愛を読むひとのレビュー・感想・評価
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果たして、読んでいるのは愛なのか?
ケイト・ウインスレットは素晴らしいですが、
レイチェル・ワイズで観てみたかったという私もいます。
1958年ドイツ。夏。
15歳のマイク(ダフィット・クロス/レイフ・ファインズ)は、通路で具合が悪くなところを、ハンナ(ケイト・ウインスレット)に 助けられる。その後ハンナの家にお礼に行ったマイクは、彼女の思いがけない衝動に抗うことができず、肉体関係を持ってしまう。二人の年齢差、21歳。
マイクは、激しくて不思議な大人の女、ハンナに惹かれて行く。そしてハンナはマイクに朗読を求め、マイクはハンナの身体を求める関係が一夏続く。が、ハンナは突然、マイクから去って行った。
8年後、法学部の学生になったマイクがハンナを見かけたのは、ナチス戦犯を裁く法廷。ハンナは、その裁判の被告だった。
お礼に現れたマイクに、ハンナは石炭を運ぶように頼みます。煤だらけになったマイクをお風呂に入れ、その滑らかな背中にスポンジを当てる。裸のハンナが、マイクの背中にそっと寄り添います。私はこの「一夏の始まり」のハンナの衝動が、どこから溢れて来たのか、実は理解できません。しかし「一夏の終わり」の、唐突にマイクの元から去って行くハンナは理解できますし、その部分には女の私が共感しました。
二人の関係には居心地の悪さを感じる私でも、心の底から羨ましいと思ったシーンがあります。それはソファーに横たわるマイクが「オデュッセイア」を朗読し、その胸に抱かれたハンナが号泣するシーンです。私にも大好きだけど、読むと悲しみに押し潰されそうになる小説があります。こうして愛する人に守られながら、物語の世界に浸ることができたら、どんなに良いだろうと想像しました。
そして自転車旅行で、2人の関係に決定的な亀裂が入ります。書き置きを残して出かけたマイクに、ハンナは激怒します。顔中血だらけになるまで、ハンナにベルトに殴られる。ハンナは、置いて行かれたと思ったんです。書き置きした紙なんか、なかった!と。
ハンナは、文字が読めない。けれど、それをマイクに伝えることができない。朗読とセックスの関係が、終わる時。そしてハンナは、マイクの元を去るのです。
再会した時、マイクは傍聴席、ハンナは被告席でした。ハンナはナチスの女性収容所の看守(親衛隊)だったのです。他の被告達は、ハンナが証拠となる書類を書いたと主張します(問われている罪の詳細は省きます)。ハンナは、黙秘。裁判官が筆跡鑑定を行うと言った時、ハンナは「自分が書いた」と認めます。嘘なのに。字が読めないのですから、書ける訳がありません。そしてもう1人、その場にハンナが嘘をついたと知っている人がいます。マイクです。ハンナは、自尊心のために有罪になります。しかしマイクは、ハンナの無実、少なくともハンナだけの罪ではないと主張しません。それはハンナの自尊心を守りたい訳ではなく、きっと、その後の彼女の人生を背負いたくないから。
当然マイクは、自分の罪悪感に押し潰されそうになります。なので贖罪の為に、あることをするのです。朗読をテープに録音して、ハンナに送ること。
私はこの行為こそが、とても残酷だと思いました。それはハンナの為ではなく、マイク自身の罪悪感を軽くする行為だからです。それはラストで分かります。
送られて来るテープを聴き、ハンナは字を書くことを独学で憶えます。そしてマイクへ、手紙を書くのです。その文章は、どんどん上達して行きます。が、マイクは1度も、返事を書きません。
終身刑だと思っていた、ハンナの恩赦が認めらました。刑務官からマイクへ、「出所後、面倒を見て貰えないか」と相談されます。そして、2人は漸く再会します。
「あの時のことを、思い出す時があるか?」
マイクの質問に、年老いたハンナは頬を染めます。
「私達のこと?」
