ラースと、その彼女のレビュー・感想・評価
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言葉にできないが良い
2008年劇場公開作品。
人を愛することが難しい青年ラース(ライアン・ゴズリング)の心情の変化も丁寧に描かれている。
出演者の演技力と、脚本(ナンシー・オリバー)が良い。
兄の妻カリンを演じたエミリー・モーティマーのクライマックスの迫真の演技は印象的。
2024年現在ならもっとリアルなセックスドールが入手できるが、今作は販促のための作品ではない。
本物の人間に恋することの素晴らさに氣付かせてくれる。
決してコメディではない。
まず、これから鑑賞する人に言っておかないといけないが、他のサイトではこの作品をコメディとしてカテゴライズしているものが見受けられるがコメディでは全くない。シリアスで真面目な作品なので注意が必要だ。ラースという人物が兄夫婦を含めた街全体の全ての人々に見守られながら自身の中の、「人と関わることができない」という精神疾患と、ビアンカという架空の彼女にそれを投影し乗り越えていくというもの。途中、ビアンカが動き出すような演出がなされるのでは・・・と不安がよぎる事もあったが、当然そんな裏切りはないので安心を(笑)。ラース自身の年齢も20代の現代を生きる若者で、かつテーマも現代の病とも言うべき”人との繋がり”。兄夫婦を含めて街の人がほんとに優しく、ラースの心を癒やした形となるが、自分がもし兄の立場ならこうはいかないかも。。
Empathy 本当にその相手の心情になって受け入れてみる。そのチャレンジ。
さて、お休みの日曜日、
どんな映画を観ましょうかね。
「怪物」を観るべきだと是枝さんは訴え、
「君たちはどう生きるか」と宮崎駿さんは僕に詰め寄り、
「響け!情熱のムリガンダム」でどうでっしゃろ?と、チェック映画館の支配人はインドの太鼓を打ち鳴らして強烈な客引きをしている。
でもねー、
連日の熱波でダウンしてしまった僕としては「怪物」との闘いや、押し売り的「人生訓」の標語や、「暑苦しい長編」はちょっと御免こうむりたい心境で、
で、
ライアン・ゴズリング主演の、「引きこもり」の「対人恐怖症」物をゲオで借りました。
カーテンを閉めて、エアコンを付けて、チーズクラッカーをポリポリかじりながら、マグを片手に休日の一日。
僕もラースとおんなじに引きこもりです(笑)
・・・・・・・・・・・・・
開幕からもう笑いが止まりません。
でも最後に心に落ちたのは
必要があってラースの所にやってきたある”妄想“について、
・それはラースにとっては実在するのだと、
・それはラースにとって今必要な事なのだと、
周囲がそれに気付くことの勧めなのでした。
カウンセリングを必要としていたのは、実は兄夫婦も一緒だったのだと だんだんと判明してゆく、その展開がまた秀逸で温かなのです。
早くして両親を亡くした兄弟が、子供ながらにたくさん堪(こら)えていた、まだ誰にも打ち明けていなかった ― そんな過去の寂しさとか心の傷とかを、
兄と弟はビアンカの口と存在を介して、初めて言い表すことが出来たのですね。
友人ビアンカを得て、堰を切ったようにラースは語りだす。
僕の涙腺も堰を切って崩壊です。
「ビアンカのご両親は早くに亡くなったんだ」。
「ビアンカはうまく喋れないんだ」。
「ビアンカは子供を産めない」。
・母親を出産で死なせたことの負い目を初めて口に出来て、
・兄ちゃんに置いていかれた日の不安を思い出して自覚して、
・兄ちゃんが家を捨てた日の兄ちゃんの気持ちと謝罪を弟ラースが受け入れた地下室での対話。
幼児のまま閉ざされていた口が、ついに真実を吐露した瞬間でした。
それでビアンカは この家にやってきた使命を終えるのです。
・ ・
好きな彼女も出来ました。
お母さんが編んでくれたブランケットも、じきにその役割を終えていくんでしょう。
春の雪解けが嬉しいエンディングでした。
イースターの復活祭を祝いつつ、ビアンカにさよならをするお葬式で物語は閉じます。
