「お盆の本質。存在は生き続ける。」歩いても 歩いても movie mammaさんの映画レビュー(感想・評価)
お盆の本質。存在は生き続ける。
歩いても歩いても=いくつになっても、
男性はいつまでも子供っぽいプライドがある。
あえて言わない思いがある。
女性は執念深い。
腹は出さず、器用に綺麗な言葉。
本音と建前を使い分ける日本で、
男性と女性でもまた違うのだなと。
でも、家族だからどこか通じ合っていて、
町医者開業医だった父に似て、
次男の良多も器用で。白シャツをよく着る。
妻の連れ子のあつしくんも白シャツ。
血は繋がっていなくても、家族の繋がりがビジュアル化されている。
親の生きているうちは、
優しいんだけどどこか頼りなく、
絵の修復師のお仕事もなかなかなく、
亡き長男の想い出の添え物になりがちな良多だったが、
親亡き後、
すっかり父親になったね。車買えたんだね。
長男と両親のお墓参りに車で、家族で。
立派になったね。微笑ましい。
夏川結衣がとても心得た立ち振舞いで、
素晴らしいことこの上ない。
ちらちらと感じられる、亡くなった初婚の夫。
彼もまたゆかりとあつしにとっては生きている。
ピアノの調律師じゃきっと、心にしまった想い出の曲、あるんだろうな。
亮多と既に再婚しているが、息子のあつしに良多が入ってくるのは、「これから」「じわじわと」と言う。
まさにそうだし、息子からしても良多が押し付けがましく父親ぶらないのが良いと思うが、妻ゆかりの中では2人の夫は決して曖昧にかき消されて上書きされるものではなく、それぞれが独立して存在しているのがよくわかる。だから、樹木希林の言う「死に別れの方が厄介」という捉え方もあるのはよくわかる。
息子のあつしも心のうちをすぐに口に出さない思慮深さを母ゆかりからも、今の父の良多からも、しっかりと受け継いでいる。
こうして家族が、それぞれその時々で色んな境遇に置かれながらも、年1回くらい集まる。
少し様子見したりして、亡くなった家族にも想いを馳せる。
次男良多からしたら同棲が故、兄弟と、兄が死んでからもなお、比較され続け、自分の影は薄い実家と認識しているのも無理はないが、親からしたら子供達どれが欠けてもいつまでも想いが消えるなどない。
たまたま、跡取りを期待していた長男純平がそうなってしまっただけで。
でも、長男純平に助けられて命を救われた良雄くん、年一回どころでなく充分感謝し苦しんでいる。
あんなに坂の上の、家族ですら登るのが厳しい純平のお墓に、あんな太った身体でもちゃんと花を手向に来ているじゃない。
それでも純平は返ってこない。それが命の重み。
いなくなっても、故人の存在は生き続ける。
その存在を懐かしんだり、良くも悪くもその存在にあれこれ思うための、お盆休み。
それがきっかけで帰省して、家族が集まる。
日本のお盆という風習の本質がわかりやすく描かれた作品。
あと20年したら、良多もまた、集われる側になっているだろう。
あつしの中には、亡き実父とともに、父の良多側の祖父母もしっかりと生きているだろう。
あつしはどんな仕事なのかな?
こうして家族が引き継がれていくのだな。
お風呂のタイル、誰か1人でも直して帰ったら良いのに。
「いつもこうだ。あと少し間に合わない。」
本当にそうだから、間に合うものは親いるうちにちゃんとやろう。
でも、本当は間に合うとか間に合わないとかない。
家族は続いていくのだから。
昔は随分悪だったのに人間わかんないわよねと言われる、寿司屋の二代目が、味は落ちたとか言われながらも愛嬌の良い寺島進。
良多も家族の主人側になる時が来るし、
良雄もいまにそうなる。