マイクは視線を逸らし、冷たく言い放つ。違う。あのこと。アウシュビッツのこと。ハンナの顔が強ばる。ハンナは1度も、自分がしたことを省みる発言をしていません。
「だって、新しい囚人が次々に送られてくるんですよ。場所を空けるために、誰かをアウシュビッツに送らないといけないじゃないですか」
裁判では、こう発言していました。マイクはハンナに罪悪感がないことが、どうしても許せないし、信じられない。でも私は、ハンナは冷酷な人間ではないと思うんです。罪悪に対して、鈍いのでもない。ユダヤ人を憎んで、殺すのが正しいとナチスを盲信していた訳ではない。小説や賛美歌を聴いて、涙を流す鋭い感受性を持っているハンナです。だから私は敢えて、自分を擁護する発言をしないことが、彼女の贖罪なのではないかとすら思いました。それはハンナが自分のお金を、あるユダヤ人の女性に遺したことでも分かると思います。
マイクと会った後、ハンナは自殺します。
希望は勝手に持つ物ですが、期待はさせられるもの。マイクはあの夏、ハンナに読み聞かせていた物語をテープに吹き込んだ。それを聴いたハンナの心には、何が芽生えたのでしょうか。芽生えさせられた。とも、言えると思います。だから私は、マイクが残酷だと思いました。
そしてこの再会、2人の本当の終わり。ハンナの気持ちは理解できますが、同じ女としては共感できません。私なら、会いません。会えません。
読み書きできないこと隠し通した自尊心の強いハンナが、年老いた自分を若いマイクに見せた理由は何なのか?自殺したのは、マイクから拒否されたから?
ユダヤ人の女性が裁判で、こう証言していました。
「(収容所で)ハンナが華奢でひ弱な者を毎晩部屋に呼んで、朗読させていた」と。しかし一見、強制労働から免れることができ幸せに思うけど、結局殺されるのだから期待させただけ残酷。残酷な親切だと。ハンナが自殺したのは、死ななくてはいけないと思ったのは、彼等の気持ちを本当に理解したからかも知れないと思いました。
マイクがハンナの自殺を知り、2人の関係を娘に告白し始めるところで、映画は終わります。誰かに打ち明けたくなる気持ちは理解できますし、家族と蟠りの理由を説明したいことも分かります。が、やはりマイクの行動には、共感できませんでした。何故、娘に?
邦題が「愛を読む人」ですが、男女間の感情を短絡的に「愛」で 済ませてしまうのは如何なものか。
そして、ケイト・ウインスレットは素晴らしいと思いますが、レイチェル・ワイズがハンナだったら、もっと感情移入できたかも知れないと思う私がいます。
泣いた。不器用な人たちの人生。
『収容所で学ぶことは何もない。』
収容所の生き残りの女性のこの言葉を聞いて、初めて主人公はハンナの気持ちに気づいたのだと思うと辛い。
ハンナが収監中、主人公にテープを貰ってさた時の喜び、読み書きを覚え、返事を貰えない手紙を書き、やがて諦めるまでの心の動き、主人公に再会し詰られて絶望するまでの気持ちを思うと胸が潰れそう。
主人公もハンナも不器用だ。
でもその時の自分に誠実に生きている。
時代背景も調べて、また見直したい作品。
愛を読んでるのか?
15歳の時の恋は本当にまっすぐなものであったろう。そこでの朗読も、愛があった。
大人になってからのテープに録音した朗読は愛がなければできないものだと思ったが、どうだろう。
手紙は返さない。出所後の話をするための面会での冷たさ。これを見るとあのテープでの朗読は愛がなかったのかと疑問が残る。
ただの語学テープとして定期的に送ってたの…?
裁判で字が書けない、読めないことを証言しなかったのもよくわからん。
伝えるって難しい
映画評価:35点
この作品を見たのは今年の5月9日飛行機の中でした、飛行機内では先行上映されていて、アカデミー賞などを受賞しているという事で観覧させていただいた次第でございます
最初はマイケルとハンナが出会った頃からストーリーが始まっていきます
マイケルは21歳も年上の女性にゾッコンになります、年上彼女との突然の別れにマイケルの苦悩の姿はとても良い演技でした!
