「現実だと錯覚するほど面白い。知的で胸をえぐられる。」第9地区 Nux/ニュークス 👑さんの映画レビュー(感想・評価)
現実だと錯覚するほど面白い。知的で胸をえぐられる。
今作はニールブロムカンプが監督、脚本を担当した初めての長編映画である。
初めてにして素晴らしい出来になった。
今作にはポイントや面白いところがたくさん隠されていたりする。
それを個別に自分なりにも解説していく。
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・驚愕のVFX
今作は視覚効果賞にノミネートされている。主にエイリアンと飛行物体を、VFXで作っている。だが、今作はドキュメンタリー風に始まるため、手持ちカメラのくすんだ色味の映像にする必要があった。くすんだ映像に視覚効果を加えるのはとても大変だったことだろう。だが、そのおかげでとてつもないリアリティを演出できているのだ。
・南アフリカでの「外国人嫌悪」
実際の南アフリカでは、スラム住宅地も多く、良い暮らしを求める人がたくさんいる。そこで、情勢が不安定なジンバブエから難民が良い暮らしを求めて南アフリカへと来たのだ。だが、南アフリカの人々も同じく良い暮らしを求めている。だから乱入してきたジンバブエ人に「外国人嫌悪」を抱いた。
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今作でも南アフリカの人々は同じ状況にあり、良い暮らしを求めていたところ、突如、飛行物体が現れ、エイリアンたちが住み着くようになった。
だから南アフリカの人々はエイリアンに外国人嫌悪を抱いたのだ。
つまり、今作のエイリアンが象徴するのは、ジンバブエやソウェトから来た難民なのだ。
・ヴィカスの見た目の心情の変化
今作の主人公であるヴィカスは、真面目で規則にこだわる役人気質である。だが、エイリアンに対しては受動的な差別主義者でもある。そんなふうに見ていたエイリアンだったが、ヴィカスの見た目がエイリアンへと変貌していく過程で、心情も大きく変化する。だから、ヴィカスの見た目の変化は心情の変化を反映していると言ってもいい。
・歴史的観点からも描く「隔離」
あるシーンで、MNUの装甲車が第9地区に入っていくシーンがあるが、そこはガザ地区を思わせる壁で囲まれた地帯だ。明らかに人間とエイリアンが区別されているのがわかる。歴史的には、人種の違いなどで「人種隔離(アパルトヘイト)」という政策が行われてきた。だがアフリカでは若干まだ残っているのだという。このように明らかに区別して描くことで、「隔離」という印象を強くさせるのだ。
それと共に、第9地区にあるエイリアンが住んでいる住居は、とてもボロボロで不衛生な様子が伝わって来るが、これも「隔離」の印象を強くさせるためである。
何より撮影で使われたボロボロの住居は、実際に人が住んでいた住居であるため、とてもリアリティを演出できている。
・エイリアンの見た目が意味するもの
監督が言っていたが、今作のエイリアンの見た目をどのように描こうか悩んだのだという。
その理由は、今作のエイリアンにも感情移入させる必要があったのだ。ただ怖がらせたりするだけなら、もっと終わっている見た目にできたはずだ。だが、感情移入させるため、人間的な表情も必要だと考えたそうだ。
そこで結局、見た目を昆虫なにさることにしたそうだ。
その理由は、今作でエイリアンが置かれている状況と、アリやハチの環境と共通しているところがあるからだ。
アリやハチは女王に指示されるまで誰も働こうとしない。
今作のエイリアンも同じで、武器や宇宙船はあるのに、誰も行動を起こさず、南アフリカで途方に暮れているエイリアンと共通しているからだ。
・ヴィカスの扱われ方
ヴィカスの左腕がエイリアンになったとき、身柄を抑えられ、ヴィカスの話に耳を傾けようともせず、エイリアンの武器を使えるか坦々と実験してエイリアンを殺させたり、無理やり人体実験させたりしていた。これは歴史的観点から考えると、人種の違いなどで奴隷扱いし、たくさんのひどい扱いをしてきた。当時はその人々を人間としてみていなかった。これも同じで、ヴィカスの左腕がエイリアンになったら突如ヴィカスをひどい扱いをしたように、そういう意味の風刺もあるのだ。
・ヴィカスの立場
前に説明したように、人体実験をされそうになった時、ヴィカスが抵抗してなんとか逃げ出すが、そこからヴィカスの立場危うくなる。
いつもなら家に帰れば家族も妻もいるのに、今は追われている立場だからそうはいかない。
何より、自分が今まで尽くしてきた会社が、会社の利益のために自分の体を切り刻もうとしている。
だから、逃亡中は誰にも頼る人がいない状況だ。まるで脱獄した逃亡犯のように。
・クリストファーの構成意識
作中にヴィカスを手助けする、クリストファーというエイリアンがいる。
クリストファーが暮らしている小屋には、電子機器がいっぱいあって、それは全て宇宙船に乗って帰るために準備しているものだった。
先ほどエイリアンに置かれた状況と、虫の環境が似ていると話したが、クリストファーだけ宇宙船を使って帰る目的がある。それはなぜか?