「人形」や「スマホの女声AI」を介して、人が慰めと癒しを与えられるというストーリー・コンセプトは、洋邦問わず他作品にもいくつかありますが、その“事件”を個人の秘話に留めるのではなく、街ぐるみでの戸惑いから⇒新生のドラマに展開させていくというこの映画。
黙っていたラースやビアンカに対して、町民たちは、今度は自分たちこそ語りかけるべき言葉がなかったかとそれを探し始めたのでした。
お兄さんのガスは影の主役。
すっごく良かった。
愛と 示唆と 勇気に富んでおり、ハートウォーミングなお話でした。本当に良かったです。
いい休養の日曜日になりました。
・ ・
◆主演のライアン・ゴズリングは、ラース役にぴったりでした。
彼の出演作のDVDは、「巻末の特典」でそのインタビュー光景などを見ると、その人となりがよく判ります。
彼はフリートークはとても下手です。上手く喋れずに言葉に詰まります。インタビューの緊張でしきりに顎を触ってしまいます。目も泳いでいます。
すごくナイーブでセンシティブな人ですよね。脚本をもらって「このラースは僕に似ている!」と きっと思ったに違いありません。
台本をもらえば、台本に助けられて声が出せて、なんとか一生懸命演じられるかもしれない
・・それがラースそのものにして Mr.サンシャイン。大スター=ライアン・ゴズリングなのだと感じました。
◆子供には《自己表現のアイテムとして》人形やぬいぐるみが必要なのだと、よりはっきりと指し示した作品としては、ベッド・ミドラーの「かぞくモメはじめました」もなかなかでした。
こちらもオススメ。
彼は自分でそう決めているのだ
素晴らしい映画でした。
内気で物静かな主人公ラースがある日、突然、通販で買ったセックスドール「ビアンカ」を彼女だと言い出す。田舎町を巻き込んだ愛おしく穏やかな騒動が巻き起こる。
セックスドールという突飛なメタファーは、「自己」と「慈しみ」といった、作品に底流するテーマを押しつけがましくなく映し出す。
ラースを、ビアンカをどうするか?という彼岸の問題がいつしか、それを自分たちはどう受け入れるか?という此岸の問題になっていく様が愛おしい。
物語を取り囲む世界、例えば、冬から春へ流れる季節性、兄嫁の妊娠、同僚のフィギュアやぬいぐるみへの執着なども主ストーリーを程よく包む。
彼は自分でそう決めているのだ、という女医のことばが印象的な名作です。
う~ん…
ラースが子どもから大人になる成長の物語であり、愛するとはどういうことか問う物語でもある。ラースの周囲の人々の優しさが際立っている。
とてつもなく優しい、優しい世界。
ラースは、本当のところ、人形を愛してなんかいない。
ただただ自己愛の強い、身勝手な、幼い、病気の人である。人形を生かすも殺すも全て自分次第、不要になったら自分の都合ですぐ捨てる、速攻で人間の女の子に乗り換える(それを成長と言いたいのは分かるが)。ストーリーに何の矛盾も無い。そのまんまである。ひとりよがりではなく、相手を思うのが愛なのだから。
ただ、愛し方が未熟であっても、ラースはシャイで温厚で真面目でとても心の優しい素敵な人物。彼なりに葛藤があり、人には理解されにくい感覚過敏やトラウマを抱えながら、不器用だがそれでも自分の人生を誠実に生きている。それは間違いなく、その人柄のおかげで周囲の人々に愛され、世話を焼かれ、全体がとてもハートフルで何とも心温まる作品になっている。
個人的には、自己愛ではなく、本当に人形を愛して貫き通す男の話を見たかった。作品ではラースはあくまでも治療対象として描かれていたが、私は病人じゃなくて狂人の愛を見てみたかった。
人間が本当に人形を愛するなんて、そんな愛は偽物だろうか??そんな人生は不幸なのだろうか?それはファンタジーやホラーになっちゃうのだろうか。
空気人形、ロマンスドール
こんな設定は日本人向けだろ!と、ひきこもりの27歳青年が日本人のように思えてくる。ついつい是枝監督の『空気人形』まで思い出してしまう。しかし、本来セックス目的で作られた人形であるにも関わらず、セクシャルな部分は全くない。人形に対する純愛を貫いていたのだ。