ハンナも苦しみながら別れを選んだ気持ちが伝わるし、何よりハンナの心内がマイケルといる月日が経つにつれて変わるのも見ものです
二人は数年後法廷の場で会う
そこからマイケルは牢獄にいるハンナに本を朗読したテープを送り始める
字が読めないハンナに字の読み方を授けたり、一人の淋しさを慰めた事でしょう
そのテープは、ただ本を読むだけではなくハンナに掛替えのない勇気と愛、慈悲、言葉、励まし、夢、期待…たくさんの想いを伝えたことでしょう
彼女にとって牢獄にいた間はとてもマイケルの愛を感じれたのだと思う
それは、とても文字や言葉では表しきれない程の大切な何かが...私はそう捉えました
本を読むひとではなく、「愛」を…とても深い映画ですね
1度では到底この愛の意味を知るなんて不可能でしょう!でもシリアス過ぎて重いだけで逆に怖いと感じる方や、意味不明と思う方もいらっしゃると思います
僕は理解とまではいきませんが意図はつかめたつもりです
でも地味というか深すぎて興味がもてないというか、新しい愛の形として楽しませていただきました
論理的に解釈の出来る方などを限定として見てみてはどうでしょうか?
この映画は情で見るものではないので他の映画の延長線と考えている方は見ない方がいいと思いますね
何故、文盲を隠していたのか?「ロマ」という差別
21歳差の男女の恋愛物語・・・と思っていたら
そこには、戦争をからめての「ロマ」の存在が描かれていました。
何故、ハンナは文盲を隠していたのか・・・
原作本では、ハンナはルーマニア出身で身体的特徴が描かれているそうで
ヨーロッパ圏の人なら、それを読んだだけで、ハンナの出自が「ロマ」であることがわかるそうです。ロマはジプシーと呼ばれる事もある民族で、元々はインド系の少数民族が、紛争に巻き込まれてヨーロッパ圏にちらばって行ったそうです。ロマはその日暮らしで犯罪を繰り返して流浪の民となっていたので、ヨーロッパ圏では、激しく差別されます。
「ロマが軽犯罪を犯したら殺してもよい」という法律まであったほど・・。
だから、ハンナは文盲を隠したのです。ルーマニア出身で文盲だと
もしやロマ?と疑われるのを恐れたのです。
ユダヤ人よりも迫害されて差別されたロマ。
ハンナは字が読めるようになって、初めてナチでの自分の仕事の恐ろしさを
理解します。そして、マイケルと面会する頃には「死」を決めていました。
映画ではマイケルに冷たくされて、自殺した?と思うような曖昧な
感じですが、原作では「死を覚悟」してるハンナが描かれているそうです。
マイケルが「来週、迎えに来るよ」と言うとハンナがとても悲しそうな顔をするのは、その時 自分は居ないだろう・・・と考えているからです。
ラストにユダヤ人が、ハンナの缶を受け取り、少しだけ涙グミますが
彼女は ハンナも差別され苦悩した人だった事を受け止めます。
この物語は、日本人があまり知らない「ロマ」の差別・迫害が
背景にあることを知らないと??????となってしまうかもしれません。
でも、深く理解すればする程、重くて良い映画です。
2人の罪の重さ
本作を恋愛映画と捉えるか、ナチ戦犯に関わる男女の罪と罰を問う冤罪映画と捉えるかによって、ヒロインの人物像の解釈が大きく変わってくると思う。ヒロインがあの時点で自殺した理由の答えは「愛を失ったため」だと私は思う。そう、本作は紛れも無い恋愛映画なのだ。
確かに、ナチ親衛隊の看守として収容所勤務をしていたヒロインの裁判が最重要モチーフとなってはいる。忽然と目の前から消えた、愛した女性が犯罪者として目の前に現れたら?年上の女性との愛の日々。少年は官能の日々にのめり込んで行くが、女の方はどうだろう?女に「愛」はあったのか?それとも単なる「遊び」に過ぎなかったのか?女が少年の前から姿を消したのは、少なからず「愛」のためではなかった。本作における重要なキーポイントとなる、彼女が人生をかけてまで守ろうとした「秘密」。電車の車掌をしていた彼女は、日ごろの仕事振りをかわれて内勤(事務職)へ転属となることを告げられる。当時の女性としては大きな出世であったはずのポストを捨てて、彼女は黙って町を出た、少年に別れも告げずに・・・。彼女が生涯守り通した秘密、それは「文盲」であること・・・。
