「所詮はフィクション中の善悪」ダークナイト parsifalさんの映画レビュー(感想・評価)
所詮はフィクション中の善悪
一度、TV放映で途中からやっていたのを見て以来の視聴。随分と絶賛する人が多いので、どんなものかなと。
鑑賞後の第一声は、「所詮はフィクション中の善悪」このようなヒーロー物では、フィクションとリアル感の匙加減、混ぜ加減で娯楽作品なのか、学びや気づきがある映画なのかが変わってくる。ただ、人の中に住む、善と悪を掘り下げるとしたら、リアル感を多めに描かないと掘り下げることにならない。
しかし、バットマンだけでなく、ジョーカーの存在もあり得ない悪人として描かれている。実質、彼は一人で行動しているかのよう。金で人間を操るにしては、札束の山を半分焼いているから考えにくい。強力な信奉者がいるわけでもない。特別な兵器や乗り物を持っているわけでもない。それなのに、一人で警察や悪党を買収し、様々な機器や乗り物を操るバットマンに対抗することができるはずがない。悪知恵だけで勝てるはずがないのだ。何でも可能な存在になっているから、リアルに善と悪との対立について考えても、バカバカしいと感じた。どんな人にも悪の感情があるのは、当たり前のこと。今更騒ぎ立てることでない。
バットマンがジョーカーや悪者と対峙するとき、あれほどの財力と科学力があるのなら、麻酔銃のようなものを相手に撃てばいいだけ。殴るなんて、むしろ悪い行為でこだわる必要がない。もっと現実的に考えれば、悪いことをした時にやり合うのではなく、尾行等でアジトを突き止め、警察にリークすればいい。
どんな高潔な人間も悪に手を染まることがあること、バットマンにルールを破らせ素顔を暴くことを、目的に行動するジョーカー。映画では、デント検事がレイチェルを失って、左半分の顔の皮膚と肉を失って、ダークサイドに陥っていた。しかし、普通に考えて、復讐をする人間もいれば、復讐をしない人間もいる。人それぞれだ。結論づけられない。
むしろ自分が、この映画で問題と思ったのは、金の力や脅しに屈して一般の人たちが悪に染まっていることだ。そして、それが街全体に蔓延している描き方だ。その状態を、まるでバットマンの所為にしていることだ。自分たちの中の悪を放っておいて、社会が悪いから、ヒーローが助けてくれないから、悪をやってもいいのだという描き方の方が問題だ。
実際、アメリカでは、主要都市で、950ドル以下の万引き・窃盗は罪に問われないという法が施行されている所があるらしい。それで、略奪行為が絶えないということだ。悪をのさばらせてもいいと意図する権力の方が問題だ。
映画の恐ろしいところは、次に来る未来について、潜在意識に働きかけて、次はこうなるよって洗脳する効果があることだ。暗にどんな人間も悪になり得る、正義は悪に勝てないというイメージが刷り込まれることが恐ろしいと自分は思っている。
娯楽映画なんで、そこまで本気に否定しなくても良いと思いますよ。力入り過ぎで疲れませんか?貴方のいう通りの展開にしたら駄作になります。とは言え、ここまで視聴者を本気にさせる力があるこの映画の凄さですよね。大好きな作品です。