歩いても 歩いてものレビュー・感想・評価
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樹木希林さんはやはりすごい女優
どこかの親戚の集まりを覗いているかのようなリアルさ
樹木希林さんとYOUさん母娘の遠慮のないやりとり、愛想よく気を使うけど調子の良さが出てしまう娘婿、久しぶりにあった甥や姪への接し方、張り切ってごちそうを作る母とちよっと気難しい父、元子供部屋だった2階の部屋の段ボールが積まれて、物置になっているようなところまですべてリアル!
そして海で見知らぬ子供を助けて亡くなった長男への母の想い、ぶつけるどころのない憎しみ、怒り
樹木希林さんの演技が見事すぎて…絶句。
阿部さんの「いつもちよっと間に合わない」が心に染みました
どこか懐かしい海や坂道の風景も素敵
ひとつだけ気になった次男嫁の息子のパジャマも用意してくれればいいのに。発言がうーんて感じ。
子連れ再婚、息子は初婚
それでも表向には母は娘の孫とも区別することなく平等に接していて、十分できた姑だと思いますが。
世の中の姑はもっと心が狭いぞ。
平成の小津安二郎?
この映画が描こうとしている家族の相は多面的なものであると思うけど、ある面から見ればこの作品は現代版「東京物語」でもあると思う。
ラストシーンで黄色い蝶々について語る阿部寛のセリフは、東京物語での大坂志郎の「かと言うて、墓に布団はかけられず」とオーバーラップするものがある。
消える訳がない
久しぶりに集まる親戚たちの、距離感とか、小気味良い会話とか、なんだかどこかで本当にありそうで朗らかに見ていた。それだけに樹木希林が台所でタバコを吸う阿部寛に吐き出す冷たい深い恨みが異様に光って見えて、ウワッとなった。彼女は息子が命を懸けて救った彼を、理屈なんて百も承知で恨んでいた。正解なんかないけど悲しみだけがそこにあるというか、失われたという事実だけが重く鎮座してる、表面上はただの夏休みなのに、今落ち着いて考えると底なしの穴を見てるような気持ちになってしまう。そこだけ描いた話ではないけど…
心の奥底に潜むそれぞれの思い。
平凡な親族が実家に集まる1泊2日を描いた作品。
この映画の裏の主人公は完全に樹木希林演じるとし子で、とし子を中心に物語は進んで行く。
主人公である良多の母・とし子と父・恭平には闇があった。
15年前に亡くした長男・順平の事をいつまでも思い続けている。
思い続ける事は当然の事、だけど少しひねくれた方向で思い続けてる。
順平が自らの正義感で溺れる少年を助け
、順平はその犠牲となってしまった。
少年は今や青年となり毎年仏様に手を合わせに来る。
責める相手がいないから、その青年にいつまでも責任感を与え続け苦しめるという曲がった考えが、とても虚しい。
でもこれが本音。批判も出来ない。
建前や常識、一般的な考えではどうしようもない心の奥底。
まさに「人間」を見せられた。
亡くなった長男にはいつまでも自身の理想を乗せて語り、現実に生きる長女夫婦と次男夫婦に世話を焼く。
人間は様々な思いがあり、例え家族であっても共感出来る事と出来ない事がある。
でも、家族だからこそ気に入らない部分があっても許しあえる。
多少の事では関係は壊れない。
特に親側は子を想う。
父の「次は正月か」という言葉が代弁している。
子は後悔しない様に生活していかなければいけない。
長男は水難事故で亡くなり、二男家族、長女家族が長男の命日に合わせて...