ここで私はもう1度問いたい、2人に愛があったのか?少年の「愛」の形は容易に想像が付く。魅力的な年上の女性との恋愛は、思春期の幻影に過ぎない。裁判で彼女が文盲であることを彼が証言すれば、減刑になることを知りつつそうしなかったのは、彼女のプライドを尊重したかったこと以上に、被告と関係があったことを隠したかったというのが正直な気持ちではなかったか?少年の「愛」は「恥」に変わってしまったのだ。やがて大人になりようやく過去を振り返ることの出来た彼は、のしかかる罪悪感によって「朗読者」たることを選ぶ。無機質な監房の中で、「坊や」から送られてくる朗読テープによって、「愛」を取り戻したと思った彼女は、テープを手がかりに独学で文字を覚え、「坊や」に手紙を書く。しかし男は返事を書かない(書けない)。刑務所長からの依頼で身元引受人になっても、彼女の握手を拒んでしまった男の弱さ・・・。彼の心を直感的に見破った彼女の心境いかばかりか・・・。
彼女は冤罪で一生を棒にふったことよりも、自分の犯した罪を自覚することよりも、生きる希望(=文字)を与えてくれた「坊や」の愛を失ったことに絶望したのだ。取るに足りないプライド(文盲など恥じることは全く無かったのに!)のために、人生と愛を犠牲にした彼女の哀しいキャラクター。
ホメロス、ハーディ、チェーホフなどそうそうたる名作文学の中でも特にロマンス小説を好んだ彼女は、やはり「愛」に生きた人だった。小さな「秘密」を抱えた彼女だが、仕事や愛に対しては、どこまでも正直な人だった。
こうして男はまた1つ大きな罪悪感に苛まれる。彼の犯した罪の大きさと、彼女の犯した罪の大きさを秤にかけると、どちらが人生に正直であっかどうかで、ほんのちょっぴり彼の方が重いかもしれない・・・。
切ない純愛物語
ドイツの作家ベルンハルト・シュリンクのベストセラー小説「朗読者」を『リトル・ダンサー』、『めぐりあう時間たち』のスティーブン・ダルドリー監督が映画化。『タイタニック』のケイト・ウィンスレットがアカデミー主演女優賞を獲得した作品。2009年度アカデミー賞において作品賞を含む5部門にノミネートされ、主演のケイト・ウィンスレットが主演女優賞を獲得。製作には2008年に他界したアンソニー・ミンゲラとシドニー・ポラックが名を連ね、製作陣も豪華だ。
1958年のドイツ。15歳の少年は21歳も年上の女性(ケイト・ウィンスレット)と関係を持つこととなった。しかし、その女性は突然、姿を消す。それから8年後、法学部の学生となった少年は、偶然、ナチス戦犯として法廷に立つ女性の姿を見ることとなる。
この物語の重要なキーワードは、「愛」、「罪」、そして「秘密」だろう。本作は、出演する俳優が18歳になってから撮影に入ったとのこと。序盤は激しく愛をむさぶる少年と女性のはきわどいシーンが続くが、中盤に入ると物語の雰囲気は一変する。中盤は、ナチスの戦争犯罪が提示され、主人公もそれに悩んでしまう。そして、終盤は年老いた女性と大人になった少年(レイフ・ファインズが演じる)との引き込まれる会話が続く。その過程で、女性の秘密が明らかになる。
また、本作の結末は非常にショッキングだ。人によっては、女性が起こした行動が理解できないこともあるかもしれない。それでも、個人的にはいろいろ考えさせる作品である。
純愛物語ではない。
"投獄された初恋の彼女の為に、彼女が好きだった本を朗読したテープを送り続ける"という部分がこの映画の肝なのだが、その肝を作る為に他の部分の設定が強引になってしまっている気がした。
彼女の持つ「秘密」も途中で分かるので意外性はないし、その「秘密」のせいで転職をし投獄されるはめになるというくだりも無理があった。
