イントゥ・ザ・ワイルドのレビュー・感想・評価
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なんちゃって(笑
ザ・ロードムービー。旅映画。でもいわゆるただの青春ロードムービーとは、少し趣が違ったんだよな〜。
旅には2種類ありますよね。計画的な旅と、無計画な旅。 計画的な旅もそりゃ素敵だけど、自由気ままな無計画の旅にはやっぱり別格の良さがある。ロードムービーにはそんな無計画な青春野郎が溢れています。まぁどいつもこいつも「自分探しの旅」をしているんだよな。旅先でいろんなものを観て、いろんな人に出会い、新たな価値観を得、自分を昇華する、昇華した気になる。
大好きなジャンルなんだ、この映画もそんな自分探しヤローの映画だと思ったんだ。
でも違った。この映画の主人公、実在したクリストファー・マッカンドレスは違った。自分探しではない、むしろ明確にあるべき自分の姿を持っていたんだ。この旅は、あるべき自分になる為の旅、無計画だけど、計画的な旅。「全てを捨てて、荒野で本当の自由を得て生きる」という目標のある旅だった。
ちょっと話を逸らすけどさ、なんで無計画な旅に、自分探しの旅に人は惹かれるんだと思う?僕はこの映画の中でクリストファー・マッカンドレスが言った言葉が全てだと思ったんだ。それが次の言葉。
「自由気ままな旅は気分を高揚させる。どこか”逃避”を思わせるからだ。」
うん、そうなんだよ正に。”逃避”この言葉に尽きると思う。束縛された生活、それは学校、それは社会、それらからの逃避を感じる為の自由な旅。結局現実から逃げてるだけじゃねーか・・・フンッ!
でもね、逃避と感じられるのは悪いことじゃぁないと僕は思う。自分探しの旅、自由な旅、自由自由と銘打っても、旅ってのはいつかは帰らなきゃいけないモノ、それがルールだ。自由といいつつ時間に縛られてたりするんだよね。そんなところから”逃避”って感情が湧いてくるんだと思う。帰らなきゃいけないってことが解っているんだよね。
クリストファー・マッカンドレスはそんな旅のルールを破ってしまった。旅から帰ることは無く、旅の終着点で人生をも終着させてしまった。彼の旅は”逃避”ではなく本当の意味での”旅立ち”だったんだ。その旅の中で彼はどんなことを体験し、何を思ったのか、最後に見つけたものは何だったのか・・・ぜひご覧あれ。
クリストファー・マッカンドレスが旅立ったのは大学卒業したての22歳。
タメだよ、まさにこれからの僕らだ。
僕は彼に共感するところもあれ、尊敬を抱くところもある。
けど彼と同じ道にはいかないぜ。
彼は愛よりも金銭よりも信心よりも名声よりも公平さよりも心理を求めて荒野へ行った。
じゃぁ僕は彼がいらないと思ったモノを求めて社会へ行くぜ。
平凡な道だと言うなかれ。
その道だって荒野とはまた違う厳しさが待ち受けてんだ。
それが僕のイントゥ・ザ・ワイルド!!
荒野で感じた温もり。
どうしてこの話をS・ペン氏が映画化したのかを考えた。
確かに素晴らしい出来ではあるけれど、非常に地味。
ハリウッドが賛美しそうな映画とは一線を画した感じ。
実話を売りにしてはいるが、普通の一青年の話である。
鑑賞中におのずと答えが見えてきた。
これは昔の彼そのものというか、とても重なって見える。
彼が若いころにハリウッドから問題児扱いされた時の、
あのムチャクチャやったるで!的な暴走意識が窺える。
金持ち裕福青年という筋書きもおんなじ。
だからどことなく廃れておらず(爆)人間的にも綺麗だ^^;
そして何より感じたのは、自分が歳をとったこと…。
悲しいことに人間は歳をとると色々なことが見えてくる。
ここに登場する、青年が出逢い別れていく大人たちが、
みんな過去に同じことを考え、背負い、立ち向かい、
乗り越えてきた過ち(と言いたくはないけれど?)を
この青年に見ていることが、どう見ても明らかなのだ。
そして私も彼らと同じように、この主人公を見ている。
彼が考える未来。今持ち合わせている社会への絶望。
荒野へ行ったからって消化できるものではないけれど、
彼がひとり旅に出たこと自体は有意義だったと思える。
ホント、人間的に真面目でとってもいい子なのだ。
だから、一体なにが彼をこの旅に向かわせる原因に
なったのかが、最初はぜんぜん見えてこなかった。
金持ち坊ちゃまの我儘か?世間知らずの悪あがきか?
