歩いても 歩いてものレビュー・感想・評価
全22件中、1~20件目を表示
つまらん
...............................................................................................................................................
安部と結衣が安部の田舎に帰省した。
そこには頑固親父と嫌味なおかんがいた。
...............................................................................................................................................
同じ是枝監督の「ゴーイングマイホーム」そっくり。
徘徊型の映画で、何もストーリーが展開しない。つまんね。
家族あるある
是枝作品は、「海街Dairy」「ドライブマイカー」「海よりもまだ深く」「万引き家族」「真実」と来て、これが6作品目。後期の作品群への橋渡し的な作品かなって。町医者の父が跡継ぎとして期待していた長男が、海水浴の少年を助けようとして亡くなって、途中で医師になるのを断念した次男は、子持ちの女性と連れ立って、兄の命日の帰郷。長女夫婦とその二人の子どもと過ごした間を切り取った物語。
他のレビューで、様々な家族あるあるを書いておられたので、ここではその方々に譲るとして。昔と異なって、親の職業やら家を代々継いでいく必要性がない時代の親子関係あるあるかなって。それに現代的な事情も絡まるから、家族も複雑さを増す。
表面的には、皆、雰囲気を大事にして取り繕っているが、亡き長男への思いやら、出戻りの次男の妻に差別的であったり、今でも近所の患者さんを大切にしていたり、昔、父が浮気した時の歌謡曲をポロっとかけてみたりと、悪びれずにぽろぽろ出すのが、家族の人間関係らしい。
最後、連れ子が、「将来の夢は、実の父の調律師、今の父の少年の頃の夢の医師」と庭で呟いて、父の思いを受け継がれていくのかと思いきや、両親が、「次に来るのは正月か」に、次男夫婦は、「1年に1回で十分ね」とすれ違い。今の家族をそのままに切り取ったかのような物語。
喧嘩、嫌み、浮気、失業、喪失、隠居、老化、同居など様々なことをひっくるめて、家族ってこういうものだよって。不自然に美化せずに、そのまま描こうとしている。いろいろあるけれど、でも、家族の記憶やら思い出は引き継がれていくよって。黄色のチョウの逸話が効いていた。
石田さんちの家族みたいな映画かな。
お盆の本質。存在は生き続ける。
歩いても歩いても=いくつになっても、
男性はいつまでも子供っぽいプライドがある。
あえて言わない思いがある。
女性は執念深い。
腹は出さず、器用に綺麗な言葉。
本音と建前を使い分ける日本で、
男性と女性でもまた違うのだなと。
でも、家族だからどこか通じ合っていて、
町医者開業医だった父に似て、
次男の良多も器用で。白シャツをよく着る。
妻の連れ子のあつしくんも白シャツ。
血は繋がっていなくても、家族の繋がりがビジュアル化されている。
親の生きているうちは、
優しいんだけどどこか頼りなく、
絵の修復師のお仕事もなかなかなく、
亡き長男の想い出の添え物になりがちな良多だったが、
親亡き後、
すっかり父親になったね。車買えたんだね。
長男と両親のお墓参りに車で、家族で。
立派になったね。微笑ましい。
夏川結衣がとても心得た立ち振舞いで、
素晴らしいことこの上ない。
ちらちらと感じられる、亡くなった初婚の夫。
彼もまたゆかりとあつしにとっては生きている。
ピアノの調律師じゃきっと、心にしまった想い出の曲、あるんだろうな。
亮多と既に再婚しているが、息子のあつしに良多が入ってくるのは、「これから」「じわじわと」と言う。