一応「純愛物語」ということになっているが、始まりは中年女が若い男を襲ったようなものだし、年下相手に本気でムキになったり突然姿を消してしまったり、ケイト演じるハンナは年下男が憧れる「大人の女性」とは程遠いキャラクーなので、純愛というよりは「年上女に翻弄された年下男の純情物語」という感じだった。
ハンナのキャラクターがとにかく掴みどころがなく、少年と出会う前の過去も明かされないので、なぜ年下男に惹かれたのかetc…感情移入することができなかった。
ただ、地味な中年女性が若い男の体を凝視して静かに興奮していく描写などは妙にリアルで生々しく、ケイトはそういった生々しいエロスを表現するのがとても上手いと思った。年を追うごとに変化していく2人のビジュアルも上手く作られていたと思う。
邦題は『朗読者』でイイんじゃなかろうかと…
正直、前半の盛りの付いた犬みたいな思春期の青年マイケルと、何処か謎めいたミステリアスな女性ハンナとの間で交わされる官能シーンは、個人的に何の色気も感じなかったし、結局身体が目的かい!と思って、情事が行われる前の本の朗読の意味もわからず、イライラしました。
しかし、中盤以降雰囲気はガラッと一変し、ハンナが第二次世界大戦下において、SS(親衛隊)としてナチスに加担し、アウシュビッツ強制収容所にユダヤ人などを送り込んでいたか否かの法廷サスペンスみたいになって、この辺りから、だからドイツのこの時代が舞台なのか!と個人的に納得して、凄く面白くなってきたんですけれども、その法廷シーンで、ハンナの明かされたくないとある秘密(コンプレックス)に気づいた時、前半の朗読とセットの官能シーンにも、ハンナが時折見せた謎めいた態度やら表情の意味にも妙に納得して、それ以降、プロットの巧みさに唸ると同時に、涙なしでは観れませんでした。
そしてケイト・ウィンスレットも、オスカーをはじめ、各賞を多数受賞するほど絶賛されるのも頷ける話です。
脱いだだけの体当たりな演技でオスカー受賞したわけとちゃうぞと。
しかし、この映画のタイトル(邦題の方)は、個人的には物凄く納得できない。
マイケルが読んだのは、愛なのか?と…
ハンナの為ではなく、自分の中の罪悪感を埋めるために、朗読したテープを送りつけていただけなんじゃないかと。
ハンナのコンプレックスもプライドも、結局マイケルにとっては単なる偏見にしかすぎない。
でなければ、刑務所で面会した時「何を学んだ?」などという言葉が出てくるはずがない。
ハンナの秘密を唯一知るお前に手紙を送った時点で、刑務所で何を学んだか?などということの答えは出ているはずであるし、ハンナの立場に立ったら、この刑務所で学んだことが、人生におい如何に大きかったことかわかるはずである。
それなのに、「何を学んだ?」って、理解しているようで、実際のところは何も理解していない。
表面だけ見て、真実を読もうとなんかしていない。
結局マイケルは、15歳の時から何も変わっていない。
上辺だけの盛りの付いた犬の如き情事を、勝手に『愛』だと誤解したまま、その情事を繰り広げる為に仕方なく本を朗読していたあの時のままであり、あれだけ読んだホメロスのオデュッセイアの意味すら理解していない自分勝手なだけの愚かな偽善者(坊や)である。
まぁ実際、「あなたは中身のない上辺だけの人間ですよ。」ということを伝える描写は、面会した時のハンナの台詞であったり、後半マイケルが、アウシュビッツに送り込まれたホロコーストの被害者であるユダヤ人女性に、既にハンナにとって意味のないお金を持って会いに行った時に描かれていると思う。
お茶の缶の中い入れられていたお金、当然のことながら、無期懲役を喰らっていたハンナに必要なわけがないし、天国で使えるわけでもない。
そして、ユダヤ人女性にとっても、中身のお金は重要ではないし、子供の頃、缶の中に入れていた宝物にも、大した意味はない。
だけど、缶は大事だから、空っぽの缶は頂いておくわと…
そして、マイケルに、慈善団体にでも何にでも寄付するなりなんなり好きいして下さいと、中身のお金だけ託した。
