ヒトラーの贋札のレビュー・感想・評価
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ブルガーとサリー
考え方の異なる二人ではあるが、どちらも生きたいという生物としての根源的な欲求と、人として正しく生きるという後天的な欲求の間で揺れ動きます。ブルガーは正しく生きるほうを力説しますが、かといって今すぐ自死するわけでもなく心の中では葛藤があるのでしょう、とても苛立っています。ロボットじゃないんだからあっさり割り切れるわけはなく至極当たり前ですが。
サリーのほうが全てを吞み込んだ上で、生きるほうに舵をきっている感がします。彼の台詞で今日銃殺されるより明日ガス室のほうがいいっていう、あれなんか好きですね。たとえ他者からみて虫ケラみたいな人生でも生きることをあきらめない姿勢、器のでかさを感じます。そうです、生きてるだけでいいんです、それだけでもう奇跡なんだと思います。
もう少し一人ひとりの内面を描けていれば…
金を得るため偽札を造っては売り捌く小悪党サロモン・ソロヴィッチ。
ところが捕まって収容所送りになってみたら意外に面倒見良く情に厚かった。頑固な仲間思いで命を奪われる危険があっても絶対に裏切らない。仲間にも密告しないよう強圧を掛ける。彼はいつでも同胞を助けたい。…どうして?
その差の中ほどが埋まらないので人物像がしっくりこず、共感しようがなかった。
また行い正しき人ブルガーにも感情移入できず。殺されたくない弱者の目線で物語を追ってしまうので、あれは拘りに囚われた自分勝手男だとしか思えない。
一番共感できたのは我が子の死を知って発作的に死のうとしたロセック。
救われて不本意にも生きながらえてしまったが、ドイツが負けて自由を取り戻すその直前で改めて死を選んだ。
愛する子供たちがこの世界から永遠に失われてしまったのなら己の生に意味など無い。
ツィリンスキーにも納得できた。彼は死にたくない一心でブルガーを憎み、彼を庇うサロモンに怒りをぶつける。自分の命を救うためなら告げ口だってする。私だってそうする。
また親衛隊のヘルツォークにも親近感を感じた。飴と鞭で威張りながらもナチスドイツの落ち目は感じ取っていて、愚痴は漏らすし生き延びるため偽のパスポートを造らせもする。偽札はちょろまかして隠す。死に際は並にみっともない。セコさにブレが無い。
そして解放されたサロモンの金の使い方には、いやほんとはもっと強く生きられんでしょあンた、収容所ではポジティブだったでしょ、もうひと頑張りしなよー…とがっかりだった。
偽の大金をばら撒いた挙句娼婦相手に“金は造れる”では人として弱過ぎる。あれだけ仲間のために命を張れる人間だったのに何故急にド派手な虚無をやらなくてはならなかったのか。
収容所から解放されたユダヤ人達の中には、自分たちは大変非道な目にあったのだからと家路を辿る途中で盗み返す行いをする者もあったと読んだことがある(無一文での旅なのだし仕方ない面はある)
人間は振り幅が大きい。また善人と悪人との境ははっきりしたものではなくグラデーションだ。
なのでそのグラデ部分を描いて観る者を掴んでくれる映画が良い映画だと思うのだけれど、その点がヒトラーの贋札は少し弱いと感じてしまった。
正義の迷惑男ブルガーだってもっと魅力ある人物にできたのになあ。彼は勇気ある行いをした本物のヒーローなのだし。
生き延びたいのか、仲間を助けたいのか、反抗したいのか
映画にも登場するブルガーの著書がもとになっているよう。
そのせいかブルガーは贋札作りをサボタージュする、比較的キャラクターがはっきりている。
一方でサリーの芯はどこにあるのか、わからないのが観ていて難しいところだった。
自分が生き延びたいのか、仲間を助けたいのか、反抗したいのか。わからなくて良いのだと思いつつ、もやもやしてしまったのも事実。
違う面からみた収容所
色々考えさせられます。
この主人公は飛びぬけた取りえがあったからうまく助かったが果たして自分だったら生き抜けるだろうか?
贋札仲間に信念に燃えて仲間を危機にさらす者を自分は許せるだろうか?
観ながらこういうやつ、困るなあと思ったり。
正直足手まといの人を最後まで心配できるのか?
敵の将校を憎まずいられるか?