まさにそうだし、息子からしても良多が押し付けがましく父親ぶらないのが良いと思うが、妻ゆかりの中では2人の夫は決して曖昧にかき消されて上書きされるものではなく、それぞれが独立して存在しているのがよくわかる。だから、樹木希林の言う「死に別れの方が厄介」という捉え方もあるのはよくわかる。
息子のあつしも心のうちをすぐに口に出さない思慮深さを母ゆかりからも、今の父の良多からも、しっかりと受け継いでいる。
こうして家族が、それぞれその時々で色んな境遇に置かれながらも、年1回くらい集まる。
少し様子見したりして、亡くなった家族にも想いを馳せる。
次男良多からしたら同棲が故、兄弟と、兄が死んでからもなお、比較され続け、自分の影は薄い実家と認識しているのも無理はないが、親からしたら子供達どれが欠けてもいつまでも想いが消えるなどない。
たまたま、跡取りを期待していた長男純平がそうなってしまっただけで。
でも、長男純平に助けられて命を救われた良雄くん、年一回どころでなく充分感謝し苦しんでいる。
あんなに坂の上の、家族ですら登るのが厳しい純平のお墓に、あんな太った身体でもちゃんと花を手向に来ているじゃない。
それでも純平は返ってこない。それが命の重み。
いなくなっても、故人の存在は生き続ける。
その存在を懐かしんだり、良くも悪くもその存在にあれこれ思うための、お盆休み。
それがきっかけで帰省して、家族が集まる。
日本のお盆という風習の本質がわかりやすく描かれた作品。
あと20年したら、良多もまた、集われる側になっているだろう。
あつしの中には、亡き実父とともに、父の良多側の祖父母もしっかりと生きているだろう。
あつしはどんな仕事なのかな?
こうして家族が引き継がれていくのだな。
お風呂のタイル、誰か1人でも直して帰ったら良いのに。
「いつもこうだ。あと少し間に合わない。」
本当にそうだから、間に合うものは親いるうちにちゃんとやろう。
でも、本当は間に合うとか間に合わないとかない。
家族は続いていくのだから。
昔は随分悪だったのに人間わかんないわよねと言われる、寿司屋の二代目が、味は落ちたとか言われながらも愛嬌の良い寺島進。
良多も家族の主人側になる時が来るし、
良雄もいまにそうなる。
リアルな人間関係のズレ
3世代の家族が集まり、静かながら、ズレが徐々に明らかになっていく話。
2つの子供の夫婦が実家に帰省するというよくある話だが、1人1人の感情が互いに交錯している様子が描かれている。
それは、家族団欒という穏やかな雰囲気の中に潜み、静かに洗われていた。
特に、初めは祖父の頑固さが強調されていたが、後半には反対に祖母の執念が強く出ていたことが印象に残った。
人は誰しも、心の中では違った考えをしていて、一緒に暮らしているのだなぁと感じた。
ノスタルジーを感じながらも、感情の交錯が味わえる作品であった。
何気ない雰囲気で強烈に心理を伝えてくる。
物語は、横山家の次男・良多と長女・ちなみが、それぞれ家族を連れて実家へ遊びにきた、というわずか1日の物語。
本来であればどの家にだって訪れる親戚で集まる楽しい1日。
だけど父・恭平や母・とし子、良多や妻・ゆかり……それぞれがそれぞれの立場だからこその思いがあり、表面上では明るく振る舞っていてもお互いに相踏み入れれない領域がある。
多分、どの家だったそういう気持ちはあるはず。
そして、この映画の素晴らしいところは、そのそれぞれの思いを、映画らしく大々的に表現するのではなく、どの家でも変わらない落ち着いた雰囲気のままで、それをうまーく表現しているところだと思う。
言葉ではなく、ちょっとした表情や仕草、物、言動などを一瞬だけ、ほんとに一瞬だけスポットを当たることで、強烈なほどに人間の心理を観る側に伝えてくる。
そしてもう一つ。この映画の美しいなところは、一晩を過ごした家族がちょっとだけお互いを理解し、そしてそれが別れとともにフッと消えていくところだと思った。