狂ってしまったんじゃないかと心配した兄夫婦はさっそく精神科医のダグマー・バーマン医師に診せる。最初は周りの住民も笑っていたり、距離を置いていたりしたが、徐々にラースとビアンカを本当の恋人であるかのように接し始めた。
町中の人が優しすぎる。中でも、ラースの職場の新人でもある聖歌隊のマーゴ(ケリ・ガーナー)はほのかな恋心も寄せていたほど。一緒にパーティに参加したりしていて、嫉妬まで覚えているようだった。病気といっても妄想癖のようなもの。普段の生活には何ら支障をきたさないのだ。
最後には、ビアンカは病気になって死ぬ運命となった。救急車で病院に運ばれもするし、葬式もきちんと行われた。ここまで人は優しくなれるのか?!主人公よりも、俳優の名前すらわからない町の人々がとてもよかった。
タイトルなし
「ジョーカー」を見たときに感じた違和感、それは「精神病罹患をモンスターになる理由のひとつとして描いても良いのだろうか」ということだった。
ラースの行動や態度はいくらでも病名がつけられるものと思う。しかし理解ある家族・親族と成熟したコミュニティにサポートされることで彼の異常行動は通過儀礼として昇華されていった。
特に自分を責める兄と、恵まれた環境に文句をつけることに怒った兄嫁を見てラースも自分なりに何かを感じてるようだった。
彼なりに苦しんでいるのだろうが、ラースはあまり泣いたり怒ったりしないのでそのあたりの苦しみや悩みや決意みたいなのがわかりやすくは出ないのだが、行動の変化によって少しずつ彼が前に進もうとしているのが感じられて静かな感動があった。
そのあたりの展開が前述のジョーカーとは対照的に見える。
まなざしがとにかく優しい
公開当時からずっと気になっていた作品。
いやー、もう、まなざしがとにかく優しい。
最初は何つーか、兄嫁がちょっとウザい、、っつーか、身重で普通あんなにあれこれお節介焼けるか、、?みたいな気がしてたんだけど、結局、すごいいい人なんだよね。兄貴もすごいいい人。教会の人たちと(ビアンカの)病院ボランティア仲間のおばさま&おばあさま方もみんないい人。医者の先生もいい人。
観ながらふと思ったのは、公園で女性がベビーカー押してるんだけど、実は乗ってるのは子供でなくお人形、みたいな話は洋の東西を問わず見聞きするような気がするんだけど、そういう場合も、あぁ、子供亡くなったのかな、とか、産めなかったのかな、と遠巻きに見ながら思うだけで、真っ向から責める人はあまりいないよな、と。
つまり、それと似たようなもので、温厚でシャイな青年がラヴドールを彼女扱いしてても、真っ向から否定できる人はあんまりいないだろうな、と(先日アウト×デラックスに出てた人はなんか窓からドールちゃんを投げられたらしいけど笑)
お医者さんのアプローチというか"治療"にけっこう多くの時間が割かれていて、勉強(?)になりました。相手の話を否定せず、まず一旦受け入れて、原因を探るのね。
人と違うことをしてても、「それはオカシイ!」って真っ向から否定せず、ビョーキと決めつけず、話を合わせて、その会話を糸口に背景を探る。やっぱ、精神医学ってすごいなー。 妙なとこに感心してしまった。
「大人になること」についての、兄の持論もいいんですよね。このシーン観ながら、早くも☆4.5、いや、5かな…なんぞと考えておりました(笑)
余談ですが、ゴズリングについて。これがあの、「きみに読む物語」の色男とは、、(笑)
まったく別人種ですな、、
変ではない変
ラーズ(ライアンゴズリング)は信心深い好青年だが、人付き合いをしない。
兄夫婦も町の人たちも気にしているが、心を開かない。
そんなあるときラーズの住む小屋に大きな荷物が届く。
その晩、ラーズは兄夫婦に「女性」を紹介する。
それは等身大のいわゆるラブドール。
ラーズは疑いもなくそれを擬人化している。
最初は動転し、気まずい空気になるものの、兄夫婦も周りの人々も、かれのラブドール擬人化に付き合う。
精神科医ダグマール(パトリシアクラークソン)のアドバイスもあり、けっして刺激せず、ラーズの新しい恋人「ビアンカ」を歓迎する。
基地外にまみえたばあい、どうするだろう?
