「自分もまた本作の父や母のように老い、子供がまた家族をつくって行くのだということ」歩いても 歩いても あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
自分もまた本作の父や母のように老い、子供がまた家族をつくって行くのだということ
タイトルの意味は劇中で語られます
1968年12月発売のいしだあゆみの大ヒット曲「ブルーライトヨコハマ」の歌詞の一節です
樹木希林の演じる母が、そのシングル盤を主人公の良多に掛けさせます
父は母が、通販で昭和の歌謡なんとか30巻セットを騙されて買ったんだと言うのですが、それでは有りません
そのレコードは死んだ長男の机の引き出しに大事に隠してあったシングル盤です
その歌はあまい恋の歌です
彼女は夫を追及します
あなたに関係ない歌なわけ無いでしょう
良多をおぶって板橋の夫の浮気相手の女のアパートに行った時、部屋の中から♪歩いても~と歌うあなたの声が聞こえたのよ
邪魔したら悪いと思ってそのまま帰って、次の日に駅の西口のレコード屋で買ったのですよと
背筋が凍るような話です
40年昔の事を恨んで、声を荒げることもなく淡々とそれをいうのです
そして、そのすぐあと兄の命日に毎年、助けられた今では成年した少年を呼ぶ理由を彼女は明かすのです
女の恨みは深く静かで消えないものだということです
そのレコードが何故、長男の遺品の机の引き出しに入れられていたのか
長男が危篤の時も、自分の患者を優先したことを非難していたのだと思います
良多は子連れの妻と結婚したこと、失業したこともあり実家にはあまり近寄らなかったようです
この日も日帰りで帰ろうと言い出したりします
しかし妻はそうはいきません
そんな中でも懸命にこの家族の一員になろうと頑張っています
自分の妻もこのように苦労していたのだと今更ながらチクチクと胸が痛みます
このように本作では女性が強いです
というかこれが日本の家庭の普通なのでしょう
男はそうした隠された感情が小出しにされて、オロオロするばかりです
家族を作り繋いでいくのは母、娘、嫁です
男はなんの役にも立たないのです
良多は、隣の急病人に対して無力をさらけ出した父の老いを目の当たりにして何かが変わったようです
主人公良多の妻の連れ子のあつしは、父と死別したことに衝撃を強く受けていることが次第に明らかになってきます
彼はこの一晩でこの家族の男の立場を見て何かを感じています
良ちゃんを父として受け入れようという気になったようです
この一泊で彼も何か成長したようです
親孝行したいときには親はなし
生きているときは、説教されるのが疎ましく実家には近寄りもしないものです
お相撲さんの名前をバスがでてから思い出すように、人生にタイミングよく物事が進むことはなく気が付いたときにはもう手遅れの場合が多いようです
ラストシーン
良多と妻の間には女の子が産まれもう4歳位のように見えます
あつしは中学生ですから5年後のようです
姉の夫から買ったであろう車が走り去ります
娘も作り、車も買え免許も取っているのだから仕事もすぐ見つかり生活は安定しているようです
しかし良多は血のつながった孫娘を見せることも、母を車に乗せることも、父とあつしとでサッカーにも行けなかったのです
家族との濃密な関係は時に疎ましく、自由でありたいと感じるものです
しかし、自分が家族を持ち、子供が育ってくるとどうしても家族のつながりを求めたくなるのです
それは自分もまた本作の父や母のように老い、子供がまた家族をつくって行くのだと、やっと思い至るからだと思います
その時に、いしだあゆみの歌のようなエピソードがふとした時に妻から飛び出して来ないように、おかしなことにならないように気を付けていたいものです
もう手遅れかも知れませんが