少し具体的に言うと、良多は父・恭平の医師という職にひとつも尊敬の目は抱かなかったが、恭平が無力ながら医師として最後まで救急車を見送る姿に初めて父を認めた瞬間があった。そしてそれは、その夜くしゃくしゃにした自身の幼い頃の作文を丁寧に修復していたところからジワーっと伝わる。
また、良多の妻・ゆかりもとし子の振る舞いに気疲れしてたが、最後まで良多の妻として明るく丁寧にとし子や恭平に対応した。
恭平ととし子、良多とゆかりの仲もこれで少し深まってハッピーで終わり!と思ったら、ラストにフッとこの余韻を消すシーンが…。
バスで別れた後、あれだけ次男の良多や子供に馴染めなかった恭平がぼそっと「次は正月か。」
それに対し、良多とゆかりは何か演じきった疲れが一気に消えたかのように軽い口調で「正月はもういっか。」
密かに息子家族の帰省を待ち侘びる恭平がいる一方で帰省が単に面倒くさそうな良多とゆかりがいる。この対照的な雰囲気は何とも言えない切なさがある。
そしてさらに、立て続けに良多が放った一言。
「いつもそうだ。いつも何かちょっと間に合わない。」
前に前に、ちょっとずつちょっとずつ歩を進めて、みんながうまいこと理解しあえそうなところまで行っても、結局いいところでうまくいかない。
どこの家にでもどの人にでもあるこの心の奥底にある気持ちを、この映画は静かーにうまく表現している気がする。
飾らない日常、それが家族
過度な演出、ドラマチックな展開がない是枝作品。どこにでもいる家族を描いている。海で少年を助けたために亡くなった長男の命日に集まる家族。楽しい会話の連続ではなく、時にはいがみ合い、緊張感が走り、陰で小言も言う。これがリアルで、ごく普通の会話、あるある。思わず、樹木希林が、包装袋を取っておき過ぎなんて、どこにでもある風景で、笑ってしまった。細かい描写に感心。人の心理、恐ろしい部分、嫉妬深い部分、執念深さがうまく描かれ、それをぶつけ合うのが家族。出演者の台詞、演技も自然で、皆うまい。間に合うように、親孝行しなければならないと思った。
陰気な映画
鑑賞中、あまりに登場人物達のセリフが陰気なので、観ていて気分が悪くなりました。
長男が亡くなって15年。
実家へ久々に帰る次男。子連れの未亡人と結婚し、本当は泊まりたくもないのに、泊まるといって実家へ。
長女は旦那と子供2人を連れての帰省。こちらは、夕食を食べる前にさっさと帰宅。
せっかくの家族の集まりの日なのに、話す内容は過去の話や、大して心にも思ってない話、裏でその話をしながら実際は違う。家族の間の会話とは思えないほど薄っぺらい話ばかりで驚きました。
大抵の会話が辛気臭くて、心のこもらない家族との繋がりを2時間弱延々と見せられ、苦痛でしかありませんでした。
息子を亡くした両親の気持ちは私には分かりませんが、どれだけ辛くても、息子が人助けをしたのならもう少し優しい気持ちになっても良いのでは?と未経験者の私は思います。確かに助けた相手が、なんとなーく人生を送る姿を見せられると思うことはあるとは思うのですが。次男との会話で、一年に一度くらい苦しい思いをしてもらってもいいじゃないと言う母親の言葉に、恐ろしさしか感じませんでした。怖すぎる。
この映画の中で1人だけまともだとすれば、それは自分の父親を亡くした後、新しい家族ができ、それを受け入れ、大人達にそれなりに合わせて過ごしていた子供じゃないかと思いました。
とにかくこの映画は何のために作ったのか、まったく分かりませんでしたー。ただただ、最初から最後まで虚しく、悲しい気持ちでみてました。
次男から両親への俺をみてくれ感や、母親が子離れできてないシーンは辛かったです。
家族版スタンドバイミー
亡くなった人間を想う気持ちの度合いは人それぞれだ
海よりもまだ深くでは男が過去の未練を残し、女が前に進む傾向を描かれているが