マイケルが、そのお金を、文盲の支援団体にでも寄付するのかどうかは大した問題ではないですが、結局貴方は、お金という紙切れを寄付するくらいのことで満足できるくらい、薄っぺらな人間なんですよと、ハンナもユダヤ人女性も言っている気がした。
貴方はこの紙切れ程度の心しか持ってない男ですよと。
と同時に、現代社会への痛烈な批判を感じてみたり。
そして結局マイケルは、本当のところは誰とも心を交わしていない。
受け入れても、受け入れられてもいない。
自分の娘にすらも「何処に行くの?」と聞かれて「サプライズさ」と言い、「サプライズ大好き」という娘を尻目に、自分の空虚感を埋めるなり、許しを請うなりする、娘にとっては何の意味もない場所にしか行っておらず、結局自己中心的な考え方で言動を起こしているだけにすぎない。
個人的な解釈ですけれども、愛とは読んで字の如く、心う受け入れるということであって、相手の心を受け入れて支えなくては、それは単なる自己満足にしかすぎないのである。
よって、この邦題『愛を読むひと』は、個人的に却下。
でも待て、『人』じゃなくて『ひと』なのは、支えあっていないという意味があるのかもしれない。
生き恥と誇り。
大柄女優…おっと(爆)大物女優、のK・ウィンスレットに
アカデミー賞をもたらした本作。さすがの演技だったけど、
歳をとってもオーラの消えない目つきは凄かったなぁ~^^;
このS・ダルドリー監督の作品はどれも好きだ。
原作は今回も全く読んでいないが、とりあえず彼なので安心。
まぁ…ドイツが舞台なのに、なぜ英語??っていう不信感は
この作品に限らず仕方ないことだが、ただこの作品を観終えて
思ったのは、かなり好き好きが分かれそうな内容だな~と。
話そのものが何というか…^^;各々の価値観を問うているよう。
物語の軸となるのは、彼女が死んでも守ろうとする「秘密」
にあるのだが、それが明かされたときに自分がどう感じるか。。
彼らの行動を「理解できる派」と「理解できない派」にハッキリと
分かれそうな、そこで好き好きが決まってきそうなのである。
私は…理解できた。とは言えないものの、かなり良かったクチ。
各々が抱える苦悩や秘密、誇りの高低を他人は推し量れない。
21歳もの年上女性に恋い焦がれ、すぐに関係を結べたものの、
彼女が彼女然であることが大前提の、まだまだうら若い恋愛期。
こう言ってはなんだが、彼には母親のような^^;頼れる存在に
違いないので、そんな彼に、彼女の苦悩を受け止める事なんぞ
到底無理。もちろん彼女も、それは承知だったと思える。
時が経ち、その「秘密」の部分では彼が上をいく存在になっても
彼を「坊や」と呼び、決して下に甘んじない相当な気位の持ち主。
まぁここまで彼女、という人を観ていると…何故?と思えるし、
では今までどうやって人生を…?とも思えて仕方ないのだが^^;
その辺りを突っ込むと物語全体が壊れてしまいそうだ。
あの時代が時代だったとはいえ…後半は辛い描写の語りが多い。
若い青年が年上の女性に憧れるのは珍しいことではないが、
実際にはそれが甘酸っぱい思い出として綺麗に残るものなのに、
この彼の場合は本当に可哀相だ。
とにかく、D・クロスとR・ファインズの演技は見事に苦悩している。
表情を観ているだけで切なく、胸が締め付けられる感じだった。
こんな運命を背負い、これからも生き続けていく彼の未来は…と
心配になったが、さすがラストはその辺りも見事に結んでいる。
今作は、彼ら二人の物語ではあるが、もう一人、
L・オリンが演じたローズ・メイザーの長きに渡る闘いでもある。
そこまでの話をすべて食ってしまった彼女の決断のシーンにこそ、
後世に生きる人間たちへのメッセージが込められていると感じた。
その空缶を受け取るシーンで、私は初めて泣いた。
(生き恥をかくのは決して恥ずかしいことじゃないんだけどね。)
良い意味で原作を裏切ってくれたと思います
思いっきり期待を裏切られました。良い意味でね ♪
愛を読む人
見てきました。小説とははひと味違う趣きに甲乙つけがたく思います。
ネタバレを含むので要注意!
