光州5・18 : 映画評論・批評
2008年4月30日更新
2008年5月10日よりシネカノン有楽町2丁目、新宿ガーデンシネマほかにてロードショー
<光州事件>とは何だったのかを問いかける名も無き人びとの10日間
「世界は知らなかった、光州で散った愛の数を……」という、このコピーほど、映画の主題を言い当てた表現はないだろう。
1980年5月、戒厳令撤廃と民主化を叫ぶ学生運動の鎮圧に端を発した〈光州事件〉は、やがて一般市民をも巻き込んだ無差別の殺戮劇へと展開した。長らくタブーとされてきたこの10日間の抗争に対し、軍事政権が87年に「民主化のための努力」と評価してから、この映画の登場までに20年もの歳月が流れた。その間、光州事件を扱ったドラマや映画が皆無だったわけではない。が、事件の10日間にフォーカスした作品はこれが最初である。
登場人物たちはささやかな愛と家族の安寧を願い、ささやかな娯楽に興じる普通の市民たちである。そんな暮らしが突然、銃剣を構えた自国の軍隊によって切り裂かれ、家族を奪われ、阿鼻叫喚の極限状態に投げ込まれたら? ミヌとシネの10日間の物語はいくつもの愛が花開き、そして散ってゆくまでの、無数の名も無き人びとの10日間でもあった。
お人好しで素朴なタクシー運転手から、弟の死を境に銃を取る決意をし、闘い、死んでゆくまでの主人公ミヌの、体つきから顔つきまで、日々刻々と精悍さと凄みを帯びてゆくキム・サンギョンの演技は、普通の光州市民にとってこの10日間とは何だったのかを問いかけてくる。それはいつか訪れた/訪れるかもしれない、私たちの物語でもあるだろう。
(真鍋祐子)