この映画では、女が亡くなった人を強く想い、男はそれに疑問を持つ
息子はウサギの死や父親の死を気にせず、それでも心に留め生きて行こうとする
人生においての生き方の整理が一番ついているのは息子だと感じた。
この映画では紛れもなく樹木希林がキーパーソンだ。
夏川結衣との会話シーンでは、女の持つ心の闇が画面いっぱいに映し出される
樹木希林は血の繋がった家族にこだわり、広告店の男に憎しみを持つ事に意味を持たせている。
息子の実の父親と、主人公の兄は映し出されないが、劇中幾度となく登場人物の言葉で語られ、彼らの中に存在していることに気づかされる。
日常にありそうな会話の数々が、映画ならではの重みと共に自分の人生にのしかかる。
是枝監督の映画は、常に観ている側に問いかけてくる。
また配役は海よりもまだ深くと似ている部分が多いが、どちらも重みは違えど本気で家族というものを描いている。
また、子役が毎回違う俳優を使い、どれも演技とは思えない実在感があるのだが、祖母役を樹木希林に頼りまくるのもまた面白い作家性といえる笑
直接は伝えない
お茶漬けを勧められたら「帰れ」の合図
している時計を褒められたら「帰れ」の合図
それらが嘘か真かともかく、
日本に、行間や空気を読むことを大切にする文化があるのは事実だろう。
諸外国に比べて、妙に間接的なコミュニケーションをする。
さてこの作品は、昭和のにおいが残る一家を描いたドラマ
なのだけど、
際立っているのは、そういう、思ったことを口に出さずに、
婉曲なやりとりを繰り広げる人間模様の数々。
よくもまあこんな繊細なものを、
細やかにリアリティをもって映像化できたものだ。唸る。
泣けるとか感動するとかではなくて、
「人」が巧みに表現されている、まさにヒューマンドラマ。
なぜか自分の家族と重なる
日本の夏を感じたい!という欲求のもと、見る映画を探していたら、この映画が紹介されていた。レビューをちらっとみるとなにかが起きるわけでもなく、ただ家族が里帰りする話と書かれていたので、まぁ、そんなもんだろうなぁとあまり期待していなかった。夏の雰囲気を感じらられればいっかなと。
しかし、この映画はそんな雰囲気だけの映画とは全くちがっていた、、というかそんなに甘いもんじゃなかった。
いくつかのシーンで涙が勝手にあふれだし、見終わった後も目をとじるとそのシーンが頭に浮かんで涙が止まらなくなってしまった。
そのせいで眠れなくなり次の日は仕事を遅刻した。
印象に残ったのは以下のシーン
長男のお墓から一緒に帰ってきた黄色いちょうちょを母がおいかけるシーン
母って子供のことになるとちょっと狂気じみる気がする。それが息子だとことさら。長男の死の原因となった男の子を毎年無理やり訪問させるところも母の狂気をかんじた。樹木希林さんはやっぱり上手。
父がお向かいのおばあさんが救急車に運ばれるのをなすすべなく見送っているところ。
その背中が映し出されているシーンが目をとじると浮かんできて涙があふれ眠れなくなってしまった、、
りょうたの妻が誰にでもこっそりききたい曲があるものよというシーン
こわ!この女の人はきっとまだ前の旦那さんの方が好き。そしてその領域にりょうたが入ってくることを拒んでいる。その気持ち女の人なら共感するんじゃないかなぁ。夏川結衣が上手い。
最後
ナレーションで三年後父が死に、後を追うように母が死んだことを語る。すごくリアル。まぁ、そうだよね、きっとそれくらいで死んじゃうよねと必然を感じさせる。
樹木希林さんはやはりすごい女優
どこかの親戚の集まりを覗いているかのようなリアルさ
樹木希林さんとYOUさん母娘の遠慮のないやりとり、愛想よく気を使うけど調子の良さが出てしまう娘婿、久しぶりにあった甥や姪への接し方、張り切ってごちそうを作る母とちよっと気難しい父、元子供部屋だった2階の部屋の段ボールが積まれて、物置になっているようなところまですべてリアル!