女王などの絶対的な指導者が消滅し、全員が目的を失った意識を持つようになると、指導者をもう一度生み出すために社会を構成し直そうという本能が働く。
・人体実験
ヴィカスとクリストファーが一緒に大切な液体を奪いに建物に入って戦った後、クラウドファーは仲間の死体を見つける。先ほどヴィカスが人体実験されそうになったとあったが、このシーンではもっと細かな意図があるのだろう。
それはおそらくナチスの人体実験だ。日本軍も第2時世界大戦中にやったと言われる。
ウーター・バッソンらによる医療実験や研究などの数々のひどいことがアパルトヘイト政権下であったとも言われている。
つまり、エイリアンの整体実験というのは、史実に基づいたアイデアなのである。
実際に南アフリカでも行われていた。
これらを行った理由としては、細菌や毒などの開発だった。最初に話した通り、南アフリカの人々は乱入してきた難民に「外国人嫌悪」を抱いて、邪魔な存在だとすら思っていた。
それらの人々を使って人体実験をし、黒人だけに効く毒などを開発しようとしたのだ。
これらの生体実験は、どこの国でも起こり得るだろう。
だから、これはそういう意味をこめた風刺だと思う。
・見た目による人間の心理
飛行物体が去った後、また序盤のようにドキュメンタリー風に戻るが、そのインタビューの途中、ヴィカスの父親の話では、「ヴィカスはもう死んだ」と言っているが、それはただ変身した息子を彼は認められないだけなのだ。見た目が変わっただけで見捨てる心理はとても笑える。これも人間の見た目ではなくなったからといって人種が違うと考えているのだ。つまり、人は見かけによらないということと、人種差別は絶対に不必要だということも示している。
・感情移入による人種差別の「体験」
今作は序盤、エイリアンに対してはキモいなーとかしか思わないだろうけど、展開が進むにつれて、エイリアンに感情移入していく。だから、エイリアンは立派な生き物なんだと感じさせる。特にクリストファーは子供もいるしクリストファーが息子を片手で抱きしめるシーンは感激を受けた。
これは観る人に、序盤はエイリアンに対して「気持ち悪い」としか感じさせないことで、見た目で判断させ、ヴィカスと同じような間接的な差別主義者になってもらう。だが、ストーリーが進むにつれ、エイリアンに対しても愛着が湧く。つまり、この映画の構成は下記のようになっている。
序盤でエイリアンに対して嫌悪感を抱かせる
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話が進むにつれエイリアンに対して感情移入する
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エイリアンも自分達と同じく生きていて、人間と同じように平等に生きる権利があるということを体感させている
この構成を知ったとき、めっちゃ衝撃を受けて、めっちゃ天才的だと思った。体感することで観る人に監督が伝えたいことを深く考えてもらうという手法は凄まじい。
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[個人的な感想]
今作はリアリティが終始感じられて現実だと錯覚してしまう。それによってより映画の世界へ入り込むことができた。
また、今作の新しさといえばキリがないが、全体的にハリウッド映画らしくない生々しい演出や描写なのに、ハリウッドらしいVFXが混在していることだ。それによって今までにないような作品になっている。
今作でのヴィカスとクリストファーの妙な関係も個人的にめちゃくちゃ好きで、最初はヴィカスもクリストファーを含めたエイリアンたちを間接的に差別していたのに、ラストにはクリストファーに心を開きかけているのもとてもいい。
それに加えて、今作のどこかミステリアスな雰囲気が漂っているところが好きだ。ずっと浮いている飛行物体もそうだし、クリストファーの小屋の下にあった飛行機も、最後にヴィカスが操縦するロボットも、なんだかミステリアスな雰囲気を感じさせるのがうっとりしてしまう。まあこの映画はうっとりするような映画ではないのだが。
また、主人公が危機的になっていくにつれて、多くのアクションが展開される。ラストのヴィカスがロボットに乗ったアクションも見たことのない体験であった。
何度も繰り返しこの映画を観ていると、エイリアンにさまざまな視点で感情移入してしまうのだが、エイリアンに感情移入している自分にも驚いている。ビジュがキモいエイリアンに感情移入させるニールブロムカンプもすごいし、VFX陣もすごいと感じた。
また、説明した通り、あの構成が結構好きで、自分も考えるきっかけになったし、全員が観て深く考えるべき映画だと思う。
こんなに長くなってしまいました。
今作は生涯でもtop5には入ります。今のところは4位ですが。
何回見ても新しい発見もあって、考察しがいもある素晴らしい映画です。
まさにニールブロムカンプにしか作れない映画だと思いました。