主軸が恋愛ではないという事は分かっていて見たはずですが、
映画では恋愛の比重がとても大切になってきていると感じました。
小説は 僕 の一人称で語られ、彼の目を窓にして読み手は世界を見ています。
その中で、
『彼が感じている事は違うんじゃないの』と思ったり
『なるほどな』と思ったり。
ですが映画では ハンナ の表現している部分がとても大きく感じました。
僕 の存在は 目 ではなく 独り言。
そこには小説では感じ得なかった
(これは今の段階で私が読み取れていなかったの意味です)
ハンナが彼に対して抱いている感情が有りました。
僕が恋をしているのではなく、
ハンナが恋をしています。
だからラスト、彼女がなぜその選択をしたのかにつながると思いました。
再び彼に会うまで、彼女の内には小さな花園が有って、
バラの蕾に蝶が踊っています。それは彼への恋心で、
文盲を返上し、彼に認めてもらい、対等になれる
それは彼女にとってこの上も無い喜びのはずでした。
ですが現実の世界は残酷で、
彼の中に有るのは過去の恋愛へ思いだけ。
目の前にした ハンナ への気持ちではない。
その事が彼女を死へと突き動かした、そう感じます。
特にテーブルの上に本を乗せ、それを素足で踏むシーン、泣けました。
彼女が受刑してまで克服したいと願ったその象徴たる本を踏む。
見ていて辛かったです。
小説と映画との大きな違いですが、
何よりも映画制作スタッフが
“ハンナを愛している”
部分だと思いました。
ですから彼女の持つ恋心をとても大切にしていますし、
如実に出ていたと感じたのは問題のラストでのセリフ!
小説では彼が放つ
『文盲はユダヤ人には相応しくない問題かもしれませんね』
を、ユダヤ人の生き残りの女性に言わせている点です。
『もっとも、文盲のユダヤ人がいるとは思えませんが』
この一言が、
この映画の質をがらりと変えてくれるキーワードになっていると思いました。
しかもその女優さん、レナ・オリン !
キャスティング、凄い!
これ以上無い存在感で見事に役を演じ切っていました。
映画というものはどうしても誰かの視点に頼りがちです。
正義の味方 VS 悪者。
見ている方はどうしても正義の味方を応援し、
自分が正義の味方になったつもりになります。
どちらが正しく、どちらが間違っているか。
その事はとても難しい事であるはずなのに、自分の都合のいい様に解釈するものです。
つまり、自分が属する世界を無条件で正しいと信じているのです。
(我々が目にする映画のほとんどはアメリカ資本の導入された、
アメリカ受けする映画であると忘れてはいけないと思います。
ですから、アメリカに取って都合が悪く、
アメリカの影響を受けている人々にとって感情を害する様な作品は
世の中に出てきにくいのです)
そんな歪みに、彼女の存在が
“均衡”
をもたらしていると感じました。
しかも悪い意味で。
ここは見る人によっておおいに意見の分かれる部分かと思います。
彼女はシェイクスピアのベニスの商人(第三幕 第一場)に出てくる
シャイロック 『それは何のためだ? それは俺達がユダヤ人だからさ』
→ 彼がユダヤ人である為に受けた数多くの社会的迫害を示す
の持つ意味と真逆の方向でこの言葉を発したと感じました。
そして同時に、
彼にあの残虐な一言を言わせなかった、それは
制作者がハンナを愛していて、彼女が愛した ミハエル に
“罪を犯させたくなかった”
そう感じました。
映画だから分かる事、それは視覚と聴覚の効果ですが、
その点も非常に効果的だったと思います。
文章の中では彼らの生活の違いをあまりはっきり感じません。
ですが映画の中で、
彼は裕福な(特権的な)家で高い教育を受け、
(なにしろ自分を出来が悪いと評価しているような少年が
弁護士になれる程の教育を受けれるんだから超エリート一家なのです)
反対にハンナは整っているけれど寂れたアパートに暮らし。
そしてユダヤ人の少女は大人になって、
ニューヨークのアッパークラスの豪邸で、
メイドのいる暮らしをしている。
(そうです。彼女が最後にここまでのし上がれたのは
彼女がユダヤ人だったからに他ならないと思います)
この三点を非常に効果的に、対照的に描かれていると感じました。
それはナチのした事を正当化しようと言う意味ではなく、
あくまで現実として描かれていると思います。
その背景(ユダヤ人の文化)が有って、この物語ができたと言う。
音楽も良かったです。
無駄にうるさくなくて。
その分、役者さん達の声や話し方、表情が
心に残りました。
またこの映画は裁判の部分をとても丁寧に描いていると思います。
私がこの前話題にした
『あなただったら、何をしましたか?』
このシーン、裁判官のうろたえた沈黙と、
彼女の言葉に鋭く反応したロール教授の表情を
しっかりスクリーンで見る事ができました。
そしてこの瞬間、私達映画を見る人間、評価する人間は
“ロール教授であれ”
そう問われている気がしました。
それは小説の中で表される
“知識だけでは問題を解決できない”
につながると思います。
面白かったですよ ♪
ラストで レナ・オリン 演じる生き残ったユダヤ人少女の生き残りが
口にするセリフが有ります。
それはハンナの事を彼が彼女の伝えるシーンですが、
『彼女(ハンナ)は文盲でした』
と言う彼に
『だからといってそれが(罪を犯した)理由になりますか?』
この一言!