航空機内でマスク着用を拒否したひとが、昨年(2020)アベマの報道ショーに出演していた。
コメンテーターたちが、腫れ物にさわるような物言いをしていた。のが印象的だった。
わけのわからない理屈を並べて、マスク着用を拒み、ルールにも機長命令にも従わず、途中寄航させ大勢の乗客・乗務員に迷惑をかけたかれはいわゆる基地外だ。(番組では、そいつに賛意する進歩的文化人もいたが・・・)
にんげん、だれしも基地外とは関わりたくない。
あたらしい恋人ができたんです──と言って、ラブドールを紹介されたら、たしかに、それを頭ごなしには否定しない。
とっととそいつの側から離れるだけだ。
ところが、映画はそんな辛辣な方向へ行かない。
ラーズには邪気も悪意も見えない。
人々はかれの純情を信じている。
まっとうに生きてきたにんげんが、突如おかしくなったら、なにか理由があるのだろうと心遣いされる。
だから、かれのパートナー「ビアンカ」にも、いわば敬意を払う。
やがて「ビアンカ」は完全に町のひとたちの市民権を得てしまう──のである。
人々はビアンカに人格を与える。
なあに──と意見を聞くふりをして懐に耳を傾けると、ビアンカは、その都度、聞いた人の考えた人物像を吹き込まれる。
もはや町じゅうの誰もが、若く素敵なカップル、ラーズとビアンカのことを知っている。
だがラーズはだんだん煮詰まってくる。
もともとかれの内的心象=なんらかの強迫観念が「ビアンカ」を実存させている。
かれが町の人たちの厚意に触れるほど=人々に交わるほど「ビアンカ」の存在は薄らいでいく。
けっきょくラーズはビアンカを死なせる。
それは内なる葛藤の克服を意味している。かれのメンタルヘルスを襲った危機からの脱却を意味している。
変わった方法で、心の傷を負ったひとが再生する様子を描いた映画。Awkwardでオフビートだけど、主題はまじめ。印象も大人しい。
ビアンカ=ラブドールは是枝裕和の空気人形的なスタンスで扱われているわけではない。──ゆえにゴズリングは内省型の青年を演じているのに、キモく見えず、爽やか。映画じたい性的方向へまったく振れない。
ほっこりするいい映画だった。ラースに対する周りの優しさがとてもよか...
ほっこりするいい映画だった。ラースに対する周りの優しさがとてもよかった!コメディ映画だけど、笑いもあって心温まるいい映画だった。
優しいゴズりんはいかがでしょうか
再鑑賞。ほんわかした優しいストーリーで、すっかりお気に入りになってしまった作品。ゴズりん演じる主人公ラースが純粋で可愛くてね。兄夫婦をはじめ、街の人全員が優しい。皆んなで妄想に付き合ってくれるんですから。ビアンカを初めて家に招待した時の兄夫婦の顔😮。ティディベアのシーンはとくにキュート。ほっこりしたい時にお勧めです。
受け入れること
リアルドール、ラブドール、呼称は色々あるけれど性玩具。
ハッキリ言って、男の夢の具現化したものである。
他人との交流を疎ましく思うと、ヒト以外の何かに依存するのは、
人形だけじゃなくてペットとかも同じであると思う。
ラブドールをみんなに紹介するラースの気持ちは、
「ウチの‘子’かわいいでしょ」と犬や猫を見せる心理に近いと思う。
一般的なペットが、ラースにとってはビアンカだっただけ。
男の夢の具現化を純粋に愛するラースを、
周りが認めていく姿がじんわり滲みてくる。
ラースは他人から観れば変わっている、
でも私たちの弟だから一緒に暮らしたい、
その思いを、夫ガスとともに町の人々に伝え理解を得ていく。
ラースを密かに好きだったマーゴもビアンカを彼女と認め、
その上でラースと付き合う姿も素敵である。
元々ラースが生まれた時に母が死に、
それ故か否か、ラースは町の人々に愛されていた。
そのラースの姿を変えようとするのではなく、
認めて信じてあげることを勧めたバーマン医師が、
この話でのキーマンになる。
「ビアンカが重病だ」(ラース)
「彼が決めているのよ」(バーマン)
重病なのはラースであると言いたかったのか。
重病になる前からその兆候はあって、「秘密のデート」で一気に“発症”した。
その病を経て、ラースがどうなっていくか、
ラストは少し嬉しくなった。
是枝監督作、「空気人形」とセットで観てください。
人の優しさが溢れる映画
単館上映なのが勿体ないくらいの名作。ラースの周囲の人達の優しさ、こんな町に住みたいと思いました。幸せな気持ちで映画館を出ました。ラース役はララランドの主演だと後から知ってビックリ。
周りの人たちが善人すぎる。普通の反応を示す人も中にはいるが、みんな...
周りの人たちが善人すぎる。普通の反応を示す人も中にはいるが、みんな良い人過ぎる。
登場人物で良かったのは、さみしすぎて自分の名前の綴りを忘れてしまう名医。
ビアンカの意識がないと言い出すタイミングがひどい。完全に自分の都合だけで生きてる主人公という感じがする。マーゴ役演技上手い。
終わりまで見て期待したほどではなかったというか想定内エンド。
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