グーグーだって猫であるのレビュー・感想・評価
全7件を表示
原作とは別物
有名少女漫画家、大島弓子(代表作綿の国星)さんのエッセイが原作です。
しかし映画はあらたに恋愛要素を付け加えていたりアシスタントさん目線になったり。まあ映画は映画として、原案程度の扱いで。ということなのかな?
あくまで架空の小島麻子という漫画家の話として。
ご本人は実際どんなキャラなのかわからないけれども原作では案外淡々と描かれているのです。
作品もほわほわとしたイメージではあるけれど辛らつだったり深い面もけっこうあります。
どうもただほわほわしたイメージだけを取り上げてキャラ作った?と思うような
漫画家でした。40代で日常もあんなポエマーだったらイタイ人になってしまうよ…。
そんなにめちゃくちゃ猫大好き!て程でもないので、あんまり楽しめませんでした。せめてあと30分時間を削ってほしい。
意味不明
タイトルの割には猫は添え物だから猫好きにも物足りない、キョンキョンのファン目当てなら中身はどうでも良いのでしょう、ブラジャー姿のサービスショットはプロデューサーからのせめてものお詫びでしょうか。
一人暮らしの先生こと漫画家小島麻子(小泉今日子)を癒してくれるのが猫の存在、思い入れの強い性格だから浮世離れして見える。だから生活を描いても生活感がない。
心象風景を描くのかと思ったら吉祥寺風景、お笑い芸人のから騒ぎ、カメラ目線でリアクションでは思わずテレビのバラエティ番組かと思うしナレーションが本人でもなくアシスタントの上野樹里、これは先生死んでの回想劇かと頭をよぎる、案の定がんの告知、卵巣摘出は猫の避妊手術の意趣返しかとも思わせる。
死ぬかと思ったが手術は成功、髪の毛も抜けずやつれもせずキョンキョンのイメージは絶対壊さないぞとの事務所の横やりなのか、はたまた監督の思い入れなのか。
夢の中なのだろうが英会話教室の先生(マーティ・フリードマン)がさんざん吉祥寺や動物園の歴史解説を英語で解説してたと思ったら実は死神、先生はクリスチャン? 唐突に亡くした猫を擬人化するし辻褄なんてどうでもいいとパッチワークのような映画作り、思わせぶりで煙に巻くプロット、統一感のない演出には閉口した。
猫依存
総合:65点 ( ストーリー:65点|キャスト:65点|演出:65点|ビジュアル:70点|音楽:65点 )
猫の話かまたは猫との生活の話かと思ったら全然違っていた。漫画家の日常生活とその周辺の人々ののんびりとした話が緩い演出で描かれていた。
映画としてはそれがゆっくりととめどなく流れていく。時々は脱線しがちな話も盛り込まれる。適当に観ていくにはいいが、それが特に面白いというほどでもない。もっと漫画家ならば漫画に対する苦悩とかが出てきてもよさそうなものだが、主人公は漫画家であるというだけで描かれるのは日常生活のみ。ここはもったいないかと思う。
だけど死んだ猫が出てきて話をする場面は良かった。猫に精神的な依存がありそれが満たされていくのがわかった。この場面で盛り返した。
本質的には重苦しい内容なんですが
漫画家大島弓子の自伝的ストーリー。
原作コミックは未読です。
映画は、数多くの漫画家が住む《吉祥寺》とゆうカルチャー文化の街を、様々な角度から世界に向けて紹介する役のマーティ・フリードマン。
小島麻子(大島弓子)とゆう天才少女漫画家のアシスタントで、彼女の作品の魅力と裏話や生活振り。そして自身の恋愛と成長を語る上野樹里。
仕事に追われ、作品を生み出す苦しさからやや欝気味な主人公である麻子。漫画家を志した若い頃から始まり、現在の自分がおかれた立場を客観的に捉えている。
以上3点の話が、主人公麻子の心を癒やす新しい“吉祥寺の住人”グーグーの散歩と共に同時に語られて行きます。
彼女が抱える内なる心の想いが、読んだ人には単なる漫画より“芸術”として人々に愛されているのですが、映画はそんな彼女がいずれ抱える問題を含めて、基本的には重苦しい内容です。
監督犬童一心は、そんな重苦しさを払拭しようと思ってか、雌猫を必死に追い掛けるグーグーの場面での音の使い方や、上野絡みで恋人の浮気現場から発展する追っ掛け場面でのコマ落とし等、随所にサイレント喜劇を想起させる演出を施していますね。
個人的にはそれらの遊びが、作品の本質に合っていたかは微妙な感じを持ちました。尤も観ていて3っの同時進行の話を強引に組み合わせている感覚を受ける気がするからなのですが、本質的に暗い話である内容を何とかしたい…と思うのは理解出来ますが…。
猫好き…いや、ペットを飼った経験が在り“死”を看取った事のある人ならば共感する事間違い無し。
言葉少なで自分を悟り、愛するペットの思い出に生きる主人公の麻子。
ペットに施す“ある手術”はやがては自分へと跳ね返って来る皮肉。
それでも少しずつ前を向こうとする姿を描く。
作品を通して感じるもう一つの主役は《吉祥寺》の街並みで間違い無いでしよう。それ位魅力的に撮られています。
加瀬亮の見下したキャラクターは賛否両論か?最後には「何故居たのか?」と思ってしまう程。
森三中の3人は好サポート。楳図かずおは目立ちすぎ(笑)
(2008年9月13日シネカノン有楽町2丁目/シアター1)
無価値・三流カテゴリ
多分…観た誰もが予想しない展開。
なんと!
