「二面性の演出とジョーカーの存在感。」ダークナイト すっかんさんの映画レビュー(感想・評価)
二面性の演出とジョーカーの存在感。
◯作品全体
『バットマン ビギンズ』でも主人公・ブルースのセレブな富豪とバットマンという二面性が描かれていたけれど、表も裏もない「カオス」を持つジョーカーによって二面性の苦悩がさらに強く描き出されていた。
ジョーカーに対峙する陣営は誰しもが複数の顔を持っている。「光の騎士」であり続けようとしたハービーも公の「光の騎士」という立場と、レイチェルだけの騎士という感情によってその二面性が如実に現れる。ジェームズも警察側の中心人物として描かれるが、ラストシーンでは父親としてのジェームズが前に出る。
レイチェルの存在は特に面白い二面性を作り出していた。レイチェルは「ダークナイト」でなくなるブルースを待っている一方で、その日が来ないことを悟ってハービーを伴侶としようとしている。そのことにより、全ての真実を知るはずの主人公が「唯一知らない真実」を作り出す。
それぞれの二面性は等身大の登場人物たちを描くのにあたってとても大事な役割をしていたし、純粋なカオスに立ち向かう物語としての幅を広げるもので印象に残ったけれど、そのさらに上を行く強烈さは、やはりジョーカーの存在だ。
寸分の隙も見せない一貫したカオスと、ジョーカー役のヒース・レジャーの不気味な芝居が素晴らしい。いや、隙という意味ではジョーカー自らが作る場面もあった。自身の過去を語ったり、バットマンに固執する動きは隙ではある。隙ではあるのだが、その軸にはカオスがしっかりと乗っかっていて、その隙によってジョーカーの術中にハマってしまうような物語の展開だった。中盤でジョーカーが捕まってしまうのもそうだし、レイチェルとハービーへの罠に奔走させるためにバットマンと対峙するビルのシーンもそうだ。
ヒース・レジャーの芝居も素晴らしい。銃を取り出すにもわざと余計な動きを入れたり、正義側を圧倒する場面でも視点が定まらずに不安定な印象を作る。隙だらけのようでいて、必ず意図を仕込んでいるような芝居だった。
こうした隙は、変幻自在なカオスを動かす動力源に「遊び」を作っているかのようだった。計算尽くされた隙として描写されていて、その描写が鮮やかだった。
個人的にノーラン監督作品の好きな要素である「物語の最後の最後まで終着点が定まらない」がジョーカーによって作られていたのも嬉しい。二面性の演出含め、ノーラン監督の良さがバットマンの世界で強く輝く作品だった。
◯カメラワークとか
・廃ビルのアクションでバットマンがビル全体を立体的に認識する演出があった。ああいうアクションの幅の広さはノーラン監督っぽいアイデアだなあと感じた。
◯その他
・美女連れてパーティ来る、みたいなザ・セレブな演出がどうしても子どもっぽくて笑ってしまう。
・トゥーフェイスが本当にトゥーフェイスになっちゃう展開は、二面性を持つ代償、みたいな感じに見えた。それによってその二面を背負うことの重たさや背負い続けることの強さを訴えているような。