そして海で見知らぬ子供を助けて亡くなった長男への母の想い、ぶつけるどころのない憎しみ、怒り
樹木希林さんの演技が見事すぎて…絶句。
阿部さんの「いつもちよっと間に合わない」が心に染みました
どこか懐かしい海や坂道の風景も素敵
ひとつだけ気になった次男嫁の息子のパジャマも用意してくれればいいのに。発言がうーんて感じ。
子連れ再婚、息子は初婚
それでも表向には母は娘の孫とも区別することなく平等に接していて、十分できた姑だと思いますが。
世の中の姑はもっと心が狭いぞ。
心の奥底に潜むそれぞれの思い。
平凡な親族が実家に集まる1泊2日を描いた作品。
この映画の裏の主人公は完全に樹木希林演じるとし子で、とし子を中心に物語は進んで行く。
主人公である良多の母・とし子と父・恭平には闇があった。
15年前に亡くした長男・順平の事をいつまでも思い続けている。
思い続ける事は当然の事、だけど少しひねくれた方向で思い続けてる。
順平が自らの正義感で溺れる少年を助け
、順平はその犠牲となってしまった。
少年は今や青年となり毎年仏様に手を合わせに来る。
責める相手がいないから、その青年にいつまでも責任感を与え続け苦しめるという曲がった考えが、とても虚しい。
でもこれが本音。批判も出来ない。
建前や常識、一般的な考えではどうしようもない心の奥底。
まさに「人間」を見せられた。
亡くなった長男にはいつまでも自身の理想を乗せて語り、現実に生きる長女夫婦と次男夫婦に世話を焼く。
人間は様々な思いがあり、例え家族であっても共感出来る事と出来ない事がある。
でも、家族だからこそ気に入らない部分があっても許しあえる。
多少の事では関係は壊れない。
特に親側は子を想う。
父の「次は正月か」という言葉が代弁している。
子は後悔しない様に生活していかなければいけない。
いつも、ちょっとだけ間に合わない。
何にも特別なことは起こらない。
誰も特別不幸と言うわけではないし、誰も特別幸せと言うわけではない。
淡々とした、よくある日本の里帰り。
最初から最後まで、それだけ。
なのに、これほど心に深く染み込んでくる映画って、他にないです。
完璧です。正直な視点で、丁寧に丁寧に作り上げられた、これぞ「日本の映画」でした。
煩わしくて、嫌みで、上っ面で、でも、どこか憎みきれない。
これが「他人の集まり」だったら、絶対に成立しない微妙な距離感。
日本人特有のものなんでしょうね。
大袈裟な音楽もなく、過度の演出もない、絶妙な演技と空気。
老いていく親を思うと切なくなる。
夕日を見るときに似てる切なさ。
いつも、ちょっとだけ間に合わない。
お相撲さんの名前も、親孝行も、人生も。
娘さんは、3歳以上かな?
