ウルヴァリン:X-MEN ZERO : 映画評論・批評
2009年9月8日更新
2009年9月11日よりTOHOシネマズ日劇ほかにてロードショー
ウルヴァリンの生涯は、彼の爪の圧倒的な美の背景でしかない
ウルヴァリンの真髄は、あのナイフのような爪にある。ときとして彼が意図しないときにすら出現し、世界を切り裂かずにはいられない長く鋭いあの爪は、彼の誇りだが、同時に背負わなくてはならない業でもある。この爪の一瞬の閃きで、観客をいかに陶酔させられるか。ウルヴァリンを映像化する際に、まず意識しなくてはならないのはこの点だ。ウルヴァリンの生涯は、この爪の圧倒的な美の背景でしかない。
だが、「X-MEN」シリーズでウルヴァリンを演じて本作を発案し、製作にも参加したヒュー・ジャックマンの興味は、ウルヴァリンの爪に宿る美学よりも、彼の生涯の物語にあったようだ。父殺し、兄弟の対立、恋人との死別といった神話的逸話に溢れたウルヴァリンの半生が、「ダークナイト」以降のアメコミ映画製作者たちの多くが熱心に試みる“大人の観客向けの話法”で語られていく。だが「ダークナイト」は、ジョーカーを演じた俳優による、混沌を愛するあのキャラクターの真髄の体現があってこそ。そこを見誤ってはいけない。
アメコミ・ヒーローの真髄は、常にその特異な容姿にある。異形であることが彼らの美であり力なのだ。彼らの映画はすべて、現実にはありえない彼ら独自の美が、観客を圧倒するところから始まらなくてはならない。
(平沢薫)