戦争後にその贋札を…
数え上げたらきりがありません。
極限状態で人間はどう行動するのか。
その中でもこの映画は変わった切り口から描いたもので、収容所の中でも優遇されてた者たちですから甘いと感じる方もいるかもしれないです。
最後がややあっさりとしているのがちょっと残念
ナチスに捕らわれの身となったユダヤ人収容所での“裏『ホテル・ルワンダ』”
贋札作りのプロである主人公が収容所で贋札作りを命じられる。彼がナチの隊長にこびへつらいながら、自分の身と株)ヤの命を守る為に必死になる内容。
中には資本主義者もいるために《犯罪者》と罵られ、ナチに協力するのを拒む者には、「今日銃殺されるよりも明日ガス室を選ぶ」と諭す。
せっかく貰った大隊長との取引の後で、主人公は元々優秀な画家だった事から、必死になって庇って来た後輩との悲劇の直後の演出は見事でした。
塀の外で繰り広げられていた、やせ細った“靴のテスト隊”が初めてフカフカのベッドと、美しい音楽に触れた時の何とも言えない表情が胸をうちます。
ラストで主人公の男が、昔を思い出して自虐的な行動に出るのですが、ややあっさりした印象になっているのが少し残念なところでした。
(2008年1月22日 日比谷シャンテ・シネ1)
たまたま被害者になったといえども、彼は本当は最初から最後まで犯罪者
総合:65点
ストーリー: 65
キャスト: 70
演出: 75
ビジュアル: 70
音楽: 65
ナチによるユダヤ人虐殺は映画でも何度も取り上げられた主題だが、今回はナチが一方的な悪役とはならない。ユダヤ人たちは自分の命と引き換えにナチの偽札作りに協力するかどうかという選択を迫られるからである。
精巧な偽札を大量に流通させることは、国家の信用を失墜させ経済を破壊する重犯罪である。隣で他のユダヤ人たちが殺されているぎりぎりの状況で、自分人たちの利益をとるか命を賭けて抵抗するかというジレンマに陥る。主人公は自らの命や仲間たちのために綱渡り的な生活を耐えていく。
面白いのは敗戦濃厚なドイツで、収容所がユダヤ人の反乱によって解放されたときの場面。好待遇を得て身体的には健康な偽札作りのメンバーたちと比較して、反乱をした普通の待遇のユダヤ人たちは見るからにやせ細っていて貧相で汚くて、一目で収容所に入れられていたことがわかる。だから反乱したユダヤ人が彼らを見ても、ナチのドイツ兵がユダヤ人の服を着て変装し逃げようとしているとしか思えず彼らを銃撃しようとするのである。
しかしそもそも主人公はナチに捕まる前から犯罪者であった。そして最後にカジノで本物とイングランド銀行に認められた偽金を使い簡単にすってしまうなど、くだらない行動をとる。もうナチに協力しなくても命の心配はないのに、いかに戦争が終わった後とはいえ自ら偽札を流通させるという重犯罪をすすんでやってしまう。
たまたま不幸な時期に不幸な場所にいたユダヤ人だったために不幸な経験をしてしまった被害者になったが、結局彼の本質は、たとえナチに捕まっていなくてもただの犯罪者にすぎないのだとわかりました。解放されるまでのあの収容所の中の命のやり取りをする生活やジレンマの中の決断は一体何だったのだろうか。そんなわけで途中までは良かったのに、最後はあまり納得ができませんでした。
若い世代に伝える戦争エンターテインメント
物語はコンチネンタル・タンゴの調べと共に、モンテカルロの豪華カジノから始まる。華やかでエレガントな幕開けだ。しかし、その華やかさはユダヤ人強制収容所に舞台を移すことで、夢のごとく消え去る。
本作は、紙幣偽造によって、敵国の経済を混乱に貶めるために、ナチが行った「ベルンハルト作戦」に携わったユダヤ人収容者の実話。この作戦のために、一般のユダヤ人強制収容所から、贋作師、印刷工を始めとする技術者たちが集められ、優遇された収容所生活を送りながら、命がけで贋札を作る物語だ。強制収容所ものは多数作られているが、紙幣偽造を扱った点がまず異色だ。戦争は大量殺戮だけでなく、このよう大規模な犯罪も付随していた事実にまず衝撃を受ける。集められた技術者は、清潔なベッドと十分な食事、収容所内に流れる音楽や卓球台などの娯楽が与えられる。しかし、板塀一枚隔てた隣では、他のユダヤ人が毎日殺されている。偽造を続ける限り命は助かる、しかしそれによって、戦争は長びき、自分の家族が知らない所で殺されていく。命をとるか、正義をとるか…。
ハンディーカメラでドキュメンタリータッチに捉えた映像。閉塞的な暗く冷たい画面とは対照に、バックには、オペラのアリアなどの流麗な音楽。この音楽が重苦しくなりがちな物語をエレガントなエンターテインメント作品としている。これは決して軽薄な措置ではなく、原作者のブルガー氏が使命としている「悲惨な戦争体験を若い世代に伝える」手段として必要不可欠なことだと思う。戦争経験のない若い世代は、とかく辛い現実に目をそむけたがる。苦しみに慣れない平和世代の弱い心は誰も責められない。過酷すぎる事実を、オブラートに包むことで、主人公のやりきれなさ、切なさが強調できた。「生き残った」主人公が、夜の砂浜でタンゴを踊るラストシーンの美しさの裏に、歴史的悲劇が深く刻まれていることは、決して忘れることはできない。
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