間に合ったかな、孫の顔。
色々あるけど、親孝行しなきゃ。って思います。
家族の肖像、その"本音と建前"
日本人は産まれながらにして《家》とは深い関わりを持つ。結婚する時には比較的に“個人”とでは無く《家》と結婚すると言える。
冠婚葬祭の集まりに顔を出すのは必要ならざる儀礼で、その時には否応なく親・兄弟・親戚縁者と顔を合わせては、厭でも在る事無い事を色々と詮索される事になる。
その煩わしささは人それぞれ千差万別であり、勿論「家族が大好き!」な人にはこの作品の底辺に潜む怖さを“嫌な奴ら”と一蹴して構わないと思う。
しかし、この作品の中の一人でも自分の身に置き換えて観て、セリフの一つ一つ・出演者の表情・感情の起伏が、自分の心とシンクロして心を抉られる様な感覚を覚えたならば、最後までしっかりと観て欲しい。
ひょっとしたらあなたの理想とする“家族の姿”が見つかるかも知れません。
本当の家族でも知らない・知られたく無い事は多い。
本当に心を許せる存在こそが“家族”と言える。
作品全体に於いて一応主人公にあたるのは、今現在仕事先が決まっていない次男役の阿部寛なのだが、作品中の真の主役は母親役の樹木希林であり、後半からは少しずつその母親がこれまで生きてきた中で、なかなか人に向けては吐かなった《毒》を浴びながらも、それらを吸収して受け止める次男坊の後妻役の夏川結衣への比重が増して来る。
映画が始まって暫くは、料理を作るシーンや食卓を囲んでのお喋りを中心として展開される。その間のセリフで一人一人の性格、及びお互いの関係が浮かび上がって来るのだが、余り意味が無いと思えるそれらが後半に向けて意味を持って来る。この辺りの脚本の書き込みに於ける性格付けの周到さが圧巻である。
この家の父親と息子は上手くいっていない。期待していた長男が事故死してしまい。否応無しに次男に掛けた期待は重圧となって彼の心を押し潰してしまったのだ。結果、彼は“笑わぬ王子”となってしまった。
一方で、この家の母親と長女の間柄は上手くいっている。しかし、それはあくまでも表向きでしか無いのが暫くすると見えて来る。
長女夫婦はやがて引っ越して来るのだが、実は母親は歓迎していない。
一見すると仲の良い母娘だが、母親は自分の本音を娘の前では絶対に口にしないのだ。
この家の人達は自分の本音を言おうとはしない。本当に言うのは自分にとっての“家族”の前だけだ。たとえ親子関係ではあっても、次男坊と後妻の連れ子の間柄には一線を引いた関係が存在している。
それらの気持ちの重苦しさを一人一人が持ち合わせているだけに、言葉の端々には隠しきれない毒が充満している。作品の中盤辺りからはそれらの感情が少しずつだが、ガス抜きの如く吹き出して来るのだ。
それが頂点に達するのが長男の死のきっかけとなった男の子に対する家族の態度に表れる。
父親はあからさまに気分を害し、長女はちゃかすだけだ。次男坊にはそんな態度を取る父親の姿が許せない。
しかし本当に許せなく、憎しみを消せなかったのは母親に他なら無かった。
この場面に於ける樹木希林が、それまでとは一変するだけに観客には衝撃的です。
この母親が本音を言うのは次男坊の阿部寛だけである。彼女にとっての“真の家族”は、自分のお腹を痛めて産んだ彼だけなのだ。自分の生活を脅かす長女はおろか、長年連れ添った旦那にさえもその感情は押さえ込んでいる。
この母親にとっては《毒》を吐ける相手こそが“真の家族”と認められているかの様に見える。
後妻役の夏川結衣に対して子供を産む・産まないと強烈なる《毒》を吐きまくる場面こそは、一見すると“嫌なババア”ではあるが、よく考えると“家族”として認められた証しでも在るのかも知れない。いや、本当は単なる嫌みなババアなのかも知れないのだが、題名の元になったある曲に纏わるエピソードを、それとなく旦那に告げる時と同じ《棘》の在る口ぶりになるのは偶然とは思えない気がするのだ。
♪歩いても、歩いても♪