長男は水難事故で亡くなり、二男家族、長女家族が長男の命日に合わせて帰省している1泊2日の話。
二男は、連れ子と結婚、亡くなった長男には子供こそいなかったが、奥さんはすでに再婚。長女は実家に引っ越してこようと画策も。
ちょっとした複雑な関係、今までの関係がふとした会話に表れている。
パジャマは息子だけにしか準備していない嫌味など。
何気ないどこにでもありそうな家族。でも、みんないろんなことを思いながらそれが柔らかな会話の中に見え隠れしている。
是枝監督のお得意モノなんだなーと感じた作品。
日本の平均的家族像
淡々とそれぞれの都合で関わり合う家族。家族の絆とか再生物語を、こういう視点から見るのも悪くない。日本人ぽいかもね。YOUと樹木希林の会話がとても自然で良かった。毎年謝罪に来させる樹木希林の言葉、理由、にはぞっとするものがあった。
亡き人は傍にいる
たった一日の出来事だけど、とても奥深い。
息子を海で亡くしたこと、妻の前夫も亡くなっている事。
はっきり説明はないのに、セリフの節々で考えて理解させるところも
珍しい。
母が家に迷い込んできた蝶を追いかけるシーンは、切なかったですね。
前半の食事のシーン。うらやましかったな。
私は母と一緒に台所に立つことは出来ませんでした。
義両親も居ません。兄妹も義兄妹も居ませんので。
何気ない家族の映画。
総合:86点
ストーリー:70点
キャスト:100点
演出:95点
ビジュアル:85点
音楽:80点
特にこれといった盛り上がりはなく、淡々と進んでいく。家族という一番身近なものとここまでやってきて長男が死んだり、喧嘩したり色々あったけど、人生歩いても歩いても家族は大事なんだなということがひしひしと伝わった。
たまにクスッと笑える場面が良い。樹木希林とYOUの演技が上手い。
●タテマエとホンネと
淡々とした日常に潜む内なる思い。
恋愛も殺人もないけど、瞬間、ゾクッとさせられる。
帰省する子供たち。
年老いた両親。
それぞれの家庭事情。
死んだ長男。
「正月はもういいな」
「次は正月だな」
なんとなく小津安二郎ぽいというか。
等身大で自己投影しやすい怖さというか。
惜しい。
孫は何を考える。
タイトルと歌とのリンクが難解すぎる。
生々しい
是枝監督の作品を立て続けに3本鑑賞。
家族の描き方が生々しくて、痛々しい。
リアル感があって、どこにでもある家庭の日常の一部を切りとったように描かれていた。
正直、映画にするのであれば、もう少し抑揚がほしい。それだけ人の考え方や生き方は普遍的ということなのか。
好き嫌いでる映画かも。
寂しいけどこれが現実かな…
ところどころで映る自然や木に手を伸ばす子供の手とか、写真に残して飾りたいようなカットがキラキラしてて見惚れてしまった。それはごく一部で、ほとんどは人間のドロドロしたものの見え隠れ。人間の価値について考えさせられた。
家族の密なようで薄いような関係性が、それは違う!って言いたいけど否定できない寂しい気持ちもあり…でもそういうことを認めることは大事なのかな。答えはないから。
樹木希林さんの一瞬でゾッとさせる演技はやみつきになりそう!
いつも、ちょっとだけ間に合わない。
何にも特別なことは起こらない。
誰も特別不幸と言うわけではないし、誰も特別幸せと言うわけではない。
淡々とした、よくある日本の里帰り。
最初から最後まで、それだけ。
なのに、これほど心に深く染み込んでくる映画って、他にないです。
完璧です。正直な視点で、丁寧に丁寧に作り上げられた、これぞ「日本の映画」でした。
煩わしくて、嫌みで、上っ面で、でも、どこか憎みきれない。
これが「他人の集まり」だったら、絶対に成立しない微妙な距離感。
日本人特有のものなんでしょうね。
大袈裟な音楽もなく、過度の演出もない、絶妙な演技と空気。
老いていく親を思うと切なくなる。
夕日を見るときに似てる切なさ。
いつも、ちょっとだけ間に合わない。
お相撲さんの名前も、親孝行も、人生も。
娘さんは、3歳以上かな?
間に合ったかな、孫の顔。
色々あるけど、親孝行しなきゃ。って思います。
家族の肖像、その"本音と建前"
日本人は産まれながらにして《家》とは深い関わりを持つ。結婚する時には比較的に“個人”とでは無く《家》と結婚すると言える。
冠婚葬祭の集まりに顔を出すのは必要ならざる儀礼で、その時には否応なく親・兄弟・親戚縁者と顔を合わせては、厭でも在る事無い事を色々と詮索される事になる。
その煩わしささは人それぞれ千差万別であり、勿論「家族が大好き!」な人にはこの作品の底辺に潜む怖さを“嫌な奴ら”と一蹴して構わないと思う。
しかし、この作品の中の一人でも自分の身に置き換えて観て、セリフの一つ一つ・出演者の表情・感情の起伏が、自分の心とシンクロして心を抉られる様な感覚を覚えたならば、最後までしっかりと観て欲しい。
ひょっとしたらあなたの理想とする“家族の姿”が見つかるかも知れません。
本当の家族でも知らない・知られたく無い事は多い。
本当に心を許せる存在こそが“家族”と言える。
