ウォーリー : 映画評論・批評
2008年12月2日更新
2008年12月5日より日比谷スカラ座ほかにてロードショー
ゴミだらけのハリウッド映画の中でまばゆい輝きを放つ刺激的な傑作
人類が消え去り、荒れ果てた地球に残されたゴミ処理ロボットのウォーリーが、700年目にして舞い降りた最新鋭の美しきロボットに恋焦がれ、彼女を追って未知なる宇宙へ飛び出した――そんな発端に本編の約半分の時間をかけ、情感豊かに魅せまくる。片言しか喋らないロボットを動きや表情のみで描く技は、ピクサーの表現力の独壇場だ。長い孤独の中で彼は蒐集癖を身につけ、文明の残骸から人間的な温もりを発見しては、情緒を育んできたという設定が妙に切ない。コレクションの中でも重要なのが、ミュージカル映画「ハロー・ドーリー!」のVHSテープ。内気な青年が都会へ繰り出して女の子にキスしたいと願い、夢を叶える歌と踊りを引用し、寡黙なロボットの願望を代弁させる演出には、もう唸るしかない。
最も驚くべきは、宇宙で生き延びていた人類の姿と虚無的な暮らしぶりだ。彼らは、デジタルライフに溺れて居ながらにしてすべてを処理する、メタボで怠惰な現代人の末裔そのもの。爛熟した消費社会こそが世界の終末であるという予言がリアルな警鐘として響き渡り、人類が廃墟の中に捨て去っていた人間性を、ウォーリーの愛と情熱が覚醒させていく展開が素晴らしい。間口の広いボーイ・ミーツ・ガールのラブ&アドべンチャーから、シニカルな風刺で今を射抜く寓話へ。これは、ゴミだらけになった昨今のハリウッド映画の中でまばゆい輝きを放ち、映画の醍醐味を味わわせてくれる刺激的な傑作である。
(清水節)