長年連れ添って来たが、いつの日が言いたかった想い。次男坊の後妻として、静かな佇まいで“場の空気”に徹しようとする。その気持ちをあの手この手で詮索する自分と、次男に向けて昔と変わらぬ態度で神経を逆撫でする父親。その一部始終を見ていて、言葉の端々につい本音を口にしてしまった様に見てとれた。
或いは昔の自分に重ねてしまったのか…。
それを夏川結衣は相手の気分を害しない様に気を遣いながら、《家族》となるべく絶妙に受け流して行く。
それでも夫役の阿部寛の前ではついつい本音を漏らしてしまう。この時の彼女の「ちょっと休憩!」と言う、その一言の中に集約されている様々な感情の表現力は素晴らしいの一言でした。
この作品の中での男達は単純な感情の起伏に簡単に左右されてしまう。対して女性達は絶対に本音を言おうとはしない。
《毒》は、お爺ちゃん役の原田芳雄でさえも、「俺の建てた家だ!」と吐く。自分を脅かす血の繋がった孫よりも、血の繋がっていない孫に今は亡き長男の幻影を見ている。
幼くして父親を亡くしたこの義理の孫にとっては、この偏屈なお爺ちゃんと義理の父親との関係が不思議でしょうがない。彼は知らない顔を伺わせながらも父親の存在こそ一番に欲している。もしかしたら、父親の期待に添えず家業を継ぐ事が出来無かった義理の父親に、若くして自分の姿を重ね合わせているのかも知れない。父親の姿を追おうとする気持ちと、期待に応えられなかった新しい父親の真実。
今彼の心の中に新しい父親が“ジワジワ”と浸透して来ているのを感じている。
終盤での、この新しい家族が《真の家族》に成長して行く“ジワジワ”シーンから、生け花の花のアップになる場面こそは、日本映画の伝統を受け継ぐ美しさに充ちた場面です。少しあからさまに感じる人も中には居るかも知れませんが…。
海の見える丘の上から、この家族の有り様を絶えず見つめている黄色い蝶の存在。そんな一つ一つが親から子へ、また親から子へと受け継がれて行く。
(2008年7月2日シネカノン有楽町1丁目)
ちくちくする、家族のお話
もっと早く見ればよかった。
ずっと気になりつつ、是枝監督に対する不安があって避けてしまっていた作品。
というのも是枝監督の作品はワンダフルライフとDISTANCE以来、抵抗があって見れず。
空気人形はとっても好きだったんですが、どうしても拒否反応があって。
でも見てよかった。
ちくちくする、家族のお話でした。
わたしのすきなやつ。
皆わかってるのに、できない。いたわってあげたいのに、あげられない。
素直になりたいのに、なれない。
そんな家族のおはなし。
原田芳雄と樹木希林がすげぇ。
樹木希林が、もう演技なんだか本物なんだか本当にわからん。
そして、原田芳雄さま。
最近「大鹿村騒動記」で拝見したんですが、その時ともまたまったく違う方に見える。
本当に素晴らしい俳優さん。
心からご冥福をお祈りします。
映画とか音楽ってすごいなあ。感じ方はいつの時代も変わっていくけれど、どんな時も素晴らしい作品はずっと変わらずにそこにある。
名曲や名作は何年、何百年たっても色あせない。
昔は好きだった曲や映画を、今いまいちだと思ったら、よくもわるくもきっと自分が変わった証拠。
だってそのものは変わらずずっとそこにある。
夏川結衣もすごいよー。やっぱすごいよー。
初めての旦那の実家に泊まるの緊張してる感じとか、新しいパジャマが阿部寛の分しか用意されてない事に対する小さな怒りとか、すごくよくお酒を飲むんだけどそれに対してさりげなく樹木希林が言う「昔は女はグラスの底は見せるなって言われたもんだけど」っていうセリフに表情をこわばらせる感じとか。すげーよー
なんかすごく印象的なシーンがいっぱいあって、私自身がすべてを受け止め切れているかわからないけど、どうしてもご紹介したいシーンをひとつ。
家の中に入ってきたモンキチョウを樹木希林が長男が戻ってきているといって追いかけ回したシーンの後。
