アニー・リーボヴィッツ レンズの向こうの人生のレビュー・感想・評価
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彼女しか撮れない写真がある。
映画はアニーの人生をなぞる。
カメラを手しにたこと
その世界に入り込むこと
有名アーティストに信頼されること
レンズとファインダーを繋ぐこと
理想を形にすること
生への実感。
彼女の中のクリエイティブな部分。
シャッターを切る前と後の表情。
彼女にしか出せない構図と色味。
映画を見れば納得するはず。
1980年12月9日(アメリカ時間/日本は8日)
ジョン・レノンとオノ・ヨーコの有名な写真。
こういう写真を演出し撮れる人
撮らせてくれる人は居ない。
写真撮影の数時間後に起こった悲劇。
世界の衝撃を与えた悲劇も写真も今に残る。
それもやっぱり映画の中にある。
※
写真好きとしては、目から鱗(@_@)のような映画でした。
作品自体は、編集者や被写体となった有名人へのインタビューを細かく編集し、アニーの時系列に沿って丁寧につなぎ合わせていて、ストーリー性を感じさせてくれました。
製作時点でのインタビューだけでなく、例えばまだ生きていた頃のジョン・レノンのインタビューやアニーが若かった頃の映像もあり、あちこちから貴重な映像を集めてきたのだとうかがえさせます。
一つの話題になった作品について、撮影当時の被写体へのインタビューも交えることでその作品が生まれるまでのドラマが生き生きと描かれたと思います。
この作品は、アニーにとっていわばメイキング映像のようで、つぎづき出てくる彼女のショットがどのように取られたか。当時のムービー映像と彼女のスチール写真を比べて見ることが出来ました。
映画での映像では、彼女が捉えようとしている被写体はただ普通に人が写っているのに過ぎません。ところが同じ被写体を切り取った彼女の写真は、何かを語る「絵」になっているのです。同じレンズを通した映像なのに、アニーの作品は露光のセンスもありますが、その被写体の人物の魅力的な一瞬を捉えることにおいて天才なのでしょう。そこにシンクロして、被写体の真実を切り取ることができるのは、仏教で言う悟りの境地と同じことなのだと思います。
ある編集者は、彼女の作品を、多いに語りかけてくる一行の詩のようだと例えました。 小地蔵は写真と俳句の両方をたしなみますが、俳句の世界もまるで短い言葉で一瞬の風景を心象として切り取るような感覚で読むものです。
おそらく松尾芭蕉とアニー・リーボヴィッツのふたりには、一瞬の風景を詠むという点で共通点があると思います。
映画作品としては、余りに作品紹介に偏りすぎて、仕事に追われて3児の母としてなかなか子供にもかまって上げられないなど彼女の人生の苦悩と克服については掘り下げが弱かったと思います。
但し写真好きとしては、目から鱗(@_@)のような映画でした。
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