…原因は、両親の不和だった。
でもねー。(ふと中年意識が出る)
ここで描かれた夫婦の不和なんて、どの家にもあるぞ。
(ちょっと特殊な家族形態ではあったけど)
こう言っちゃなんだけど、やっぱりこの子は繊細だな。
良い子をひたすら演じ、機会を窺っていたわけだから…。
そんな彼が旅に出て、様々な触れ合いを通じて学ぶ。
息子を見失った両親は、心ひとつにして息子を待つ。
結果が幸いならばこの家族は、のちにまた再会を果たし、
ひと回りもふた回りも大きくなった息子に歓喜するはず。
もちろん、そうあって欲しかったのだが。。
自然界(しかも荒野)をナメるな。ってこういうことだ。
悪ガキを卒業し、家族を作り、映画人として社会に
貢献するようになった今のペン氏が、いちばん興味を
持つであろうテーマだと、やっぱり思える作品だった。
青年を見守ろうとする視線の先に
父なるペン氏の眼差しが感じられる描き方が素晴らしい。
E・ハーシュの演技力に万歳。
(社会の荒波だって荒野だよ。ナメてかかると危険だよ。)
俗世間に対する反発と無謀な旅
若者が俗世間の愚かしさに反発するために旅に出ることは素晴らしいことだ。
理想の人生を追求したり、新しい価値観を模索することは若者の特権である。
しかし彼の旅ははあまりにも無謀のように思える。
確かに冒険と無謀は紙一重かも知れない。
しかし旅先での出会う暖かい人たちとの交流は結局何だったのか?
若さゆえと言ってしまえばそれまでだが、愚かな自分の無謀さに気付くことはない。
いや、気付いてないいうよりも受け入れないと言った方が正しい。
ノーマンズランドを目指した冒険の旅の代償はあまりにもせつない。
孤独とは本来否応なしに訪れるものであって、愛するものではない。
ラストに青年もそれを悟るのだが、時すでに遅し。
人生を考えるうえでの節目にいる若い人には是非見てもらいたい作品だ。
幸福が現実となるのは、それを誰かと分かち合ったときだ。
孤独に、ただ自分の思うままに突き進む青年クリス。
いや、アレックス-スーパートランプ。
彼が捨てたのは名前、お金、そして家族。
切り捨てたのが過去の自分だけで済むのならまだ良い。でもそれに付属して捨てられた家族にはただ不安と悲しみが残るだけだ。(しかも何の説明もしないで旅に出るなんて!)そんなことを思っていたから、「私にも連絡がないなんて」と彼の味方であったはずなのにやはり切り捨てられてしまった妹役のナレーションは効果的でした。
自分はクリスが旅にでた年齢と同じ22歳。
そのぶん共感できることがおおく、幸福ってなんだ?と考えさせられました。
そしてMr,happyことウェイン、超かっこいい。
主人公の「身勝手」さが際立ってしまった
正直にいえば、自分の力を過信した青年が自然を舐めてかかって自滅する。それだけのことである。彼は準備も知恵も足りなかった。映画の中では触れられてなかったが、確か増量した川を無理に渡ろうとして足を痛めてしまったんじゃなかったっけ?自然の中で生活することにおいて「なんとかなる」は通用しない。「なんとかする」には知恵がいる。そこを表現するシーンとしてヘラジカかなにかを仕留めるのだが、解体するのに手間取り、まったく食べることが出来ずに腐らせるシーンがある。彼は「仕留めなければよかった」と後悔する。もしイヌイットや猟師としばらく生活をともにして狩猟経験を積んでいればこんなことはなかっただろう。また保存方法もわかっただろう。だが彼はただ狩猟経験者から話を聞きメモをとるだけにした。こういうシーンが続き、なんだか私は彼が死ぬべくして死んだように思え、そんなんじゃ死んで当然、と映像化された彼には同情も感情移入すらできなかった。それこそ自己責任だ、と冷酷な感情すらわいた。
原作を読んだときにはあまりそういう感じがしなかったのは、原作はあくまでも「通過儀礼」として「旅」をとらえていたからだと思う。原作には筆者クラクワーの似たような体験(彼の場合は冬山に単身登攀する)が描かれており、自分も彼(クリス・マッカンドレス)のようになっていたかもしれない、それをわけたのは「経験」と「運」であるとしていた。クラクワーの「共感」と「冷徹な視点」が原作「荒野へ」に深みと諦観を与えていた。クリスは力の限り挑戦し、そして敗れた。結果は非常に残念だが、それでも精一杯やったのだ、と。