今日おばあちゃん変だったねって言うあつしに、夏川結衣が「おばあちゃんにはそう見えたのよ、きっと」って言う。
そしたらあつしが「もう居ないのに?」っていう。
それに対して、夏川結衣が、「お父さんだってちゃんと居るよ、あつしの中に」って言うの。
わたし、正直「人は死んでも心の中にいる」っていう言葉すっごい嫌いだったんです。
きれいごとっていうか、居ないし、死んでるしって私も思ってた。
でも実際に自分がそういう事を体験して今思うのは、心の中にとか記憶の中にとかじゃなくて、本当に居る。
死んだっていう事がまだ実感できてないって言うのもあるとは思うけど、本当に居る。
それに対して、うまく言葉にできなかった自分に、夏川結衣演じるゆかりさんが答えをくれた。
「あつしの半分はパパで、半分はママでできてんだから」
そっか、結局そうだよなって思った。
わたしの半分は、どうしたって彼からできてる。
だから、死んだって、なんか居るんだ。
そんで、そのあとあつしが、「じゃありょーちゃんは?」(りょーちゃん=阿部寛、再婚相手)って聞くんだ。
それに対する答えが、私がこう答えて!って思ったのと一緒で嬉しかった。
「りょーちゃんはね、これから入ってくんのよ」
あー、素敵なお母さんですね。
そう、あつしくん、これから君を形作るものの中に、りょーちゃんがいるんだよ。
じわじわ、じわじわ。
や、本当に幼少期に父親を亡くして、新しい父親とやっていかなければならない少年の気持ちは私にはわかってあげられないけれど。
でも、全部そのままで生きていってねって思いました。
あなたをはじめに作ったのはパパとママ。
これから一緒に成長していくのはりょーちゃんとママと。
だからパパも消えるわけじゃなくてずっといるさ。
はー、長くなりました。
でもとっても好きな作品。是枝ファミリー勢ぞろいですみたいな作品。寺島進とかも何気に出たり。
家族のお話が好きな方は是非見ていただきとう。
今日という日を、愛おしくてたまらない、そう思える人になりたい。
家族も、自分の周りのすべてを、愛せる人になりたい。
そう、思える人になりたいなって思った映画。
日常にひそむ家族のタブー
夏の終わりの海の近くの祖父母の家。
お盆は終わり、どうやら一家の長男の命日に集まった様子の長女一家と次男の一家。
ありふれたやりとりに中に家族の事情が浮き上がる。
長女は両親との同居を考えており、次男は嫁は子連れの再婚。長男は溺れた子どもを助けるために命を落としたこと。
家族には近いからこそ普段はあえて触れないタブーがある。
そうして日常の、家族の平和を保っている。
でも今日は長男の命日。
母親はあえてそのタブーを侵す。
しかし、一瞬凍りついた空気を再び元へ戻すことも彼女には出来る。
そうして平和を取り戻す。
ああ、これが家族だなぁとしみじみ思う。
「忘れてもらっちゃ困るのよ」
この一言のセリフの重さ、凄さ。
つくづく樹木希林という俳優の凄さを思い知りました。
隠れて聴く曲ぐらい誰でもありますよ
映画「歩いても 歩いても」(是枝裕和監督)から。
義兄の命日に、家族3人で夫の実家へ泊まり、
一晩過ごすだけの、どこの家にもあるような出来事が、
なぜか、とても自然に映像化されている気がした。
その中で、私が選んだ一言は、妻役の夏川結衣さんの台詞。
場面を説明すると長くなるので省くが、
「あのレコード、きっと隠れて聴いていたな」と、
ややバカにしたような口調で話し掛けた夫に、
「隠れて聴く曲ぐらい誰でもありますよ」と返した。
「へぇ〜、君にもあるの?」「ありますよ」
「どんな曲?」「ひ・み・つ」、予想通りの会話であったが、
妙に新鮮に私の心に残った。
辛い時、悲しい時、寂しい時、家族にも、親友にも隠れて、
じっくりゆっくり、噛み締めながら聴き入る曲があると、
人間は強くなれる気がした。
映画のタイトル、何かの曲の一部だったんだぁ(笑)
全22件中、1~20件目を表示