作品全体に於いて一応主人公にあたるのは、今現在仕事先が決まっていない次男役の阿部寛なのだが、作品中の真の主役は母親役の樹木希林であり、後半からは少しずつその母親がこれまで生きてきた中で、なかなか人に向けては吐かなった《毒》を浴びながらも、それらを吸収して受け止める次男坊の後妻役の夏川結衣への比重が増して来る。
映画が始まって暫くは、料理を作るシーンや食卓を囲んでのお喋りを中心として展開される。その間のセリフで一人一人の性格、及びお互いの関係が浮かび上がって来るのだが、余り意味が無いと思えるそれらが後半に向けて意味を持って来る。この辺りの脚本の書き込みに於ける性格付けの周到さが圧巻である。
この家の父親と息子は上手くいっていない。期待していた長男が事故死してしまい。否応無しに次男に掛けた期待は重圧となって彼の心を押し潰してしまったのだ。結果、彼は“笑わぬ王子”となってしまった。
一方で、この家の母親と長女の間柄は上手くいっている。しかし、それはあくまでも表向きでしか無いのが暫くすると見えて来る。
長女夫婦はやがて引っ越して来るのだが、実は母親は歓迎していない。
一見すると仲の良い母娘だが、母親は自分の本音を娘の前では絶対に口にしないのだ。
この家の人達は自分の本音を言おうとはしない。本当に言うのは自分にとっての“家族”の前だけだ。たとえ親子関係ではあっても、次男坊と後妻の連れ子の間柄には一線を引いた関係が存在している。
それらの気持ちの重苦しさを一人一人が持ち合わせているだけに、言葉の端々には隠しきれない毒が充満している。作品の中盤辺りからはそれらの感情が少しずつだが、ガス抜きの如く吹き出して来るのだ。
それが頂点に達するのが長男の死のきっかけとなった男の子に対する家族の態度に表れる。
父親はあからさまに気分を害し、長女はちゃかすだけだ。次男坊にはそんな態度を取る父親の姿が許せない。
しかし本当に許せなく、憎しみを消せなかったのは母親に他なら無かった。
この場面に於ける樹木希林が、それまでとは一変するだけに観客には衝撃的です。
この母親が本音を言うのは次男坊の阿部寛だけである。彼女にとっての“真の家族”は、自分のお腹を痛めて産んだ彼だけなのだ。自分の生活を脅かす長女はおろか、長年連れ添った旦那にさえもその感情は押さえ込んでいる。
この母親にとっては《毒》を吐ける相手こそが“真の家族”と認められているかの様に見える。
後妻役の夏川結衣に対して子供を産む・産まないと強烈なる《毒》を吐きまくる場面こそは、一見すると“嫌なババア”ではあるが、よく考えると“家族”として認められた証しでも在るのかも知れない。いや、本当は単なる嫌みなババアなのかも知れないのだが、題名の元になったある曲に纏わるエピソードを、それとなく旦那に告げる時と同じ《棘》の在る口ぶりになるのは偶然とは思えない気がするのだ。
♪歩いても、歩いても♪
長年連れ添って来たが、いつの日が言いたかった想い。次男坊の後妻として、静かな佇まいで“場の空気”に徹しようとする。その気持ちをあの手この手で詮索する自分と、次男に向けて昔と変わらぬ態度で神経を逆撫でする父親。その一部始終を見ていて、言葉の端々につい本音を口にしてしまった様に見てとれた。
或いは昔の自分に重ねてしまったのか…。
それを夏川結衣は相手の気分を害しない様に気を遣いながら、《家族》となるべく絶妙に受け流して行く。
それでも夫役の阿部寛の前ではついつい本音を漏らしてしまう。この時の彼女の「ちょっと休憩!」と言う、その一言の中に集約されている様々な感情の表現力は素晴らしいの一言でした。
この作品の中での男達は単純な感情の起伏に簡単に左右されてしまう。対して女性達は絶対に本音を言おうとはしない。
《毒》は、お爺ちゃん役の原田芳雄でさえも、「俺の建てた家だ!」と吐く。自分を脅かす血の繋がった孫よりも、血の繋がっていない孫に今は亡き長男の幻影を見ている。
幼くして父親を亡くしたこの義理の孫にとっては、この偏屈なお爺ちゃんと義理の父親との関係が不思議でしょうがない。彼は知らない顔を伺わせながらも父親の存在こそ一番に欲している。もしかしたら、父親の期待に添えず家業を継ぐ事が出来無かった義理の父親に、若くして自分の姿を重ね合わせているのかも知れない。父親の姿を追おうとする気持ちと、期待に応えられなかった新しい父親の真実。
今彼の心の中に新しい父親が“ジワジワ”と浸透して来ているのを感じている。
終盤での、この新しい家族が《真の家族》に成長して行く“ジワジワ”シーンから、生け花の花のアップになる場面こそは、日本映画の伝統を受け継ぐ美しさに充ちた場面です。少しあからさまに感じる人も中には居るかも知れませんが…。
海の見える丘の上から、この家族の有り様を絶えず見つめている黄色い蝶の存在。そんな一つ一つが親から子へ、また親から子へと受け継がれて行く。
(2008年7月2日シネカノン有楽町1丁目)
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