そういった原作にはあった「自分と彼の違いは何処なんだ?」という問題意識がこの映画にはない。すっぱりと抜け落ちている。そのため(「帰ってくる」ことを前提とした)通過儀礼としての側面が消え、(死者に対してはかなり語弊があることを承知で用いるが)「良き敗者」としての主人公があぶりだされることによって感じる、締め付けられるような自分もそういう道を通ってきたのだという「懐かしさ」「郷愁」はなくなり、好き勝手にやって勝手に死んだという印象が浮かび上がってしまっている。昔ある精神科医から聞いた「ドラゴンボールみたいにどこかに行けば強くなれるとか変われるとか思うやつが多すぎる」という話を思い出した。「自分探しの旅」はこの側面が強いと私は思う。通過儀礼はそれとは違い、オデュッセウスのように「発見」するためあるいは区切りをつけるために旅立ち、やがて「帰ってくる」。帰ることを前提にした通過儀礼としての旅と自分探しの旅はテーゼそのものがまったく違う。原作と映画の印象が私の中でかなり異なってしまったのも、ここに由来するのではないだろうか。
冷徹な分析のない「無邪気な共感」はかえって主人公の無謀さを浮き立たせ、共感をそぐことになったのは皮肉である。製作者側の「視点」が手放しの礼賛と「自分探しの旅」への共感(「通過儀礼」としてのではない)にあるため、主人公の「身勝手」さが際立ってしまった。アカデミー賞を取れなかった原因はそこにあるのではないだろうか。
映像的技巧が凝らしてあり見所は多いし、つまらねえ感傷を粗く断ち切るような生ギターのブルージーな音楽とか、いいところがいろいろあるのに非常に残念。主眼とするところを掛け違うだけでこんなにもずれた話になるんかねえ。
何もかも捨て、温もりを感じ、実感する。
アラスカへの旅路で出会った人々との触れ合いに、
頭デッカチの青年なら知っていたであろう至極簡単で、
当たり前の辿り着いた結論に、実感し、体感し、
噛み締めたであろう青年のラストに、結末は分かって観てるはずなのに、
魂が揺さぶられる。
裕福な家庭で育ち将来を約束された青年が、
自由を求める旅路で目指したのは、
美しくも厳しい孤独な大地アラスカであった。
僕は俳優としてのショーン・ペンが好きであるが、
嫌いだとしてもこの監督作品は多くの人に観て欲しい。
僕はショーン・ペンの監督作は初めてでしょうか。長編は初めてか。
監督としてのショーン・ペンもこの作品を観て、分かっている結末なのに、
そこへ到る人間ドラマとしてのストーリーテリングの巧さに、
僕は好きになってしまった。
当然原作の 荒野へ は未読であります。
その 荒野へ を2時間28分という長さで映画化しているが、
アラスカで悲劇の結末を遂げた青年の旅の様子と、その真実に迫るが、
監督の考える真実に迫るが、長さを全く感じさせないのは、
アラスカの壮大な光景が青年の想いとかぶさり、情景描写の美しいこと、
そして、切ないことと言ったら、魅入ってしまい、
惹き込まれてしまっていたからか。
1990年、裕福そうな家庭で育ち、優秀な成績で大学を卒業し、
卒業祝いに新車をプレゼントしようとした両親の申し出を断り、
有望視されていた将来を捨てたクリスは、
何も家族に告げることはなく中古のダットサンで旅に出る。
しかし、それはオボッチャマの生ぬるいような自分探しの旅などではなく、
徹底していた。
慈善団体に貯金は全額寄付をし、IDもクレジットカードも切り刻み、
しばらくの間は両親に気付かれないように用意周到で、
途中では乗っていた車も捨て、持っていた現金も焼き、
名前すら捨ててまさに体ひとつで
相当な覚悟を持っての彼の求める真実への旅。
そして全てを捨てて2年の放浪生活の末に、真実を求め、自由を求め、
幸福に憧れ、アメリカ中西部を放浪して、多くの出会いを経験し、
1992年に目的地としていたアラスカに辿り着き、
辿り着いたアラスカで早すぎる結末を迎える。
それは多くの人々の関心を集めて、
アメリカでは大々的に報道されたらしい。
ショーン・ペンも原作を読み刺激を大いに受けたようで、
なんとか映画化しようと10年の歳月を費やし、
自ら脚本を手掛けて出来上がった作品であり、
監督の想いが込められている作品に仕上がっており、
ビシビシと伝わってくる。
構成としてはアラスカでのシーンと、
出発地点となる2年前の大学卒業シーンから、放浪の過程を交差させて、
徐々にアラスカに到る過程が見えてきます。
モノが溢れている現代。情報が溢れている現代。
そんな社会へ違和感を持ち、序盤では薄々としか分からなかった
明かされていく両親の姿に、そんな両親への反発もあったであろう。
