劇場公開日 2008年9月13日

「神が交響曲の最終楽章まで演奏できるように、私達人間は次の命に引き継いでいかねばならないのです」おくりびと あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0神が交響曲の最終楽章まで演奏できるように、私達人間は次の命に引き継いでいかねばならないのです

2020年6月21日
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鑑賞方法:DVD/BD

確かに納棺師を描いた映画です
ですが、本当のテーマは、人は何の為に産まれ、生きて、死んでいくのか?だと思います
それを納棺師という職業を通して描いているのです

主人公は何故元チェロ奏者なのでしょうか?

昨年2019年、チェロにまつわる大事件がありました
さる世界的自動車会社のCEOが特別背任で逮捕収監され、厳しい条件をつけられた保釈中に、彼はチェロの楽器ケースに潜んで、出国審査をすり抜けて国外脱出をしてのけたのです
つまり、チェロとは人間が隠れることができる程大きなケースが必要な楽器なのです
そう棺桶のように

楽器ケースだけでなく、チェロ自体も棺桶に似ています
木の箱で、中は空洞なのです
そのチェロを名手が奏すれば、美しい調べが流れ出して人の心を打つのです
素人が弓を弾いてみても騒音にしかならないのに

人もまた死ねば魂は天に登ってしまい
魂のない、命のない、がらんどうの肉でできた棺桶です

つまりご遺体は、チェロに似ているということなのです
納棺師という仕事は、ご遺体という楽器を美しく奏して、遺族の心を癒やすという意味において、チェロ奏者とそう違いはないのです

そして友人の母が独りで営む銭湯
あの銭湯は薪を燃やして沸かしているから、湯が柔らかいのだと、常連客が話ます
彼は燃やすことのプロでした
彼は自分は門番だと語りました
みんな門をくぐり抜けていくのを見送ってきたと
自分もまた向こう側に行って彼女とすぐ会えるとも
誰もが例外なく必ずいつかは死ぬのです

だから、劇中のご遺体は老人ばかりでなく、どちらかというとまだ死ぬには早い人が多く映ります
まだ中年の主婦、ヤンキーの女子高生、クリスチャンの家の少年、LGBTの青年
自分の性別を拒否して自由に生きても、死ぬ時には死ぬのです
死からは自由にはなれはしないのです

もちろん、自分の父や母も死ぬのです
そして自分もいつかは死ぬのです
それは何十年も先のことかも知れないし、明日かも知れないのです
妻や、大事なパートナーも死ぬのです
まだ小さな子供も死ぬかも知れない
いずれにせよ何十年も経ては、子供も老人になり死ぬのです

コロナウイルス禍の中ではいつ誰がどうなるかわからないという事がいっそうはっきりしたのです

それでも人の世は続いて来ました
これからも続いていくでしょう
子供が産まれそして死んでいく
それが繰り返される、それだけのことです
コロナウイルス禍だって、それが多少加速したというだけのことです

私達人間はみな神の楽器です
神に奏されて、美しい調べを生きている間、鳴らさなけれないのです
そのために産まれてきて、生きているのです

それをチェロになぞらえていたのです

納棺師とはその最後の演奏を助けてくれる人のことだったのです

父と子、そしてまた父と胎児
命の継承とは、人は生まれて、親となり、老い、そして死んでいく
その輪廻であること
そんな当たり前ことを、普段は忘れています
神が交響曲の最終楽章まで演奏できるように、私達人間は次の命に引き継いでいかねばならないのです

あの石文のように

あき240