猫は超脇役!
タイトルになっている「グーグー」はほんとどうでもいい存在で…滅多に出て来ない上、ストーリーにはほぼ無関係。
基本、ありきたりでつまらない人間ドラマであり、猫がどうこう関係しない。
猫好きもがっかりな作品。
特にグーグーの名前の意味
あれだけ勿体振って…
どんなすごい意味があり、最後にその意味でまとまるのかと思えば…
good、goodて…
その瞬間DVDを取り出してフリスビーにしたくなる映画です。
2度目の猫は、得ですね
映画「グーグーだって猫である」( 犬童一心監督)から。
小泉今日子さん主演の映画とあって、ちょっと期待して映画館へ。
猫が主役の映画だと思っていたら、そうでもなかった。(汗)
さて今回選んだ台詞は、一匹目の飼い猫が死んで落ち込んで・・
やっとの思いで、二匹目の猫を飼うことに決めた時、
誰かの台詞、だと言っていたが、紹介していた。
フレーズとしては、もうちょっと長い。
「2度目の猫は、得ですね。死んだ猫の分まで大事にされる」
なんとなくわかるような気がしてメモをした。
ただ、我が家の場合、どうだろう?
愛犬、ミニチュアダックスのジェイクは、もうすぐ15年を迎える。
彼がいたおかげで、我が家は長期の家族旅行さえしたことないが、
それ以上の癒しを与えてくれていると思っている。
最近、ちょっとボケてきたり、昼間は寝てばかりいるけれど、
彼がいなくなったら、二匹目の犬を飼う気になれるかどうか・・。
たぶん、無理だなぁ・・。
だから、今回選んだ一言は、とっても気になる。
私だって食べたいのである。
イヌ派ですか?ネコ派ですか?と聞かれたら、
だんぜんイヌ派!さらに限定すると柴!という私には、
ネコ映画が公開されても、実はあまりピンと来ない。。
可愛いとは思うけれど、過去に自分のペット(インコ)が
「食われちまった」経験から、どうもネコがダメなのだ。
いやダメなのはネコじゃない。固定観念に縛られた自分。
なのも分かっている。ネコにはネコの習性があるのだから。
それにここでも描かれたように、仕事に忙しい飼い主に
とってはネコの方が飼いやすいかもしれないな~と思う。
でもそう思って観に行くと、あれ?これってネコ映画??
という感じになるんじゃないかな。。今作は。
確かに「サバ」「グーグー」という可愛いネコ達が登場は
するものの、主人公はあくまで原作者がモデルの麻子さん。
彼女の価値観と半生に彩られたような作品になっている。
だから小泉今日子ファンなら、まったく観て損はない映画。
あ、上野樹理もイイ。上手かった。
ただ、作品としてはどうなのよ?という意見も多そう。
漫画というか…エッセイを読んでいるような、そんな感覚。
その世界観に浸れるならば、OK。ダメなら、NG。かな。
ネコペース(あるのか?そういうの)で観られるか、どうか。
私は良かったんだけど…どちらかといえば癒されるよりも
身につまされるというか…中年女には、ややキビシイ内容。
あの歳であそこまで無知(純情?)な乙女もいるんかいな、
母親も心配だろうな…でも仕事で成功してるからいいのか、
などと余計な心配をしているうちに、婦人科の病気になり、
ネコの世話をだれに託すか、なんていう現実問題が出てくる。
そこまでまったりと観ていたのが、急に生死論に変わるのだ。
まぁ最初から…ネコの生死、に絡む展開ではあった。
少なくともペットの死。を経験していれば、あのシーンは辛い。
もしペットが話せるならば、自分を大切にしてくれた飼い主に
感謝しながら逝くのだと思う。だから飼い主である人間達は
彼らに対して「おくりびと」(映画が違うけど)たるべきだ。
彼らの最期をしっかり受け止め、看取ってあげなければ…。
麻子さんがグーグーに対して語った祈り?に共感して泣けた。
しかし冒頭に出てきたM・フリードマン、
「タモリ倶楽部」の吉祥寺探検か?と勘違いしてしまった。
そして加瀬くんのあの喋り方…(爆)今だに違和感が残る^^;
(あのメンチかつ食べたい!すっごく食べたい!行くしかないか)
全7件を表示