成績も優秀で、本からの流用で語ることが多かった青年には、
おそらく頭では分かっていたであろう。
しかし、彼にはそれをうまく処理することが、
うまく受け流すようなことは出来なかったのでしょう。
だからこそ、もっと大切なものがあるはずと、アラスカの荒野へ向かい、
孤独に向き合おうとした。
そのアラスカへ辿り着くまでの出会いは、
孤独な彼に大きな意味をもたらしたであろう。
厳しい現実を体験しながらも、
アリゾナ、カリフォルニア、サウスダコタと移動を続け、
ヒッピーのカップルと出会い、陽気で頼もしい兄貴のような人物と出会い、
ヒッピーが集まるコミューンでは彼のことを想ってくれる少女に出会い、
そして、年の差はあっても友人のような仲になった老人と出会い、
それでも、色々な生き方の人々と出会って、
温もりを感じたであろうけども、アラスカを目指した彼は、
多くの出会いによって、辿り着いた真実に、更に実感したであろう。
彼は闘い続けた。反発し続けた。
生きること、死ぬことへ真摯に向かい合った。
誰もが出来ることではない。だからこそ、この作品で体感して欲しい。
映し出される映像は、美しいだけでなく険しさを見せ、厳しさを見せ、
絶望を見せる。そして、観客に問いかけているようでもある。
両親役のマーシャ・ゲイ・ハーデンとウィリアム・ハートの変貌振りも、
要所で語りを担当する妹役のジェナ・マローンも、
ヒッピーのキャサリン・キーナーの母親のような演技も、
陽気な兄貴のヴィンス・ヴォーンも、
想いを寄せる少女のクリステン・スチュワートも、
多くない出演時間ながらよさを見せていたが、
やはり友人のような関係になる、
老人を演じたハル・ホルブルックは素晴らしかった。
崖を登る姿に、見送る姿に、泣かされた。
主演のエミール・ハーシュは僕の中では、
スピード・レーサーでの印象しかないので、この作品を観て、
減量が凄かっただけでなく、役者魂に溢れた素晴らしさを見せていて、
青年の繊細で壊れやすそうな心を表現している。
ラストシーンでの彼の瞳は忘れられない。
Happiness only real when ○○○○○○
あなたは○に何を入れるでしょうか。
哲学的自分探しの旅
2日新宿厚生年金にて試写会。ショーン・ペンが監督ということで、期待して見に行きました。主役を演じたエミリオが素晴らしい。ナイーブで青年の心情を表現するとともに、原野で極限状態に追い込まれた状態、特にガリガリに衰えた肉体など、体当たりの演技を行っており、役に賭ける意気込みが観客にはよく伝わります。但し、私にはこの主人公の青年の心情、家族や世間への屈折した気持ちが理解できず、スコア的には少し減点となりました。悩み多き人生を歩む若者にオススメしたいと思います。
荒野へ…
2時間20分というかなりの長編。
長いなとは感じたものの、広大な自然描写に包まれて爽やかな印象はある。
いわゆる自分探しの旅へ出る主人公、アラスカを目指す。
その途中に訪れる出会いと別れ、自然を生きることが描かれていく。
原作は未読で作品を観た。
時間軸がいったりきたりしてちょっとややこしいが、許容範囲。
しかし2時間20分引っ張っといて結末はああなるとは…衝撃的ではあるが、呆気ない気もしなくはない。
終わり方をもうちょっと巧く描いて欲しかった。
しかし、旅の途中の出会いで成長していく主人公を観ていると、自分も何か出来そうに思え勇気を与えてもらった。
2時間20分という長編だが観る価値はあると思う。
あまりにもイタイ!ラストシーンに心響くものが。但し編集面では饒舌気味。
これが実話であるということがまず衝撃を受けた点です。主演のエミール・ハーシュは餓死寸前のガリガリになり、野生の熊に遭遇しても、スルーされるほど真に迫った演技をしていて、なるほどアカデミー賞にノミネートされることはありました。
ただ、全編148分の長篇の中でクリスのヒッチハイクのシーンが長すぎたと思います。まるでドキュメンタリーのようでした。ヒッチハイクのシーンは、ほとんど無言のため、見ている方も退屈になります。
またクリスの放浪のモチベーションとなる親夫妻の不仲。籍を入れない愛人側の子で私生児として生まれてきた経緯から、いかにクリスが親の愛に飢え、押しつけてくる親のほうからの愛情表現に偽善を感じて家を飛び出したのか何度も語られます。
惜しむらくは、父親のDVについてクリス兄妹の台詞で片付けられてしまった点です。クリスの父親がどんなひどい存在であったのか、映像での前振りがあったほうが、観客は無謀なクリスのアラスカ行きをもっと理解できたかも知りません。
