西の魔女が死んだ : 映画評論・批評
2008年6月17日更新
2008年6月21日より恵比寿ガーデンシネマ、シネスイッチ銀座、新宿武蔵野館ほかにてロードショー
ただ日常的な営みを積み重ねることで、生きる力は呼び戻される
これは傷ついた少女の魂が、祖母とのふれあいを通してゆるやかに変容する物語だ。学校に疲れ切った女子中学生が、田舎で暮らす“西の魔女”と呼ばれる英国人祖母のもとで、一夏を過ごす。生きづらさを乗り越える不思議な能力が身につくかもしれないと、少女は半ば信じていたのだろう。しかし、祖母が魔女になるために課したのは、ただ日常的な営みを積み重ねること。それは、しおれた植物を甦らせるのは魔法や超能力ではなく、水分と陽光であることに似ている。早起き、料理、炊事、洗濯、庭仕事。まもなく生を終える女から、これから自分の世界を切り拓こうとする女へと伝えられる智恵。五感をフル稼働させてこそ、生きる力は呼び戻される。つまり魔女とは、人生の達人であり、賢者のことだった。
抑制の効いたカメラアイは、少女と祖母の息遣いを息を潜めて写し取る。それは自主映画の傑作「闇打つ心臓」からリメイク版「8月のクリスマス」に至るまで一貫して、死を意識して生をまさぐり続けてきた長崎俊一作品としてもブレがない。硬派なタッチを貫くことで、過剰ともいえるメルヘンチックな映画美術=ファンタジーを批判的に対象化し、異化効果さえ生み出している。
決して学校的な日常に憔悴した少年少女にだけ向けられたドラマではない。組織の論理に翻弄され、物事を自分で決めることを忘れた大人たちが、健やかな心と身体を取り戻すためにも、魔女の家には立ち寄ってみる価値がある。
(清水節)