劇場公開日 2008年10月25日

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「綾瀬はるかは本作で、完璧に女座頭市のキャラを打ち立てたと言っていいでしょう。」ICHI 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0綾瀬はるかは本作で、完璧に女座頭市のキャラを打ち立てたと言っていいでしょう。

2008年10月17日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 市は、ずっと瞬きもせず
 うつろな目で虚空を見つめていました。
 肉の目が見えぬばかりか、
 過酷な境涯を送るうちに
 こころの目も閉ざしていたのです。

 境目が見えない。
 それは単に見えないのとは違います。
 生きることと死ぬことの境すら、
 見えない深い絶望のなかを彷徨う
 苦悩そのものであったのです。
 いつ崖から転げ落ちるのか、解らない。
 いつ騙されて背中から刺し殺されるかもしれない。
 他の人の善と悪のこころの境すら見えないから、
 市のこころは人に向かって固く閉ざしていたのでした。

 「別に生きていたいとも思っていませんけどね。」と
 突き放したように語る市の心境には、
 冥府魔道に生きる子連れ狼と同様の
 生死を超えたものの凄みすら漂っていたのです。
 登場人物がそれぞれに深い業を宿し、
 求めるものは得られないという四苦八苦の無常の風に
 人生を弄ばれていく様が克明に描かれていておりました。

 女流脚本家の手によって、「切なさ」をテーマに市のこころを描かれた脚本なんだそうです。うわべの「切なさ」を超え、「刹那」の深みまで掘り下げていると思います。そして刹那なんだけど、人は繋がっているのだという救いを巧みに、著していきます。
 その象徴的なシーンとして、絶体絶命のピンチの市に、ある人が手を差し伸べて市がそれをしっかり掴むところがあります。その人の「生きろ」という一声に、一瞬市の顔が綻ぶところが印象的でした。
 この一声をきっかけに、市は境目が見えるように変わったのでした。殺伐とした舞台背景ながら、しっかり希望も描かれているので、見終わったとき心地よさを感じると思いますよ。
 「あずみ」見たいなアイドルものの時代劇を連想していたけれど、しっかりした世界観を持った作品でした。

 綾瀬はるかは本作で、完璧に女座頭市のキャラを打ち立てたと言っていいでしょう。何がすごいかといって、2時間通して一度もまばたきしてないことです。おまけに目力を込めていて、虚空を見つめ続けているです。もちろんシーンごとにカットは入ります。たとえワンシーンでもこの表情を続けることがどれほど大変か、皆さんご自身の身で試していただきたいものです。とにかくすごい演技だったと思います。

 大沢たかおのトンマな十馬役もはまり役。彼の2枚目でも3枚目でも両対応できるし、顔つきがガラリ変えられるという能力が生きています。どうしょうもないへっぴり浪人が、意外や意外。本来の自分の持つ能力を、市と出会うことで開花させていく十馬の存在も、本作の大きな魅力です。彼がどんなヘンシンをするのか、是非見届けてください。

 中村獅童が演じた、敵役であり人を切りまくる残忍な万鬼。彼にも訳ありで、同情の余地を感じさせる哀愁があるところがよかったです。なぜだか憎みきれない奴なんです。

 窪塚洋介は、万鬼と対立する宿場町の若親分を演じていました。なかなかいなせで好演していましたが、存在感の重み、凄みではライバルの万鬼に負けていましたね。窪塚はもう少し自分の役に自信を持つ必要があると思います。

 そして、全編を通じて曽根監督の巧みさ感じました。
 冒頭の登場編から、凍えるような豪雪の夜のシーンが市の人生を暗示させておりました。掴みとして、一気にICHIの世界に引き込んでしまうのです。そして、イントロでかぶる音楽がバラードなんです。さすが配給はワーナー・パイオニアだけあって、音楽も洋物なんですね。映像も「ラストサムライ」に似た、洋画の雰囲気たっぷりでした。
 それでいて、宿場町での決闘シーンは、どこか黒澤作品の『用心棒』を彷彿させます。きっと監督自身は、黒澤作品へのオマージュを込めているのでしょう。ただ表現において、要所にCGを目立たぬよう使っているようです。
 チャンバラシーンも個性的で、「300」のようにコマ落としとスローモーションとCGで人が斬られる様を、克明に描いていたのが印象に残りました。
 時代劇の伝統を継承しつつ、最新の映像表現も取り入れている点で、CGからピンポン映画まで撮る『無国籍監督』としての真骨頂のような作品です。

 もう一点、巧みさを感じさせるのが、市の過去の描き方です。
 時折、市が回想することで、市がなぜ天涯孤独になったのか。市が消息を探している育ての親の座頭市らしき人物のことなどが次第に明らかになります。
 普通カットバックを多用すると、ストーリーが混乱しがちです。けれども本作では、回想シーンはすべて台詞を抜き、彩度を抑え、はっきりと現在と過去の違いにメリハリをつけて描いています。台詞抜きでも、市の悲しい過去が充分に伝わるところが巧みですね。

追伸
ちなみに、殺陣も三味線も撮影半年前から練習を初めて、吹き替えなしで本人が演じたそうです。
おかげても足の爪は割るは、全身打撲状態になるやら、満身創痍に。それでも殺陣で型が決まってくると、すごく楽しくなるらしく、喜々としてやっていたそうです。市としての立ち回りは、自信があるらしく、知人には「どう、かっこよかったでしょ」と自慢げに話しているようです。

本作で、綾瀬はるかはシリアスにイメチェンしたと思われる方がほとんどでしょうけれど、撮影は1年前に終わっていて、その間に重いテーマのドラマ撮影が続けて入ったので、本人はそんなに新境地を開いたとは考えていないようです。

バッタバッタと悪を切る痛快さ。当の本人が頑張って体当たりしているから、それっぽく見えるのですね。

アンジーといい、ミラ・ジョヴォヴィッチといい最近の銀幕の世界では、強い女が台頭しています。同姓の女の子でも、強い女性にあごがれを持つのでしょうか。

その点市は、へっぽこ浪人の十馬ですら守ってやりたいと華奢なんだけど、いざとなったら「ワタシ実は強いんですぅ」と格好良く居合い切りを決めてしまう意外性が同性からも支持されると思います。

役作りは、座頭市シリーズよりも、『はなれ瞽女おりん』を参考にしたそうです。

流山の小地蔵