さてこの作品が映画通や評論家に高い評価を受けている点として、きわめて明快なメッセージ性があげられます。ただ娯楽映画しか普段見ていない一般の映画ファンには、チト敷居が高い作品でしょう。
何しろクリスは文学や哲学に通じた秀才で、真の自由や幸福と出会うために旅を続けます。ちょっといい彼女から言い寄られても、クリスは旅を続けることを止めませんでした。クリスのプライトニックな部分が理解できないと、何でアラスカに目指しているのかさっぱり共感出来なくてしらけてしまうことでしょう。
ただ最近は日本でもDVとか離婚とか家庭に問題を抱えながら成人せざるを得なかった人たちが増えてきています。そういうトラウマを抱えている人にとっては、ハートが締め付けられるくらい主人公に感情移入してしまう作品でしょう。そういう人は、ハンカチ持参で一人でじっくり劇場鑑賞をお勧めします。
それにしても真の自由や幸福と出会うために旅を続けた結果、孤独を肌身でむ感じ、ゃっと幸福とは人がつながっていることなんだと悟る過程は、なんと遠回りでしょう。なんと反面教師的な作品でしょう。
対人関係恐怖症でもウツの人でも、本当に人がいない環境に閉じ込められたら、人とのふれあいを渇望することでしょう。孤独を描くことで、痛烈に愛の実在と愛の根源である信仰の大切さを表現している作品です。
しかもクリスは旅の途中でも、ある程度わかっていたのです。他人には殻から出ろと説教するくらいでしたから。
ただとことん納得できなくて、踏ん切りをつけようとアラスカ行きにこだわったのではないでしょうか。
クリスに足りなかった点は、育ててもらった感謝と親の立場から自分を見つめることでした。常に自分の五感で捉えることが絶対と考えていたようです。もう少し素直になれば、親の懐に飛び込むことが出来たでしょう。
あまりにもイタイ!そのラストシーンと共に、小地蔵としては作品の世界観を認めたくないと思うのであります。
文明の進歩を否定するのはかっこいいでしょう。
でも文明の進歩は確実に餓死の危険性を亡くしてきました。そういう文明生活からの逃亡は、原始人と同じような餓死の危険性をはらんでおります。作品の登場するヒッピーたちが何の生活の心配もなく、気ままに各地を車で旅をし続けていられるだけのゆとりを文明の進歩は作ってきました。
それは別の角度から見れば、目に見えない人々の営みの繋がりです。現代の中で、孤独を感じる人は多いでしょうけれど、現実に生活が成り立っている背景には、多くの人が自分のために影で汗を流しているから、ピッピーでも飢えることはありません。
その様な飢えなくてすむシステムが整備されて、多くの人が助け合って生きているところに大きな愛を感じずにはいられません。きっと教会を嫌いと語ったクリスに信仰の大切さを語りかけた人たちは、このことをクリスに伝えたかったのでしょう。
クリスもそうだし、クリスの両親も、失ってみなければ人はつながっているからこそ幸福なんだ、諸法無我なんだということに納得できなかったのでしょうか?
実話に基づくアメリカ版「北の国から」(だってアラスカですもの。)
この映画、きわめて評判がよくて、見たかったのですが、正直、予備知識があまりない状態で見たので、ちょっと戸惑いました。
簡単なあらすじは、大学卒業したばかりの若者が、世の中に悲観してヒッチハイクの旅に出て最終的にアラスカを目指すのですが、途中、人の温かさを知り・・・・、という内容のロードムービーです。ラストまで、甘やかされたアメリカの青年のイメージで見ていたので感情移入できなかったのですが、ラストが・・・ちょっと唖然。これ、結構有名な話らしく、友人はラストを知っていたようで「え?知らなかったの?」みたいに言われて・・・・。ちょっとラストがショックで、しばらく映画の評価ができずにいました。何故にこの映画、みんな評価しているの???っていう・・・。
1日たってわかったのは、さわやかな気持ちであらゆるシーンを思い出せるということです。彼のアラスカまでの道のりでの人との出会いを通してアメリカ人の人情と素晴らしい自然を描きたかったのではないかと、ショーン・ペンは。特にアメリカの自然の描写が素晴らしく、そういう意味ではどこかのサイトにもありましたが、撮影賞向きなのかもしれませんね。残念ながら、万人にはおすすめしませんけど、いい映画には違いないと思います。
全90件中、81~90件目を表示