コントロール : 映画評論・批評
2008年3月4日更新
2008年3月15日よりシネマライズほかにてロードショー
当時のある種の人々の生きる態度が顕れている
ジョイ・ディビジョンのアルバムを初めて聴いたのは、20歳の頃だ。イギリスでの大反響の余波が日本に届いた70年代末のこと。しかしその「余波」はあまりに小さく、だからこうやって彼らの物語が映画になり日本公開される日が来ることなど、想像することさえなかった。何しろ時代はバブルの前夜。彼らのダークで重くエキセントリックな音楽が受け入れられる要素は、日本にはなかったのだ。
だからほとんどの日本人は、複雑な思いにとらわれることなくただ単にひとりの才能あるミュージシャンの苦悩と絶望の物語として、この映画を受け取ることになるはずだ。ニュートラルな視線で彼らの姿を見ることが出来る多くの人の僥倖を、喜びたい。あの単調だがアグレッシブなリズム、生きることについてのひたむきな歌詞、そして主人公イアン・カーティスの痙攣的な踊りなどを、まっさらな目と耳で受け取る幸福。
もちろんこの映画は「フィクション」だからジョイ・ディビジョンという実在のバンドにこだわる必要はないのだが、しかし、この映画のあの痙攣的な踊りを見たとき、ああまさにあの姿を当時の私は彼らの音から聞き取っていたのだと感じた。あれこそが70年代末から80年代初頭にかけてのある種の人々の生きる態度だった。そんな当時への思いを、この映画は思い起こさせてくれた。
(樋口泰人)