劇場公開日 2008年3月22日

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「カーウァイ監督だから見たんだが、ちょっとがっかり」マイ・ブルーベリー・ナイツ こもねこさんの映画レビュー(感想・評価)

2.0カーウァイ監督だから見たんだが、ちょっとがっかり

2009年3月27日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 この作品は「別れ」を描いているのに、温かいものが胸にこみ上げてくる、人の情感に訴える好編に仕上がっている。

 しかし、カーウァイ監督の作品が好きで、ほとんどの公開作を観てきている私には物足らない内容だった。なぜ物足らないと感じたのか。その疑問にいみじくも、キネ旬4月下旬号「マイ・ブルーベリー・ナイツ」特集の監督インタビューの中で、カーウァイ監督が「欧米人の表現はストレートだから、映画もわかりやすいものになった」と答えている。
この作品が、他のカーウァイ監督の作品と大きく違うのは、説明的なセリフが多すぎることだ。どうしてそうなったのかは、撮影監督が息の合ったクリストファー・ドイルでなく、いつもの流麗でキレのある映像美ができなかったこと、そして、初めてのアメリカ映画ということでアメリカ人にわかりやすいものにするために、監督自ら妥協した結果ではなかったかと思う。これまでのカーウァイ監督の作品は、人間の心の揺れを繊細に表現することに神経を使うがために、セリフではなく美しい映像や役者の一瞬の表情の移り変わり、そして独特の細かな演出の機微で観客を惹きつけていただけに、この作品における映像表現の切り替えは、とても残念に感じた。
 カーウァイ監督がこの作品を撮ったのは、私個人の憶測だが、アメリカのロードムービーを撮りたかったからではないだろうか。これまでのカーウァイ監督の作品は、どれも香港などに舞台を限定しているが、登場人物は外国からやってきた者たち、あるいは外国へ流れていく、一種の流れ者のような背景をもっている者が多い。カーウァイ監督作品の根本にアメリカのロードムービーのエッセンスが見えるだけに、この作品は本場で挑戦したいと思う監督の向上心の表れと解釈すると、この挑戦は決して失敗ではないと思わせるだけの作品に仕上げている点では、カーウァイ監督の手腕はさすがと言うべきだろう。

こもねこ