は、野江を藤沢作品を代表する女性像として浮き彫りにしてゆきます。
手塚弥一郎は獄舎に入ったまま、無言。台詞もありません。そこに野江がけなげにお百度を踏む姿が何度も重なります。台詞やト書きは一切ありません。しかし観客は野江の気持ちがスクリーンを通じて痛いほど伝わってきて、泣けてきます。
ふと気がつけば、冬が過ぎ、春が巡ってきました。僅かな牢の窓から山桜が咲いているのを弥一郎は気づきます。同じ頃野江も山桜を見つめていました。ふたりの間をまるで山桜がつないでいるようでした。
折った山桜を手土産に、野江は思い切って手塚弥一郎の家に向かいます。これまでに何度躊躇したことでしょう。家は弥一郎の母親のひとり暮らしでした。「いつかあなたが、こうしてこの家を訪ねてみえるのではないかと、心待ちにしておりました。」との母親のひと言に、野江は眼から涙があふれ落ちます。ここも泣けましたね。
台詞はないものの、なんて自分はとり返しのつかない回り道をしたことだろう!なぜもっと早く気づかなかったのだろうと。嫁ぐべき家の母を前にして後悔の思いに打ちひしがれる情が、はっきりと伝わってきました。
人生回り道も無駄ではありません。その涙は、後悔ばかりでなく野江の希望が叶うことを暗示しているように見えてしまうのは小地蔵の穿った見方でしょうか。
派手なアクションや、CGを使った幻想的なシーン、それに熱いラブシーンすらない、淡々とした作品です。藤沢作品の持つ、美しい風景描写と心情、そして独特の間を完璧に表現した作品としてお勧めします。こんな作品が現代でも生まれるのも、やはり日本映画が残してきた遺産が息づいてているからだと思います。