それは確かに正しいのです。彼女の言う事こそが正しい。
文盲だからといって罪を犯した理由にも、言い訳にもならない。
でもねって。
この瞬間
『でもね』
そう思えるかどうか。
確かに
『でもね』
の後に続ける言葉は有りません。
彼と同じ、沈黙すると思います。でもね。
その不完全である部分が人間の人間たるゆえんだと思うし、
その不完全さを理解する事が、
“知識だけでは解決できない問題”
を解決できる糸口になるのではないか、そう考えさせられました。
ケイト・ウインスレット演じるハンナは
脆い内面を鉄の鎧で隠し、
『この映画はケイトの成熟を待っていて作られた』
の言葉に納得。
彼女がやって正解だったのではないかと思います。
デビッド・クロス君19歳は
思春期から青年期に移行する青臭い情熱を
余す事なく発揮していて、
次に何をやるのかとっても楽しみ!
レイフ・ファインズ様は言わずもがな。
人格形成期に複雑な体験をした影の部分を
それだけではなく奥行きのある人間に仕上げていると思います。
ブルーノ・ガンツ氏については知らないのですが、
ドイツ人が持つ理知的な部分と合理性、
加えてなぜその二つから展開する事ができるのか分からない
広がりを見せるリベラルな部分。
それぞれを上手く融合させ演じていたと思います。
レナ・オリンもこれ以上無い配役だと思います。
ユダヤ的思想の入門編として
ユダヤ人に学ぶ危機管理 (PHP新書 549)
こちら面白いのでお勧めです。
この時代・バックグラウンドを知る手がかりに
大変参考になりました。
「あなたは、上手だわ」「何が?」「朗読よ」
映画「愛を読むひと」(スティーヴン・ダルドリー監督)から。
舞台は、1958年のドイツ。(なんと、私が産まれた年である)
セックスをしてから、その余韻で彼が朗読していたバターンから、
先に彼が朗読し、気持ちが豊かになったところで
セックスをするパターンに切り替える場面が印象的だった。
それほど、彼女は、活字に飢えていたことが理解できる。
物語後半、彼女が「文盲」だったと知り、
裁判所での「筆跡鑑定」や、「THE」を覚える場面が、鮮明に蘇った。
牢獄での「録音テープ受け取り」サインにも、
その成長ぶりをさらっと感じさせ、彼女の努力が痛々しかった。
(ドイツが舞台なのに、全編ドイツ語でないのが不満だったけど・・)
字幕を読む私としては、英語より雰囲気が出るのになぁ、程度の感想。
さて、気になる一言は、彼がセックスに夢中になっていた若かりし頃、
(彼女は、朗読に夢中になっていた頃)の2人の会話。
「あなたは、上手だわ」「何が?」「朗読よ」
セックスを誉められたのかと喜ぶ彼を、彼女が余裕の会話で交わす。
この場面は、さらっと流れるが、大事な会話だったと思う。
どんなに歳を重ねても、話し方、イントネーション、滑舌などは、
それぞれの個性として、生き続けるから。
実は、会話としても、実に面白いフレーズ。(ずっこけないが・・(笑))
原作「朗読者」には、どう表現されているんだろうか、
今回は、映画を観てから、原作を読むつもり。これまた楽しみである。
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